講演したのは設計事務所を営む1級建築士の豊田善幸さん。NPO法人中之作プロジェクトを運営している経験を「中之作直してみんかプロジェクト」と題して講演した。
中之作プロジェクトは、改造した古民家で様々なイベントが開催されていることで知られてきている。この古民家は清航館と名付けられており、毎年、この時期に開かれている「つるし雛展」を、今年も2月7日までの予定で開いているという。
豊田さんと古民家との出会いは、古民家を所有している中之作の住民からの再生に関する相談からだったという。その古民家は江戸時代のもので、相談後に襲った震災・津波にも耐えて建物は残ったという。中之作を襲った津波は、陸地からすぐ深い海となる中之作では、水位が上がってまちを水没させる津波であったたため、建物が破壊されず、被災しても町並みは保存されたという。
しかし、震災後の被災地支援策として実施された建物の解体事業により、古い携帯を残した建物が次々と取り壊された。「津波で残っていたまちを人が壊す」幻日に、同地区を訪れた人々からも「おかしいのではないか」という声が上がったという。
関わった古民家を、私財を投じて「無理矢理押し切って買った」という豊田さんは、NPO法人を設立し、古民家を活かす事業を始めたという。これにはご婦人が不満で「どうするの」と迫ったというのだが、震災後に設計屋の仕事はどんどん増えると説得し事業を進めたのだという。
NPOは住民を交えて話し合い、まちの風景を残すためにこの建物が必要だと考え、「海の見えるレンタル民家」として整備することにしたという。NPO内部に「使ってみんか事業部」を設立し、何らかの専門を持っている10人のスタッフが年に1回のイベントを企画し、残りの9人のスタッフはイベントを手伝うという形で、2年間、この民家を使ってみることにしたのだという。
この事業の費用は、NPOを部活動と見立てて、それぞれが月に2,000円の部費を支払うことにして用立てることにしたという。
イベントの事業の取り組みの中で、日本企業が終身雇用の仕組みの中で持っていた人を育てる側面が喪失した中で、イベントだけではだめで担い手を育てることが必要という意識が芽生えてきたという。
もともと古民家は塩問屋で豪商の持ち物だったという。平藩に多額のお金を貸していたこの豪商は、藩は現代のお金で13億円かけて港を築造するよう命令を受け事業を進めたが、藩は借金の返済は渋ったという。そのうちに戊辰戦争が勃発し平藩がつぶれてしまったという歴史を背負った建物だということだ。
清航館の改修には1,000人程度が関わっていたという。あの部分はあの人、この部分はこの人と多くの人が関わっていることを考えると、所有者1人の判断で、この建物の命運を判断することが難しいという意識が湧くそうだ。「壊しにくい」ことに価値があるのではないかと豊田さんは話した。
震災の支援事業で、建物が取り壊され、まち並みからどんどん欠けていった。「うだつが上がらない」という言葉がある。「うだつ」は日本の家屋の屋根に取り付けられる小柱で防火壁の役割を果たす。言葉は、うだつがある家は裕福とみられたことが語源という説がある。中之作には片側にだけうだつが取り付けれた家屋があり、その様式は西洋建築を模して日本の大工さんが作るためどうしても和が入り、和洋折衷となるユニークなものとなる。どうしても残したいと考えたが取り壊されてしまった。
津波に被災した建物が次々と取り壊されていく街並みは「20年、30年後の姿」で「震災で早まっただけ」と考えたNPOは、何とかしなければならないと考えた。古民家を残すだけでなく、「風景保存」が必要で、漁港の街並みを次世代に伝える活動が必要だと考えたという。
一方、活動を進めていく中で、支援者はだんだん減っていったという。この対応として活動情報の「誤配」を進めたという。「誤配」とは、清航館そのものを利用目的とするのではなく、別の目的で中之作を訪れた方々についでに清航館を知ってもらう取り組みだ。例えば、中之作で釣りのイベントを開くことで、トイレの利用などのついでに清航館を知ってもらうなどだ。こうして、NPOの事務局の手が届かない層の方々に情報を届けてきたという。
NPOは、続いて細い路地を入った高台にある空き家を借りたという。路地には重機は入っていけない。このため資材の搬入も含めて全ての作業は全て人力で3年をかけて改修した。建物は「月見亭」という喫茶店に生まれ変わった。子ども達が学校帰りに勉強するために集まるなど、地域の方々のたまり場としても活用されているという。
さらにもう1軒の空き家を借りることもできるようになったという。ここには事務局の若いスタッフが居住しながら、地域に開かれた建物として活用できるよう改修を進めているという。
ここまででだいたい1時間のお話となった。しかし、まだ話は尽きない。新型コロナウイルスの感染拡大を防止するために、公民館の貸出時間が短縮されたために話しきるだけの講演時間を確保できなくなったのだという。話半分では終われないので、追加講演をしてくださるのだという。続きの話も楽しみだ。
そうそう、この日の話ではこんなエピソードも紹介されていた。
綾瀬はるかさんが主演したNHK大河ドラマ「八重の桜」があったが、綾瀬さんが演じた山本(新島)八重の夫となる新島襄は、米国への渡航を企てたが、その途上、中之作に滞在したことがあったという。豪商の塩問屋だったので、この建物に新島襄が立ち寄った〝かも〟しれないという。史実は不明なものの、物語を想像し、歴史ロマンが広がるエピソードには違いない。「歴史のあるまち。それだけで価値がある」。豊田さんは話していた。
中之作プロジェクトは、改造した古民家で様々なイベントが開催されていることで知られてきている。この古民家は清航館と名付けられており、毎年、この時期に開かれている「つるし雛展」を、今年も2月7日までの予定で開いているという。
豊田さんと古民家との出会いは、古民家を所有している中之作の住民からの再生に関する相談からだったという。その古民家は江戸時代のもので、相談後に襲った震災・津波にも耐えて建物は残ったという。中之作を襲った津波は、陸地からすぐ深い海となる中之作では、水位が上がってまちを水没させる津波であったたため、建物が破壊されず、被災しても町並みは保存されたという。
しかし、震災後の被災地支援策として実施された建物の解体事業により、古い携帯を残した建物が次々と取り壊された。「津波で残っていたまちを人が壊す」幻日に、同地区を訪れた人々からも「おかしいのではないか」という声が上がったという。
関わった古民家を、私財を投じて「無理矢理押し切って買った」という豊田さんは、NPO法人を設立し、古民家を活かす事業を始めたという。これにはご婦人が不満で「どうするの」と迫ったというのだが、震災後に設計屋の仕事はどんどん増えると説得し事業を進めたのだという。
NPOは住民を交えて話し合い、まちの風景を残すためにこの建物が必要だと考え、「海の見えるレンタル民家」として整備することにしたという。NPO内部に「使ってみんか事業部」を設立し、何らかの専門を持っている10人のスタッフが年に1回のイベントを企画し、残りの9人のスタッフはイベントを手伝うという形で、2年間、この民家を使ってみることにしたのだという。
この事業の費用は、NPOを部活動と見立てて、それぞれが月に2,000円の部費を支払うことにして用立てることにしたという。
イベントの事業の取り組みの中で、日本企業が終身雇用の仕組みの中で持っていた人を育てる側面が喪失した中で、イベントだけではだめで担い手を育てることが必要という意識が芽生えてきたという。
もともと古民家は塩問屋で豪商の持ち物だったという。平藩に多額のお金を貸していたこの豪商は、藩は現代のお金で13億円かけて港を築造するよう命令を受け事業を進めたが、藩は借金の返済は渋ったという。そのうちに戊辰戦争が勃発し平藩がつぶれてしまったという歴史を背負った建物だということだ。
清航館の改修には1,000人程度が関わっていたという。あの部分はあの人、この部分はこの人と多くの人が関わっていることを考えると、所有者1人の判断で、この建物の命運を判断することが難しいという意識が湧くそうだ。「壊しにくい」ことに価値があるのではないかと豊田さんは話した。
震災の支援事業で、建物が取り壊され、まち並みからどんどん欠けていった。「うだつが上がらない」という言葉がある。「うだつ」は日本の家屋の屋根に取り付けられる小柱で防火壁の役割を果たす。言葉は、うだつがある家は裕福とみられたことが語源という説がある。中之作には片側にだけうだつが取り付けれた家屋があり、その様式は西洋建築を模して日本の大工さんが作るためどうしても和が入り、和洋折衷となるユニークなものとなる。どうしても残したいと考えたが取り壊されてしまった。
津波に被災した建物が次々と取り壊されていく街並みは「20年、30年後の姿」で「震災で早まっただけ」と考えたNPOは、何とかしなければならないと考えた。古民家を残すだけでなく、「風景保存」が必要で、漁港の街並みを次世代に伝える活動が必要だと考えたという。
一方、活動を進めていく中で、支援者はだんだん減っていったという。この対応として活動情報の「誤配」を進めたという。「誤配」とは、清航館そのものを利用目的とするのではなく、別の目的で中之作を訪れた方々についでに清航館を知ってもらう取り組みだ。例えば、中之作で釣りのイベントを開くことで、トイレの利用などのついでに清航館を知ってもらうなどだ。こうして、NPOの事務局の手が届かない層の方々に情報を届けてきたという。
NPOは、続いて細い路地を入った高台にある空き家を借りたという。路地には重機は入っていけない。このため資材の搬入も含めて全ての作業は全て人力で3年をかけて改修した。建物は「月見亭」という喫茶店に生まれ変わった。子ども達が学校帰りに勉強するために集まるなど、地域の方々のたまり場としても活用されているという。
さらにもう1軒の空き家を借りることもできるようになったという。ここには事務局の若いスタッフが居住しながら、地域に開かれた建物として活用できるよう改修を進めているという。
ここまででだいたい1時間のお話となった。しかし、まだ話は尽きない。新型コロナウイルスの感染拡大を防止するために、公民館の貸出時間が短縮されたために話しきるだけの講演時間を確保できなくなったのだという。話半分では終われないので、追加講演をしてくださるのだという。続きの話も楽しみだ。
そうそう、この日の話ではこんなエピソードも紹介されていた。
綾瀬はるかさんが主演したNHK大河ドラマ「八重の桜」があったが、綾瀬さんが演じた山本(新島)八重の夫となる新島襄は、米国への渡航を企てたが、その途上、中之作に滞在したことがあったという。豪商の塩問屋だったので、この建物に新島襄が立ち寄った〝かも〟しれないという。史実は不明なものの、物語を想像し、歴史ロマンが広がるエピソードには違いない。「歴史のあるまち。それだけで価値がある」。豊田さんは話していた。
講演会自体は10人程度の聴講で、しかも会場は大会議室でしたから、十分、ソーシャルディスタンスをとれた環境でした。
話ができなかった後半部分の追加講演もあるそうですのでご期待ください。忘れないように、何らかの形で告知したいと思います。
古民家の外観を残しながら・・つまり旧来の景観を残しながら、近代化して使いやすいものとする改修という考え方に、かつて、何かで読んだ、ヨーロッパ等でまちの景観保存のために行われる取り組みを思い出しました。
中之作プロジェクトの取り組みはとてもユニークな取り組みですよね。
そうそう、この古民家、15年位前に一度、いわき市指定の有形文化財(建造物)に指定できないかという話が持ち上がりました。
でも、その話は、所有者からではなくて、文化財として守りたいという方から出た話だったので、しぼんでしまった経緯があります。
(文化財を保存するって、所有者の努力に依るところが大きいので、ホント大変なんです。)
ただ、その後、震災がきっかけではあったものの、こうして残されることになったといういきさつを聞くと、巡りあわせってすごいな、と本当に思ってしまいます。
本当、行きたかったのですが・・・
残念とともに、講演者には申し訳ない気持ちでいっぱいです。