今朝、初霜が降りていました。
春の花のはずのホトケノザのたくさん咲く中、その花を凍らせていました。
今年の初霜は遅いんじゃないかな。そんな風に感じていました。
2011年3月23日にアカウントを作って始めたツイッターで、初霜が降りるとツイートした記憶があるのでツイログで検索をしてみました。
あった・・、ありました。ほぼ毎年ツイートしています。
昨年の初霜は、2014年は11月14日でした。
2013年は11月6日、2012年は11月25日でした。
昨年よりは14日遅く、一昨年よりは22日遅く、3年前より3日遅い。今年のお盆過ぎあたりから涼しい日が続き、秋は一転暖かい日が続いたのですが、その影響で初霜が遅れたのでしょう。
朝、犬の散歩に出かける時、寒さを感じたので、昨日までの出で立ちにセータとマフラーを増やしました。正解でした。残念ながら手袋は見つけなかったので手はむきだしでしたが、林間の日陰を歩いている時はさすがに冷たかった。
林間を抜け、お陽様の光を浴びた側のぬくもりは、本当に心地よく感じました。毎年、同じように感じますが、太陽の偉大さというか、ありがたみは冬の方が強く感じます。
久々に医院に行ってサボってしまっていた薬を処方していただき、その後にしんぶん赤旗の配達と集金に出かけました。
柿をむいたり、柿の実を収穫しているお宅がありました。干し柿作りをしているのです。
初霜が降りるほど寒くなってきたので、干し柿づくりに適した気候になったのでしょう。「暖かいと真っ黒になるから」と、干し柿作りに精を出していました。以前に、暖かい時に干し柿づくりをしても、腐ったり、カビが生えたりしてうまくいかないと聞いた覚えがありますが、干し柿は「寒」が命なのですね。
そういえば、子どもの頃住んでいた岩手県宮古市津軽石では、その地区を流れる津軽石川に「南部鼻曲がり鮭」と呼ばれる鮭が遡上し、その鮭を材料に自宅で塩引き鮭を作っていました。
生鮭から腹ワタを取り出し、塩をすりこんでねかせた後、寒風にさらしてカラカラに乾かす。乾かし具合にもよりますが、しっかりカラカラにすると、春から夏になっても腐らずに食べることができます。これも寒さが製造のポイントです。
寒さも人の生活に恵みをもたらすポイントのひとつと考えると、寒い、寒いと恨み言を繰り返していてはいけませんね。暑い季節も、寒い季節も、季節を楽しむという寛大な心を持つことが大切なのかな・・反省します。
と、書きながら一つのお話を思い出しました。津軽石川に鮭が遡上するようになった、その始まりの民間伝承の一つです。
ある時、旅の途上の坊様が、ある地区を通りかかった。そこでは鮭の豊漁でにぎわっていたのだが、疲れ、そして腹をすかした坊様に気づくこともなく、何の施しをする人もいなかった。坊様は川から小石を拾って懐に入れ歩きはじめた。
たしか記憶では大晦日の日だった。坊様は、夕刻にたどり着いた村の1軒の民家で戸をたたいた。家人は招き入れ、貧しいながらもできうる最上のもてなしをしてくれた。
坊様は正月を過ごし、いよいよこの家を出立する日になって、これもぼんやりした記憶ですが、家人に小石をわたし、「これは宝物だ。大切にしなさい」と言って旅立った。家人は、この言葉を守って仏壇(神棚かも・・)に祀って大切に保管していた。
それから時は過ぎ、ある年の晦日に、その家で大掃除をした際、うっかり小石を川に捨ててしまった。それ以来、津軽石川にたくさんの鮭が遡上するよういなったというお話です。
記憶違いはないかと思ってネット検索をしたら、記憶の物語りとは多少違う物語りありましたが、大筋はあっていたました。また、坊様がやってきたのは大晦日とはあまり関係なく、親切にもてなしてくれたので、坊様が石を川に投げ込んだということでした。
ま、それはともかく、戦後70週年の今年もあと1ヶ月余。月日の立つのは早いものだ。
春の花のはずのホトケノザのたくさん咲く中、その花を凍らせていました。
今年の初霜は遅いんじゃないかな。そんな風に感じていました。
2011年3月23日にアカウントを作って始めたツイッターで、初霜が降りるとツイートした記憶があるのでツイログで検索をしてみました。
あった・・、ありました。ほぼ毎年ツイートしています。
昨年の初霜は、2014年は11月14日でした。
2013年は11月6日、2012年は11月25日でした。
昨年よりは14日遅く、一昨年よりは22日遅く、3年前より3日遅い。今年のお盆過ぎあたりから涼しい日が続き、秋は一転暖かい日が続いたのですが、その影響で初霜が遅れたのでしょう。
朝、犬の散歩に出かける時、寒さを感じたので、昨日までの出で立ちにセータとマフラーを増やしました。正解でした。残念ながら手袋は見つけなかったので手はむきだしでしたが、林間の日陰を歩いている時はさすがに冷たかった。
林間を抜け、お陽様の光を浴びた側のぬくもりは、本当に心地よく感じました。毎年、同じように感じますが、太陽の偉大さというか、ありがたみは冬の方が強く感じます。
久々に医院に行ってサボってしまっていた薬を処方していただき、その後にしんぶん赤旗の配達と集金に出かけました。
柿をむいたり、柿の実を収穫しているお宅がありました。干し柿作りをしているのです。
初霜が降りるほど寒くなってきたので、干し柿づくりに適した気候になったのでしょう。「暖かいと真っ黒になるから」と、干し柿作りに精を出していました。以前に、暖かい時に干し柿づくりをしても、腐ったり、カビが生えたりしてうまくいかないと聞いた覚えがありますが、干し柿は「寒」が命なのですね。
そういえば、子どもの頃住んでいた岩手県宮古市津軽石では、その地区を流れる津軽石川に「南部鼻曲がり鮭」と呼ばれる鮭が遡上し、その鮭を材料に自宅で塩引き鮭を作っていました。
生鮭から腹ワタを取り出し、塩をすりこんでねかせた後、寒風にさらしてカラカラに乾かす。乾かし具合にもよりますが、しっかりカラカラにすると、春から夏になっても腐らずに食べることができます。これも寒さが製造のポイントです。
寒さも人の生活に恵みをもたらすポイントのひとつと考えると、寒い、寒いと恨み言を繰り返していてはいけませんね。暑い季節も、寒い季節も、季節を楽しむという寛大な心を持つことが大切なのかな・・反省します。
と、書きながら一つのお話を思い出しました。津軽石川に鮭が遡上するようになった、その始まりの民間伝承の一つです。
ある時、旅の途上の坊様が、ある地区を通りかかった。そこでは鮭の豊漁でにぎわっていたのだが、疲れ、そして腹をすかした坊様に気づくこともなく、何の施しをする人もいなかった。坊様は川から小石を拾って懐に入れ歩きはじめた。
たしか記憶では大晦日の日だった。坊様は、夕刻にたどり着いた村の1軒の民家で戸をたたいた。家人は招き入れ、貧しいながらもできうる最上のもてなしをしてくれた。
坊様は正月を過ごし、いよいよこの家を出立する日になって、これもぼんやりした記憶ですが、家人に小石をわたし、「これは宝物だ。大切にしなさい」と言って旅立った。家人は、この言葉を守って仏壇(神棚かも・・)に祀って大切に保管していた。
それから時は過ぎ、ある年の晦日に、その家で大掃除をした際、うっかり小石を川に捨ててしまった。それ以来、津軽石川にたくさんの鮭が遡上するよういなったというお話です。
記憶違いはないかと思ってネット検索をしたら、記憶の物語りとは多少違う物語りありましたが、大筋はあっていたました。また、坊様がやってきたのは大晦日とはあまり関係なく、親切にもてなしてくれたので、坊様が石を川に投げ込んだということでした。
ま、それはともかく、戦後70週年の今年もあと1ヶ月余。月日の立つのは早いものだ。
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