伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

サクラ(ソメイヨシノ)咲いた/本格的春到来/この若者たちの心情は

2016年03月31日 | いわき市
 春は曙。やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 枕の草子じゃないけど、寒に震えた冬から、冷たい空気をさわやかに感じる春の朝は良いですね。

 「やうやう白くなりゆく」時間に朝の空を見ることはなかなかできないのだけれど、春の朝の良さには共感できます。

 春の朝。これからお出かけのシジュウカラは、身繕いに余念がありません。数羽の群れで、他の鳥は離れていったのに、この鳥だけは動ぜず、一生懸命に羽を繕っていました。



 ちなみにこのブログにも何度か登場の正面の姿。



 そしてこれが後ろ姿。オスなので「見返り美男」。



 春と言えば繁殖の季節。小鳥たちも縄張り獲得に忙しくなるのでしょう。

 離れた木の先端でシジュウカラがさえずっていました。近くの木の先端で別のシジュウカラがさえずります。

 その次の瞬間、飛び立ったシジュウカラがもう一方のシジュウカラを追い払ったよう。2匹が交差しながら飛び去って行きました。

 少し離れた杉の木の先端にはホオジロ。これまた高らかにさえずっています。

 ここは俺の縄張り。誰も入ってくるな。こう主張しているのでしょう。



 「ギー」という鳴き声をあげながら幹に止まった鳥。つい先だって鳴き声の主が分かったコゲラです。

 幹をつついていますが、音は聞こえません。

 木をつつくのは、穴を掘って虫を探しているのかと思っていました。でも、そうではない。

 叩いた震動で虫を脅して反対側に誘導し、捕食する行為だと、どこかに書いてあったような。

 ちなみに音を立てるドラミングは求愛行動だとか。

 考えれてみればそうですよね。餌を探して木に穴をあけているのなら、森の木は穴だらけになってしまいますもの。



 我が家のサクラも満開に近づきました。



 白い小さな花で、華やかさはないのですけれども。いち早く春を告げてくれます。



 議会棟控室での作業は今日も続きました。

 昨日のデータクラッシュを乗り越えて、きょうほぼ完成です。

 窓の外にはいつものようにツグミ、シロハラ(下写真)がやってきました。



 スズメの群れが窓のすぐ下に来ていました。

 この季節には、カラスノエンドウの森の中を飛び回って採餌する姿を、この場所でよく見かけます。つくしの森もかき分けます。



 議会棟に向かう途中、新川を越えながら思いました。

 サクラ(ソメイヨシノ)が、そろそろ咲くのでは・・。

 新川沿いには並木があり、毎年、平中央公園のサクラと同じく、早くに花をつけるのです。

 でも、もう通り過ぎたし、今度、見てみよう、なんて考えながら議会棟に到着しました。そこで、花をつけているという報にふれたのです。

 夕方、帰り際に寄ってみると、やっぱり咲いていました。

 少し前から咲き始めていたようですね。

今年初のソメイヨシノをどうぞご覧ください。





 夕陽をバックに・・。



 太陽が傾きかけた夕空で、飛行機が追いかけっこ。



 日もだいぶ伸びました。

 午後5時30分。議会棟を出るとほんの少し焼けた空。



 6時15分を過ぎても、西の空に明かりが残っていました。



 これからもっと活動的な季節がやってきます。

 全然、話は変わりますが。門松は竹に、松に、笹に、先端の尖ったものばかりです。神は先端の尖ったところに降りてくるからだとか。

 朝、枯れ木の上にかかる月。「降神」。そんなイメージが湧いた景色です。



 それにしても、犯罪に走る若者は、どこからその心情に至るのでしょうか。

 女の子を誘拐し、2年間も拘束した男は、当初、女の子に「お父さんに金を貸している。返済の代わりに連れて行く」という趣旨で脅かして従わせたとテレビ報道で聞きました。家族への愛情を利用して意のままにあやつる。また、女の子が1人で買い物をしている時もあったという報道を見たが、犯人は「お前は家族に捨てられた」とも脅かしていたという。専門家は、絶望の中での行動で、1人の時が自由を感じていたのだろう、と分析していた。

 いずれにせよ、言葉で行動をしばり、意のままにあやつろうとした最悪の犯罪。こうしたことに犯人を駆り立てた心の闇の部分が気にかかるります。

 質的にはだいぶ違いますが、きょう、ツイッターにこんなツイートが流れていました。

 スーパーの卵のパックをかごに入れ、人目につかないところで割ってしまい、また棚に返すというのです。

 普通に考えると、器物損壊?、威力業務妨害?、いずれにせよ犯罪行為です。

 ところがこの人、批判をされると逆ギレして、「なんでそこまで叩くんだ」「そこまで悪いことはしていない」と言い出す始末。もっともその前段に、実は、買おうとした卵が自分の不手際で割れてしまったので、面白半分にツイートしたと虚偽だった告白をしているのですが・・。

 虚偽にせよ、真実にせよ、犯罪行為を自慢することが自己表現や自己アピールにつながるという、それこそズレた感覚が蔓延しているとしたら、犯罪に手を染める行為は、実はいつも身近にあることになります。犯罪慣れした感性の延長線上には、現実の犯罪行為があるわけですから。

 もしそうならば、犯罪を犯しやすい環境が、社会的に出来上がっているということになります。

 自分の欲望を満たすために、人を貶めたり、辱めたりすることが、テレビなどでも普通に流布される文化的背景が、こうした環境を作り上げる背景にないのか。

 よくよく考えてみたい。 


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