伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

終戦記念日

2021年08月15日 | 平和・戦争
 注目されるのは、菅首相がどんな式辞をするのか、また、天皇はどんな言葉を述べるのか。そこにあった。

 菅首相は、この間、広島、そして長崎の平和式典で物議を醸した。広島式典では、あいさつの一部を読み飛ばし、意味が通じないあいさつとなってしまった。たしかに首相のあいさつの途中で、画面上のテロップが止まり、テロップとは違うスピーチをしていることに違和感をもった。首相がもともと用意された原稿を良しとせず、別の原稿に差し替えてしまったのかとまで思った。それが単純に読み飛ばしだったとは。

 読み飛ばした部分には、わが国の核兵器廃絶への取り組みと、今後の取り組み姿勢にかかわり「『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要」と述べる部分であり、このあいさつの中で最も、核兵器廃絶を願う人々の心に沿った部分だった。もしかしたら、憶測は間違っていなかったのかと、かんぐりたくもなる。

 また、長崎の式典では、開式時刻に1分遅れての到着となった。

 首相は、読み飛ばしは、読み原稿がノリでくっついていたためうまくめくれなかったなどと事務方のミスと釈明していた。また、長崎の遅刻も、「事務方による時間管理上の不手際」と、これも事務方の責任にした。何か問題があれば、事務方の、秘書の、と他者の責任にする。こうした姿勢には、大いに疑問を感じる。

 報道番組等で、コメンテーターなども指摘しているが、そもそも、原稿に事前に目を通していれば、原稿の以上に気がつき、間違いは起きなかったはず。そんなに長い原稿でもないので、移動の時間にでも目を十することは可能だったはずだ。首相が、しっかり日本政府の立場を伝えようとするならば、原稿の読み方でも工夫を凝らそうとするだろう。

 秋葉元広島市長は、首相の関心のなさを批判していた。
 「重要なのは、彼の心が単にそこになかった、ということだ。戦争犠牲者への関心がないし、新型コロナ感染で日本人に何が起きたかにも関心がない。台風や地震災害、その他のことでも同様だ。スピーチには、悲劇、悲しみ、今後人々にもたらされる痛みを自分の言葉で共有するという感覚が全くない」(J-CASTニュース 、2021/8/6)

 そう言われれば、首相の会見等の映像に見る乏しい表情は、「関心がない」表情と見えなくもない。

 さて、戦没者追悼式典では、そのようなこともなかったようだ。用意された式辞の原稿を淡々と読み上げた。

 式辞では、アジアに対する侵略戦争への反省と謝罪を表明した村山首相の談話以来踏襲された反省を削った安倍首相を継承し、その問題には一切触れていない。一方、「わが国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と力を合わせながら、世界が直面するさまざまな課題の解決に、全力で取り組んでまいります」と、積極的平和主義も安倍首相から継承した。この考え方は、集団的自衛権行使は合憲の憲法解釈変更で安保法制に道を開く一つのキーワードになった言葉だ。

 安保法制は、当初、米軍の後方支援や米艦防護など集団的自衛権行使を実施できるようにするものだった。いま、集団的自衛権の範囲が、欧州やオーストラリアに拡大されるなどの事態がある。首相のあいさつは、戦力(防衛力)での国際協調をさらに拡大しようとする意欲にあふれているものにみえる。

 あらためて「積極的平和主義」を調べて見た。「〈平和〉を戦争のない状態と捉え,戦争の回避や防止を追求する〈消極的平和〉概念に対して,貧困,抑圧,差別などの構造的暴力の解消をめざす〈積極的平和〉の概念」(百科事典マイペディア)としている。一方、「安倍内閣が掲げる『積極的平和』は、むしろ軍事的均衡で単に戦争のない状態を維持するだけの『消極的平和』(negative peace)の考えに近いという指摘がある」(知恵蔵)としている。すなわち、安倍首相の「積極的平和主義」は誤用だったわけだ。

 誤用ではあっても、「積極的平和主義」で軍事協力拡大をすることが安全保障体制の強化につながるとして、集団的自衛権行使の部隊として自衛隊の活動を拡大してきたということになるわけだ。

 首相は「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない、この信念をこれからも貫いてまいります」と式辞にのべている。〝信念〟は日本国憲法に示されたものに違いない。憲法は前文で、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」としている。今の政府の姿勢は、この憲法に記された〝信念〟とは別物にしか見えない。なぜなら、前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」としている。「公正と信義に信頼」する、すなわち、外交問題を解決する際は外交交渉・・話し合いで解決することを〝信念〟としているからだ。

 この文脈を素直に読み解くならば、式辞にある「積極的平和主義の旗の下、国際社会と力を合わせ」とはならないだろうと思うのだ。まずは、「積極的平和主義」の正しい考え方に沿って、軍事面での協力拡大ではなく、「貧困,抑圧,差別などの構造的暴力の解消」をめざした取り組みを展開し、戦争や紛争の火種をなくしていくことを中心に据えて、国際社会に働きかけていくことこそ、戦後の日本がめざしたことだったのではないだろうか。

 天皇は、「過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」「世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」としていた。首相の式辞から反省の言葉から反省の言葉が消えたこととは、一線を画すようだ。もちろん天皇は政治に関わることは許されない。しかし、憲法を正しく理解し、その立場を正しく伝えたのは、天皇のあいさつだったのではないだろうか。

 天皇の国事に関する全ての行為は、内閣の承認のもとに行うとなっていた。このあいさつもその範疇に入るのだろうか。まあ、そこはともかく、立憲主義の立場に立つなら、首相の式辞も変更することが必要なのではないかな・・。


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