東京都議会の木下議員の問題は、免許停止期間中に車を運転し、車をバックさせた際に後続の車に衝突し、運転手と同乗の女性にケガを負わせたというものだった。木下議員は、7月4日投票の都議会議員選挙で2回目の当選を果たしている。警視庁は過失運転傷害などの疑いで捜査中という。
問題発覚後、同議員がツイッターに6月に原付バイクを運転して移動していることが分かる投稿をしていることが指摘された。また、運転を見かけたという目撃証言が報道されてもいる。これらから、無免許状態の運転が状態化していたと疑惑が浮上している。さらに、選挙事務所に、昨年亡くなった元区議会議員の為書きが掲示されていた疑惑も浮上した。元区議は、今度の選挙に立候補していた対立候補の父親だという。亡くなった方が、しかも、対立候補に為書きを送るはずはない。この議員はどんな仁清の人なのか・・。
ちなみに問題の投稿があったと思われるツイッターを確認しようとしたら、承認された人以外は閲覧できない状態の「非公開」となっていた。このため、問題のツイート等は確認できなかった。
政治家のSNSは、自分の主義主張や政治活動、人となりをできるだけ多くの人に知ってもらうことなどが目的だろう。にもかかわらず、非公開の取り扱いとしていること自体が疑惑を裏付けていると考えざるをえない。
木下議員は、所属していた都民ファーストを除名され、1人で新会派を立ち上げた。一方、身の律し方に関しては何ら言及していない。批判をものともせず、まともな説明もないままに都議会に居座ろうとしているのだろう。批判の声が上がるのも当然だ。
いわき市議会でも当選直後の議員の問題行為
このケースで思い起こされるのが、昨年12月に発覚した、いわき市議会議員の当て逃げ・車検切れ車両の運転問題(以下、無車検運転)だ。
石井敏郎議員が、昨年12月に、小名浜地区のショッピングセンター駐車場で事故をおこしたにもかかわらず走り去った。その後、いわき東署の捜査で運転していた車両は車検切れであったことが発覚した。こういう事案だ。被害車両には子どもが乗っていたがケガはなかったという。報道を見ると、当人は事故に気がつかず走り去ったとされている。
事件発覚後、市議会は、警察の捜査の状況を見極めてから市議会の対応を検討することにしたという。3月になって警察の処分がないことが明らかになり、6月定例会の初日に、議員提案の議員辞職勧告決議を否決し、同じく議員提案の問責決議案を賛成多数で可決している。
辞職勧告にしろ、決議された問責にしろ、事件を起こした議員の責任を問うていることに違いはない。それでもこの結果に何かモゾモゾしたものを背中に感じて居心地が悪かった。なぜだろうか。
責任感の認識求める問責、辞職求める辞職勧告
さて、採択された問責決議、提案された議員辞職勧告決議案は、次の内容となっていた。
石井敏郎議員に対する問責決議
令和2年12月23日、石井敏郎議員は車検切れの車を運転し、いわき市小名浜の店舗駐車場で、後退で出庫しようとした際、停車中の車と接触して、気付かず帰宅し、けが人はなかったと、報道されている。
警察は立件しなかったが、無車検は道路運送車両法違反に当たる。市議会議員は、法令を順守することはもとより、市民の代表として相応しい活動をすることが求められていることは言うまでもない。
「市民とともに未来をひらくいわき市議会基本条例」においては「高い倫理観の下、誠実かつ公正に職務を遂行するとともに、議員活動の透明性を確保し、市民からの信頼を保持すること」と議員活動の行動規範を規定している。
よって、石井敏郎議員に対し、いわき市議会及び市議会議員に対する市民の信頼を失墜させた責任を問い、市民の代表として高い倫理観と強い責任感を認識することを求め、問責する。
以上、決議する。
一方、否決された議員辞職勧告決議案は次の内容だった、
石井敏郎議員に対する議員辞職勧告決議
石井敏郎議員は令和2年12月23日午後2時過ぎ、小名浜の商業施設の駐車場において自家用自動車を運転中、駐車中の乗用車と接触、相手方に通報もせず走り去った。しかも、石井議員が乗車していた乗用車は約1ヶ月前に車検が切れており、道路運送車両法に違反する状態であった。これらは市議会議員という公職にあるものとして甚だ不適切な行動と言わざるを得ない。
本件は新聞紙上で報道され、市民の知るところとなったが、今月に至るまで本件の重大性に対する認識は不十分で、真摯に反省している態度は見受けられず、誠にもって遺憾の極みであり、慚愧に堪えないと言わざるを得ない。
これは「市民とともに未来を開くいわき市議会基本条例」第3条第5号「高い倫理観の下、誠実かつ較正に職務を遂行するとともに、議員活動の透明性を確保し、市民からの信頼を保持すること」に抵触するものである。
こうしたことから、石井議員は、公職である市議会議員としての政治的、道義的責任を免れることは出来ず、議員の職に止まることは市民感情からも許されるものではなく、事態の重大さを真摯に受け止め、ただちにその職を辞することを求めるものである。
今回の当て逃げに関して、当該議員は、ぶつけたことに気がつかなかったと釈明していた。いわき東警察署の事情聴取で事故を知った同議員は、被害者に謝罪し、車両保険の対応を進めていると報道されている。辞職勧告決議を否決し、問責決議を可決した市議会の判断は、ここらの事情を斟酌したのだろうか。
しかし、同じ2つの事件を取り上げながら、2つの決議案が出されたのか。そして、問責という、ある意味中途半端な決議が採択されたのか。おそらく、私のモゾモゾ感・・しっくりこないのは、そこらに原因がある。
2つの決議案の違いは反省のとらえ方の違いか
2つの決議案の違いは、本人の反省のとらえ方の違いだと思う。
辞職勧告は明確だ。当て逃げ・無車検運転の2つの事件に真摯な反省が見られないことから、市民感情からも議員の職に止まることは許されないので辞職しなさいという。逆にいえば、真摯な反省がみられるならば、決議は必要ないと考えているのだろう。
問責決議は反省をどうとらえているのだろうか。文章からは、本人の反省をどうとらえているかを読み取ることはできない。
問責は、当て逃げと無車検運転、この2つの事件の事実経過を記載した後、無車検運転のみを取り上げて、これが法律違反であるため議会と議員の信用を失墜させたとして、当該議員に倫理観と責任感を認識せよと求めている。つまり警察は立件を見送った法律違反という事実について、その責任を問う内容となっている。
そこで気にかかるのは、では、当て逃げは問題ないのか、ということだ。
法律違反という事実を問題とするなら、当て逃げも無視はできない。
今回の事故は大型小売店の駐車場(たぶん私有地)で発生している。私有地での事故だとしても、道路交通法は不特定多数が出入りする駐車場などでの事故の警察への通報義務を定めている。通報しないで走り去った今回のケースは、法律に違反する行為となる。従って、法律違反という事実を問題とするなら、当て逃げ、無車検運転の両方とも問題にしなければならないと考えられる。
しかし、問責決議は、無車検運転のみを問題視している。どうしてなのだろうか。
先にも書いた通り、当て逃げに関しては、当該議員は被害者に謝罪している。謝罪には、気づかなかった事故とはいえ引き起こされた事態への一定の反省の姿勢を含まれていると考えることができる。当て逃げは反省している。しかし、無車検運転には反省がない。このため決議採択の対象とした。このように考えて、問責決議が、一方の事件だけを対象にしたのかもしれない。
でもなぁ・・事件から半年、2つの事件について考える時間はたっぷりあったはずだ。その時間をかけても反省の色が見られないなら、「倫理観」と「責任感」を「認識」せよと決議することに、どんな意味があるのだろうか。反省しない人に、反省しろ、反省しろといっても、反省するものではない。私自身、自らの誤りを率直に正せない共産党地区常任委員会の問題でいやというほど見てきた。反省がないならば、反省がないことを踏まえた議会としての対応が必要になるのではないだろうか。それは何かを認識しろという程度のものではないと思う。認識しろを越えるもの・・辞職勧告だったのではないだろうか。
議員の問題行為に対する議会対応
もともと、議会が行う決議にはどのような意味があるのだろうか。
一般に問題行為があった議員には、住民によるリコールの他、議会が懲罰できることが定められている。懲罰には、戒告、陳謝、一定期間の出席停止、除名がある。除名されれば議員を失職することになる。
ただ懲罰は、議会の秩序維持等が目的とされ、議会内での言動が対象になる。たしかに、対象の幅を広げ、むやみやたらに発動されると、多数派が少数派を排除する危険な道具になりそうだ。そこで、議会外でおこされた不祥事など議会の品位を著しく傷つける行為については決議で議会の意思を示すことが行われている。
しかし、法定外の措置である。拘束力はない。当該議員が決議を無視しても強制することはできない。
過去に議員辞職勧告決議
そういう決議ではあるが、いわき市議では、過去に議員辞職勧告決議をしている。東日本大震災が発災した2011年の6月定例市議会だった。決議の対象となったのは、議員が公道を走行中に接触事故を起こしながら走り去った当て逃げ事故だった。
事故が発生する前、市政の関連事項を所管する常任委員会と特別委員会の正副委員長が打ち合わせするため、ビールが用意された会合をもっていた。散会後、車を運転した1人の議員が、久之浜地内でセンターラインからはみ出し対向車に接触、自車のドアミラーが倒れたことを認識しながら、走り去っていた。会合の席での飲酒の有無は確認できなかった。
各派代表者会議で、会合出席議員や事故をおこした当人に聞き取り調査をしたものの、市議会としての一致した対応で合意できなかった。そこで、当時、私が所属していた共産党市議団から議員辞職勧告決議案を提案、賛成多数で可決するに至った。この時点では検察に書類送検がされていたものの、処分は決定していなかった。この後、検察は同議員を略式起訴し、これを受け、当人の願い出により議員辞職となった。
市議会の議事録を検索しても、辞職勧告決議の採択はこの決議しかなかった。問責決議の事例は検索できない。
決議をただちに受け入れ辞職したものではなかった。しかし、略式起訴後の辞任に至った背景に、議会の意思としての決議があったことは間違いないと思う。議会の意思を示す意味は大きい。そして、これは議員の問題行動があった場合の、議員及び議会の規範の一つという意味も持つ。
その点から見れば、今回の決議の賛否は、昨年9月に当選した新議員の政治姿勢の一端を明確に示すことになったと思う。いわば、鏡のような役割だ。
決議は議員の政治姿勢を映し出す鏡
辞職勧告にしろ、問責にしろ、責任を問うという点に違いはない。何に責任を問うたのか、また、責任を問うた上で求めるものに違いがあった。
辞職勧告は、当該議員に真摯な反省が見られないために、辞職を求めるとしている。少なくとも、こうした決議に賛成した議員は、仮に、同様の立場に自分が立った場合、自らの行為を真摯に見つめ、反省を加え、再び問題を引き起こさないために最大限の努力を払うという考えを持っているだろう。そこには、場合によっては、自ら職を辞するという決意もあわせ持っているはず。従って、このような問題を起こさないよう強く身を律するものと思う
一方、問責は、当該議員の責任を問いながら、求めるのは倫理観と責任感の「認識」にとどまる。責任の自覚から「認識」まで、全て自らの身の内で処理される。本人の反省をどこで推し量ればいいのだろうか。かように、問責は、責任の問い方が非常に緩やかとなっている。
この緩やかさは、文章化されているわけではないが、「ある意味しょうがないよね」という意識があるからではないのだろうか。事故に気づかなかったからしょうがないよね、そういう意識だ。仮にその思いがあるとしたら、無車検運転でさえも、車検切れに気がつかなかったのでしょうがないよねとなりかねない。すると、そもそも決議の根拠がなくなってしまう。
この決議の緩やかさ。これで、議会内に議員としての倫理観を育てることに十分に取り組めるのだろうか。心配になってくる。
緩い対応で行政チェックに厳しく取り組めるのか
そもそも議会に求められているものは何なのだろう。
近年の議会改革の動きを踏まえて、市議会で採択した議会基本条例「市民とともに未来をひらくいわき市議会基本条例」の前文では、次のような規定を置いている。
1)執行機関の監視及び牽制はもとより、
2)市民参加を基礎に市民の代表として自由闊達な議論を行い、十分な審議及び審査を尽くし、
3)市民に対し積極的な情報発信を行うとともに、
4)市民の多様な意見の把握に務め、議会としての政策形成機能を強化するなど、
5)市民に身近で公平公正、透明性のある開かれた議会運営を通じて、姿勢に民意を反映させる。
おおまかにまとめれば、市議会の仕事は、市政のチェックと市政への提案、そして、市民に対する説明責任を果たすこと・・ということになるだろう。
このうち、市政へのチェックには2つの側面があると思う。一つは提案される議案等の可否の判断、もう一つは、行政執行上の問題点の改善・・の2つだ。
身内(ここでは同僚議員の意)に甘く、他に対してだけ厳しい姿勢では、批判される側がまともに取り合わない。こう考えると、チェック機能を発揮させるためには、自らの健全性を保つことが大切になる。面従腹背というが、表面上は取り扱う姿勢を示しても、腹の中では軽んじる。そういう扱いをされるのではないだろうか。自らをより厳しくみつめることをもってしてのみ、行政の執行の問題点を厳しく追及できると土台ができるものだと思う。
また、身内に甘い姿勢をとるならば、他に対して同じように甘い基準でものごとをとるようになりかねない。その結果、行政執行上の問題点をチェックすることも困難になるだろう。そうなれば、市民の不利益になるのではなだろうか。
決議への賛否
こうしたて見ると、問責決議が採択されたとはいえ、様々な問題があるように思える。その決議の採決状況は、次のように報道されていた。
最大会派志帥会の議員が「公職としては不適切な行動だ」として議員辞職勧告案を提出した。石井議員を含む退席議員四人と議長を除く三十二人の採決の結果、賛成十五、反対十七だった。他会派の議員から提出された問責決議案は、賛成十七、反対十五だった。
(
それぞれの会派の対応は、市議会のホームページで確認できる。議会改革の一環として、議案に対する会派の賛否が公表されているのだ。公表された賛否は次のようになる。
議員辞職勧告決議(案)
賛成(15人)
志帥会(11人・議長は除く)
公明党(4人)
反対(17人)
自民党一誠会(8人)
創世会(7人)
共産党(2人)
退席(3人)
つつじの会(3人)
除籍(採決に加われないため退席する・1人)
自民党改革の会(1人)
問責決議は、辞職勧告決議と賛否の会派・議員が入れ替わる。
当て逃げ・車検切れ車両運転問題は、公になった段階で、議員に対する市民の疑念をわきおこした。この問題を議会がどう処理するか関心を高めることになったと思う。その結果は、議会に対する市民の信頼を左右する問題になったものと思う。
今回のような結果に市民は納得したのだろうか。議員は特別という思いを抱いたのではないだろうか。今回の結果を見るにつけ、はなはだ残念な結末になったと思う。
議会率先の究明が必要だったのでは?
もう一つ残念なことがある。警察の対応をみて、議会としての対応を検討するとしていたことだ。
私はこの考えに異論を持っている。議会は、議会として、できうる限りの調査をし、独自の判断をすべきだと考えている。
議会基本条例「市民とともに未来をひらくいわき市議会基本条例」(2019年12月定例会可決)では次のようなことが定められた。
まず第2条「議会の活動原則」では、「議会は、市民を代表する合議制の機関としての責務を果たすため、次に掲げる原則に基づき活動するものとする」として、「⑵ 議員相互の活発な議論を通して結論を導き出し、市民への説明責任を果たすこと。」とした。
第3条「議員の活動原則」では、「議員は、市民の負託を受けた公職として、常に市民への説明責任が求められることを自覚し、その職責を果たすため、次に掲げる原則に基づき活動するものとする」として、「⑸ 高い倫理観の下、誠実かつ公正に職務を遂行するとともに、議員活動の透明性を確保し、市民からの信頼を保持すること。」としている。
また、「第3章 議会の機能強化」では、第4条「審議及び審査の充実及び活性化」として、「議会は、その意思形成過程を明らかにするとともに、自由闊達な議論を行い、十分な審議及び審査を尽くして結論を得る体制を確立するものとする。」としている。
こうした、議会基本条例の条文から読み取ることが出来るのは、議会自らの活動で、問題を究明して解決し、その経過など必要な情報を市民に説明する状況を作ることだったと思う。警察の調査を待って議会の対応を決めるのでは、議会の問題解決能力に対する市民の疑義を深めることになりかねない。
議会には、捜査権などの権限はないとはいえ、できうる限りの状況把握につとめ、それにもとづき判断し、その判断の理由を市民につぶさに説明することを求められるだろう。この条例の立場からも、警察の捜査とは別に、議会として調査・判断すべきだったのだろうと思う。
問題が公になってから、議会としての結論が出るまでに半年。その時間は余りに長すぎる。議会には、様々な問題に率先して、スピード感をもって対応することを期待したい。
問題発覚後、同議員がツイッターに6月に原付バイクを運転して移動していることが分かる投稿をしていることが指摘された。また、運転を見かけたという目撃証言が報道されてもいる。これらから、無免許状態の運転が状態化していたと疑惑が浮上している。さらに、選挙事務所に、昨年亡くなった元区議会議員の為書きが掲示されていた疑惑も浮上した。元区議は、今度の選挙に立候補していた対立候補の父親だという。亡くなった方が、しかも、対立候補に為書きを送るはずはない。この議員はどんな仁清の人なのか・・。
ちなみに問題の投稿があったと思われるツイッターを確認しようとしたら、承認された人以外は閲覧できない状態の「非公開」となっていた。このため、問題のツイート等は確認できなかった。
政治家のSNSは、自分の主義主張や政治活動、人となりをできるだけ多くの人に知ってもらうことなどが目的だろう。にもかかわらず、非公開の取り扱いとしていること自体が疑惑を裏付けていると考えざるをえない。
木下議員は、所属していた都民ファーストを除名され、1人で新会派を立ち上げた。一方、身の律し方に関しては何ら言及していない。批判をものともせず、まともな説明もないままに都議会に居座ろうとしているのだろう。批判の声が上がるのも当然だ。
いわき市議会でも当選直後の議員の問題行為
このケースで思い起こされるのが、昨年12月に発覚した、いわき市議会議員の当て逃げ・車検切れ車両の運転問題(以下、無車検運転)だ。
石井敏郎議員が、昨年12月に、小名浜地区のショッピングセンター駐車場で事故をおこしたにもかかわらず走り去った。その後、いわき東署の捜査で運転していた車両は車検切れであったことが発覚した。こういう事案だ。被害車両には子どもが乗っていたがケガはなかったという。報道を見ると、当人は事故に気がつかず走り去ったとされている。
事件発覚後、市議会は、警察の捜査の状況を見極めてから市議会の対応を検討することにしたという。3月になって警察の処分がないことが明らかになり、6月定例会の初日に、議員提案の議員辞職勧告決議を否決し、同じく議員提案の問責決議案を賛成多数で可決している。
辞職勧告にしろ、決議された問責にしろ、事件を起こした議員の責任を問うていることに違いはない。それでもこの結果に何かモゾモゾしたものを背中に感じて居心地が悪かった。なぜだろうか。
責任感の認識求める問責、辞職求める辞職勧告
さて、採択された問責決議、提案された議員辞職勧告決議案は、次の内容となっていた。
石井敏郎議員に対する問責決議
令和2年12月23日、石井敏郎議員は車検切れの車を運転し、いわき市小名浜の店舗駐車場で、後退で出庫しようとした際、停車中の車と接触して、気付かず帰宅し、けが人はなかったと、報道されている。
警察は立件しなかったが、無車検は道路運送車両法違反に当たる。市議会議員は、法令を順守することはもとより、市民の代表として相応しい活動をすることが求められていることは言うまでもない。
「市民とともに未来をひらくいわき市議会基本条例」においては「高い倫理観の下、誠実かつ公正に職務を遂行するとともに、議員活動の透明性を確保し、市民からの信頼を保持すること」と議員活動の行動規範を規定している。
よって、石井敏郎議員に対し、いわき市議会及び市議会議員に対する市民の信頼を失墜させた責任を問い、市民の代表として高い倫理観と強い責任感を認識することを求め、問責する。
以上、決議する。
令和3年6月10日 いわき市議会
一方、否決された議員辞職勧告決議案は次の内容だった、
石井敏郎議員に対する議員辞職勧告決議
石井敏郎議員は令和2年12月23日午後2時過ぎ、小名浜の商業施設の駐車場において自家用自動車を運転中、駐車中の乗用車と接触、相手方に通報もせず走り去った。しかも、石井議員が乗車していた乗用車は約1ヶ月前に車検が切れており、道路運送車両法に違反する状態であった。これらは市議会議員という公職にあるものとして甚だ不適切な行動と言わざるを得ない。
本件は新聞紙上で報道され、市民の知るところとなったが、今月に至るまで本件の重大性に対する認識は不十分で、真摯に反省している態度は見受けられず、誠にもって遺憾の極みであり、慚愧に堪えないと言わざるを得ない。
これは「市民とともに未来を開くいわき市議会基本条例」第3条第5号「高い倫理観の下、誠実かつ較正に職務を遂行するとともに、議員活動の透明性を確保し、市民からの信頼を保持すること」に抵触するものである。
こうしたことから、石井議員は、公職である市議会議員としての政治的、道義的責任を免れることは出来ず、議員の職に止まることは市民感情からも許されるものではなく、事態の重大さを真摯に受け止め、ただちにその職を辞することを求めるものである。
令和3年6月10日
いわき市議会
いわき市議会
今回の当て逃げに関して、当該議員は、ぶつけたことに気がつかなかったと釈明していた。いわき東警察署の事情聴取で事故を知った同議員は、被害者に謝罪し、車両保険の対応を進めていると報道されている。辞職勧告決議を否決し、問責決議を可決した市議会の判断は、ここらの事情を斟酌したのだろうか。
しかし、同じ2つの事件を取り上げながら、2つの決議案が出されたのか。そして、問責という、ある意味中途半端な決議が採択されたのか。おそらく、私のモゾモゾ感・・しっくりこないのは、そこらに原因がある。
2つの決議案の違いは反省のとらえ方の違いか
2つの決議案の違いは、本人の反省のとらえ方の違いだと思う。
辞職勧告は明確だ。当て逃げ・無車検運転の2つの事件に真摯な反省が見られないことから、市民感情からも議員の職に止まることは許されないので辞職しなさいという。逆にいえば、真摯な反省がみられるならば、決議は必要ないと考えているのだろう。
問責決議は反省をどうとらえているのだろうか。文章からは、本人の反省をどうとらえているかを読み取ることはできない。
問責は、当て逃げと無車検運転、この2つの事件の事実経過を記載した後、無車検運転のみを取り上げて、これが法律違反であるため議会と議員の信用を失墜させたとして、当該議員に倫理観と責任感を認識せよと求めている。つまり警察は立件を見送った法律違反という事実について、その責任を問う内容となっている。
そこで気にかかるのは、では、当て逃げは問題ないのか、ということだ。
法律違反という事実を問題とするなら、当て逃げも無視はできない。
今回の事故は大型小売店の駐車場(たぶん私有地)で発生している。私有地での事故だとしても、道路交通法は不特定多数が出入りする駐車場などでの事故の警察への通報義務を定めている。通報しないで走り去った今回のケースは、法律に違反する行為となる。従って、法律違反という事実を問題とするなら、当て逃げ、無車検運転の両方とも問題にしなければならないと考えられる。
しかし、問責決議は、無車検運転のみを問題視している。どうしてなのだろうか。
先にも書いた通り、当て逃げに関しては、当該議員は被害者に謝罪している。謝罪には、気づかなかった事故とはいえ引き起こされた事態への一定の反省の姿勢を含まれていると考えることができる。当て逃げは反省している。しかし、無車検運転には反省がない。このため決議採択の対象とした。このように考えて、問責決議が、一方の事件だけを対象にしたのかもしれない。
でもなぁ・・事件から半年、2つの事件について考える時間はたっぷりあったはずだ。その時間をかけても反省の色が見られないなら、「倫理観」と「責任感」を「認識」せよと決議することに、どんな意味があるのだろうか。反省しない人に、反省しろ、反省しろといっても、反省するものではない。私自身、自らの誤りを率直に正せない共産党地区常任委員会の問題でいやというほど見てきた。反省がないならば、反省がないことを踏まえた議会としての対応が必要になるのではないだろうか。それは何かを認識しろという程度のものではないと思う。認識しろを越えるもの・・辞職勧告だったのではないだろうか。
議員の問題行為に対する議会対応
もともと、議会が行う決議にはどのような意味があるのだろうか。
一般に問題行為があった議員には、住民によるリコールの他、議会が懲罰できることが定められている。懲罰には、戒告、陳謝、一定期間の出席停止、除名がある。除名されれば議員を失職することになる。
ただ懲罰は、議会の秩序維持等が目的とされ、議会内での言動が対象になる。たしかに、対象の幅を広げ、むやみやたらに発動されると、多数派が少数派を排除する危険な道具になりそうだ。そこで、議会外でおこされた不祥事など議会の品位を著しく傷つける行為については決議で議会の意思を示すことが行われている。
しかし、法定外の措置である。拘束力はない。当該議員が決議を無視しても強制することはできない。
過去に議員辞職勧告決議
そういう決議ではあるが、いわき市議では、過去に議員辞職勧告決議をしている。東日本大震災が発災した2011年の6月定例市議会だった。決議の対象となったのは、議員が公道を走行中に接触事故を起こしながら走り去った当て逃げ事故だった。
事故が発生する前、市政の関連事項を所管する常任委員会と特別委員会の正副委員長が打ち合わせするため、ビールが用意された会合をもっていた。散会後、車を運転した1人の議員が、久之浜地内でセンターラインからはみ出し対向車に接触、自車のドアミラーが倒れたことを認識しながら、走り去っていた。会合の席での飲酒の有無は確認できなかった。
各派代表者会議で、会合出席議員や事故をおこした当人に聞き取り調査をしたものの、市議会としての一致した対応で合意できなかった。そこで、当時、私が所属していた共産党市議団から議員辞職勧告決議案を提案、賛成多数で可決するに至った。この時点では検察に書類送検がされていたものの、処分は決定していなかった。この後、検察は同議員を略式起訴し、これを受け、当人の願い出により議員辞職となった。
市議会の議事録を検索しても、辞職勧告決議の採択はこの決議しかなかった。問責決議の事例は検索できない。
決議をただちに受け入れ辞職したものではなかった。しかし、略式起訴後の辞任に至った背景に、議会の意思としての決議があったことは間違いないと思う。議会の意思を示す意味は大きい。そして、これは議員の問題行動があった場合の、議員及び議会の規範の一つという意味も持つ。
その点から見れば、今回の決議の賛否は、昨年9月に当選した新議員の政治姿勢の一端を明確に示すことになったと思う。いわば、鏡のような役割だ。
決議は議員の政治姿勢を映し出す鏡
辞職勧告にしろ、問責にしろ、責任を問うという点に違いはない。何に責任を問うたのか、また、責任を問うた上で求めるものに違いがあった。
辞職勧告は、当該議員に真摯な反省が見られないために、辞職を求めるとしている。少なくとも、こうした決議に賛成した議員は、仮に、同様の立場に自分が立った場合、自らの行為を真摯に見つめ、反省を加え、再び問題を引き起こさないために最大限の努力を払うという考えを持っているだろう。そこには、場合によっては、自ら職を辞するという決意もあわせ持っているはず。従って、このような問題を起こさないよう強く身を律するものと思う
一方、問責は、当該議員の責任を問いながら、求めるのは倫理観と責任感の「認識」にとどまる。責任の自覚から「認識」まで、全て自らの身の内で処理される。本人の反省をどこで推し量ればいいのだろうか。かように、問責は、責任の問い方が非常に緩やかとなっている。
この緩やかさは、文章化されているわけではないが、「ある意味しょうがないよね」という意識があるからではないのだろうか。事故に気づかなかったからしょうがないよね、そういう意識だ。仮にその思いがあるとしたら、無車検運転でさえも、車検切れに気がつかなかったのでしょうがないよねとなりかねない。すると、そもそも決議の根拠がなくなってしまう。
この決議の緩やかさ。これで、議会内に議員としての倫理観を育てることに十分に取り組めるのだろうか。心配になってくる。
緩い対応で行政チェックに厳しく取り組めるのか
そもそも議会に求められているものは何なのだろう。
近年の議会改革の動きを踏まえて、市議会で採択した議会基本条例「市民とともに未来をひらくいわき市議会基本条例」の前文では、次のような規定を置いている。
1)執行機関の監視及び牽制はもとより、
2)市民参加を基礎に市民の代表として自由闊達な議論を行い、十分な審議及び審査を尽くし、
3)市民に対し積極的な情報発信を行うとともに、
4)市民の多様な意見の把握に務め、議会としての政策形成機能を強化するなど、
5)市民に身近で公平公正、透明性のある開かれた議会運営を通じて、姿勢に民意を反映させる。
おおまかにまとめれば、市議会の仕事は、市政のチェックと市政への提案、そして、市民に対する説明責任を果たすこと・・ということになるだろう。
このうち、市政へのチェックには2つの側面があると思う。一つは提案される議案等の可否の判断、もう一つは、行政執行上の問題点の改善・・の2つだ。
身内(ここでは同僚議員の意)に甘く、他に対してだけ厳しい姿勢では、批判される側がまともに取り合わない。こう考えると、チェック機能を発揮させるためには、自らの健全性を保つことが大切になる。面従腹背というが、表面上は取り扱う姿勢を示しても、腹の中では軽んじる。そういう扱いをされるのではないだろうか。自らをより厳しくみつめることをもってしてのみ、行政の執行の問題点を厳しく追及できると土台ができるものだと思う。
また、身内に甘い姿勢をとるならば、他に対して同じように甘い基準でものごとをとるようになりかねない。その結果、行政執行上の問題点をチェックすることも困難になるだろう。そうなれば、市民の不利益になるのではなだろうか。
決議への賛否
こうしたて見ると、問責決議が採択されたとはいえ、様々な問題があるように思える。その決議の採決状況は、次のように報道されていた。
最大会派志帥会の議員が「公職としては不適切な行動だ」として議員辞職勧告案を提出した。石井議員を含む退席議員四人と議長を除く三十二人の採決の結果、賛成十五、反対十七だった。他会派の議員から提出された問責決議案は、賛成十七、反対十五だった。
(
福島民報、6月11日付)
それぞれの会派の対応は、市議会のホームページで確認できる。議会改革の一環として、議案に対する会派の賛否が公表されているのだ。公表された賛否は次のようになる。
議員辞職勧告決議(案)
賛成(15人)
志帥会(11人・議長は除く)
公明党(4人)
反対(17人)
自民党一誠会(8人)
創世会(7人)
共産党(2人)
退席(3人)
つつじの会(3人)
除籍(採決に加われないため退席する・1人)
自民党改革の会(1人)
問責決議は、辞職勧告決議と賛否の会派・議員が入れ替わる。
当て逃げ・車検切れ車両運転問題は、公になった段階で、議員に対する市民の疑念をわきおこした。この問題を議会がどう処理するか関心を高めることになったと思う。その結果は、議会に対する市民の信頼を左右する問題になったものと思う。
今回のような結果に市民は納得したのだろうか。議員は特別という思いを抱いたのではないだろうか。今回の結果を見るにつけ、はなはだ残念な結末になったと思う。
議会率先の究明が必要だったのでは?
もう一つ残念なことがある。警察の対応をみて、議会としての対応を検討するとしていたことだ。
私はこの考えに異論を持っている。議会は、議会として、できうる限りの調査をし、独自の判断をすべきだと考えている。
議会基本条例「市民とともに未来をひらくいわき市議会基本条例」(2019年12月定例会可決)では次のようなことが定められた。
まず第2条「議会の活動原則」では、「議会は、市民を代表する合議制の機関としての責務を果たすため、次に掲げる原則に基づき活動するものとする」として、「⑵ 議員相互の活発な議論を通して結論を導き出し、市民への説明責任を果たすこと。」とした。
第3条「議員の活動原則」では、「議員は、市民の負託を受けた公職として、常に市民への説明責任が求められることを自覚し、その職責を果たすため、次に掲げる原則に基づき活動するものとする」として、「⑸ 高い倫理観の下、誠実かつ公正に職務を遂行するとともに、議員活動の透明性を確保し、市民からの信頼を保持すること。」としている。
また、「第3章 議会の機能強化」では、第4条「審議及び審査の充実及び活性化」として、「議会は、その意思形成過程を明らかにするとともに、自由闊達な議論を行い、十分な審議及び審査を尽くして結論を得る体制を確立するものとする。」としている。
こうした、議会基本条例の条文から読み取ることが出来るのは、議会自らの活動で、問題を究明して解決し、その経過など必要な情報を市民に説明する状況を作ることだったと思う。警察の調査を待って議会の対応を決めるのでは、議会の問題解決能力に対する市民の疑義を深めることになりかねない。
議会には、捜査権などの権限はないとはいえ、できうる限りの状況把握につとめ、それにもとづき判断し、その判断の理由を市民につぶさに説明することを求められるだろう。この条例の立場からも、警察の捜査とは別に、議会として調査・判断すべきだったのだろうと思う。
問題が公になってから、議会としての結論が出るまでに半年。その時間は余りに長すぎる。議会には、様々な問題に率先して、スピード感をもって対応することを期待したい。
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