伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

みて良かった。夢千代日記/1年ぶりの演劇鑑賞会例会でした

2016年03月30日 | 文化
 暗くてよかった。

 そして隣の席に観客がいなくてよかった。

 いくつかの場面で、涙が溢れて・・。

 でも暗かったので、いくらこぼれても安心です。むしろ恥ずかしいのは、涙を拭うために、目に手をやることでした。

 演劇鑑賞会の例会は、ほぼ一年ぶりにでした。

 中国残留孤児、広島のビカドン(原爆)、育ての親と子の絆、そして子どもの命を救えず深い絶望に苦しむ男。それぞれが悲惨な、そしてきつい体験を心に秘めてよりそって暮らす。その体験に向き合うために立ち止まり、葛藤の末に苦しみを乗り越え、そこから新しい道に歩み出す。その苦しみと心の再生が心を深く打つのでした。

 演目は、前進座の「夢千代日記」。



 いまむらいづみさんが演じた置屋「はる家」の賄いスミは、中国からの引き上げ時にわが子を手にかけた苦しみを心に秘めていました。

 開拓団の責任者から、赤軍に追い詰められて、もはや逃げ切る手はないと自決を迫られ、上の子の首を搔き切って殺した。赤ん坊だったもう一人の子は殺すことができず、逃避の最中に衰弱死させた。この思いを心の奥底深く隠していたのでした。

 ところが、厚生労働省の中国残留孤児の調査で、死んだはずの我が子らしき男が目の前にあらわれた。集団自決の場で血まみれになりながら生存しており、中国人に救出されたというのです。

 小さい頃はマー坊と呼ばれていた。その残留孤児は、母に教わった唱歌「春がきた」(あれ、だったけかな?)の前半のフレーズを片言で歌う。スミは確かにわが子に教えたと思い至り、我が子と知って、涙の中で再開を果たした。

 スエは、この男と暮らすことになったわけですが、彼女はこういう。

 「血液鑑定もすすめられました。でも断りました。マー坊と呼ばれた子は他にもいると思う。歌を教わった子も他にもいると思う。自分の子ではないかもしれいない。でも、あの時に首を切られた子はみんな我が子と思い、この子と暮らすことにしたんです」

 我が子かもしれない。我が子でもないかもしれない。でもこの子と暮らすことにした。

 ここには、戦争の極限の中で強いられて行った自らの行為に、これからも向き合って、残りの生涯を罪を償って生きていこうというスエの深い思いを感じます。

 夢千代自身が胎内被爆者で白血病。母は被ばく手帳を持たないままガンで亡くなった。そこにあらわれた沼田というヤクザは夢千代の出自を知る被爆者で、やはり体調を崩していた。夢千代の母を知る被爆者・玉子と沼田は、「戦争を終わらせるための原爆ではない。あれは人体実験だ」と、原爆投下に強く憤る。

 戦争の傷を体内に刻みながら、人との絆の中で生き続けてきた夢千代は、「一年しか命がないと思わず、まだ一年も命がある、そう思って生き続けます」と亡き母に語りかける。

 実は、午後5時20分までしていたパソコン仕事が、データクラッシュで全てパー。編集長というソフトなのですが、何かの拍子にクラッシュすることがあるんです。自動バックアップ機能がないので、小まめに保存しよう。事故が起きた時は思うのですが、しばらく経つと、そんなことは記憶の外。特に作業に夢中になると、バックアップ作業の実行なんか、頭の片隅にもありません。

 そして、事故が起こった瞬間、深い落胆と、後悔を覚えて、心が闇の中に沈んでいくことが分かります。

 急ぎの仕事だしやり直さなくちゃ・・と考えて、公演を観ることはやめようとも思ったのですが、約50分でやり直すことができ(一度考えているので作業は早い)たし、「たまにそういうものを観た方が、新しい発想も生まれるんじゃないですか」とおっしゃったとが人を通じて耳にも入ったので、やっぱり見ることにしたのでした。

 観てよかった。

 さて、きょうの日中の空には、日暈がかかりました。明るい輪がお日様をぐるっと囲んでいました。3月16日に続き、今年2回目の目撃です。



 その空を、雲を引きずりながら飛行機が横切ります。尾翼のマークを見ると大韓航空機のようですね。



 我が家のサクラも咲きそろい始めました。白い、小さな花で、華やかさはないのですけど・・。



 自宅の隣、昔の畑には、タネツケバナが一面に咲いています。



 ヒメオドリコソウも・・。



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