伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

地域の技術を受け継いで・・遠野和紙・楮保存会が発足

2022年06月26日 | 遠野町・地域
 遠野和紙は、遠野町で育成したコウゾとトロロアオイを利用して製造される。遠野和紙ボランティアは、コウゾの育成と、コウゾの枝から剥き出す和紙の材料・白皮を生産する活動を、遠野地区に導入された地域おこし協力隊とともにすすめてきた。

 ただ、現状は、ボランティアメンバーの固定化などで人手の確保に難があり、将来的に事業を継続し、和紙の材料を地元で確保し和紙の技術を継承するためにも活動の目的等を明確にしながら、活動体制を強化していくことが求められていた。

 発足した保存会は、その活動目的を、コウゾとトロロアオイの栽培、遠野和紙の技術。製造道具等を保存継承することを明確に定款にうたった。役員は、現在、ボランティア活動に参加する人たちが参加することになる、私も会計を担当することになった。

 発足の総会を終えた後開かれた、谷野裕子氏の記念講演会とパネルディスカッションでは、谷野氏が、保存会への期待とともに細川紙の現状や取り組みなどを語った。



 谷野氏は、遠野地区の保存会結成について、遠野和紙では粘り強い活動が続けられており、ビデオでみた丁寧な紙づくりをしていた(故)瀬谷さんの和紙漉きを生きているときに拝見にくるべきだったと語り、会は、遠野和紙の漉き方、歴史、水と空気、地域の技術を踏襲して和紙を作っていってくださいと呼びかけ、遠野が産地としての一角を担うことに期待をのべた。

 また、細川紙の取り組みでは、谷野氏の工房でもコウゾづくりでは地域の方々に手伝ってもらっているという。また、同地域にJAXA(宇宙航空研究開発機構)の出先機関(たぶん地球観測センター)があり、その事業所の福利・厚生の一環としてコウゾづくりに取り組んでくれたという。最初に渡した50本の苗はうまくいかなかったようだが、現在は1,000本の株を育てているという。

 谷野氏は紙漉きをするつもりで職人になったものの、一人でできることは何もなかったという。コウゾの育成から刈り取り、皮の処理(しょしとり)、ちり取り、打解など、紙漉きにいたる大部分の作業は、材料づくりとなる。しかも、より多くの紙を漉こうとするなら、コウゾも、トロロアオイも大量に必要となる。それを一人の力で用意することはたしかに難しいだろう。和紙は、多くの人の力の結晶らしい。

 細川氏はユネスコ無形文化遺産記載登録されている。登録に至るまでは紆余曲折があったらしい。先行して登録した島根県の石州半紙(せきしゅうばんし)が、埼玉県の細川紙、岐阜県の本美濃紙の追加登録で障がいになったという。同じものをいくつも登録することに理解が得られなかったというのだ。そこで、石州半紙の登録をいったん取り下げ、まとめて申請する手法で文化遺産としての登録を果たしたという。

 ユネスコの登録は、製品である和紙単独ではなく、和紙製造にいたる一連の技術の登録となっているという。和紙は、「みんなの力が一体になって登録された。保存会はだからこそ貴重」と谷野氏はいう。地元のコウゾを使って和紙を作ろうとしている遠野で、コウゾの育成をしようとしている保存会は大事と強調した。

 同時に「経済を回す紙も必要」と強調した。そう、和紙の技術を伝承する資金を継続的に用意することは必要だ。講演では、壁紙やドレスの素材として和紙を利用している事例などをスライドも使って紹介した。

 和紙の需要をどう喚起するかは常々課題だと思っている。工夫で道を開く。参考にしたい。



 講演後のパネルディスカッションは、谷野氏と細川氏のコウゾ畑を管理している土田氏に加え、地元から保存会員と地域おこし協力隊員、支所職員、計9名がパネラーとなり、遠野支所長の進行のもと進められた。形式は、どちらかというと座談会的なものとはなったが・・。

 ここでは地元パネラーの意見や質問に、谷野氏が答えるという形となり、講演では語りきれなかったアイデアなどが披露された。

 いま、遠野和紙は一部の市内小中学校や高校の卒業証書として活用されている。貯め漉きという手法で1枚1枚作成され、印刷や記名等を経て卒業生の手に渡っている。これを市内小中学校の全校まで広げたいが、現状では材料となるコウゾの生産量が追いついていない。谷野氏の工房で近隣の方々にお願いして育ててもらったコウゾの枝を買い取ることも含めて、材料の確保を図っているという。先に書いたJAXAの例もこの一環だ。

 和紙との関わりを持つ人を増やし資金を確保するという観点からは、谷野氏はワークショップなどイベントの実施と参加費の徴収という取り組みを紹介した。ワークショップの中にお金を払っても参加したいと思えるような魅力を加えたプログラムを作り、一定の金額を徴収しているようだ。そしてこうした取り組みを観光化することも考えてみるといいと言った。こうした取り組みが、和紙の技術に触れる人を増やすことになり、加えて企業体や学校等との協力を拡大することを考えていくことも大切ではないかと語った。

 講演会に参加した聴講者からは、市内施設での障子等に遠野和紙を活用することなどの提案があった。また、児童生徒の書道作品の発表の場を用意する活動を進める書優会の関係者から、作品展に向けて、遠野和紙を利用したいと考えており、必要な枚数の確保を依頼する発言があった。地域おこし協力隊が結んだつながりだった。

 さて、私自身は、活動参加者を広げることについて、平日のみの活動の現状では有職者の参加が難しく、土日休日の活動にも対応できる体制づくり、場合によっては専従者の配置が必要になると考えられ、活動資金の確保も重要になるなどの発言をした。もちろん、役に立ちたいという善意や生きがいとしての活動参加も大歓迎なわけだが。

 一連の講演や意見を聞く中で2つのことを考えた。

 1つは、和紙漉きのしっかりした技術の存在が和紙にかかわる人の環を広げ、活動参加者の増加につながると考えられることだ。

 谷野氏は、ワークショップ等の参加者や書道の関係者が紙を学ぶ関係で和紙に触れ、その体験から和紙そのものの作成にかかわる人がいることなどを発言した。こうした方々が、より和紙を知るためには、和紙そのものを漉く技術を持った存在が欠かせない。また、和紙の歴史や和紙の質の科学的な理解、和紙ができあがるまでの過程の理解が必要になるだろう。全てを体現できるのが、和紙漉きの技術を持った人の存在だと思う。

 そう考えると、遠野地区にも、地域等と連携しながら、しっかりと和紙を漉く技術を持った技術者を育成することが大切なようだ。

 もう1つは、現場と行政の距離の問題だ。
 小規模の自治体では、その地域の産物について、広報も含めて自治体が一定の役割を果たしている事例が見られる。

 かつて話を聞いた「つまもの」で名をはせている徳島県上勝町では、農家の収入を支える産物が霜か何かでほぼ全滅したことから、新しい事業を想起するために、町が農協に人件費分を補助することで人材の確保を図り、これが成功し、土地の新たな産物「つまもの」を全国シュアの7割まで押し上げた。秋田県の藤里町では、事業を進める中で把握した引きこもり者の社会復帰を図ろうとした社協が、町長に掛け合い必要な予算措置をとり事業化していった。

 いずれも小規模な自治体で、住民等の訴えが意思決定機関(最終的には自治体の首長)に届きやすい。住民の意思が、直接、意思決定に反映しやすいのだ。

 ところが規模が大きくなったいわき市の場合、支所までは住民の意思が直接届くのだが、支所から本庁の担当部署に上がった段階で、その意思は、市内の各地区から寄せられる多くの意思のうちの一つになってしまう。いいかえれば、支所段階では1分の1だった意思が、本庁の段階では13分の1(支所と本庁所在地の合計数が13)以下になってしまう。この距離感が、遠野和紙の対する自治体としての力の入れ方の強弱につながっているのではないか。仮に、ここが遠野町という一つの自治体だったなら、おそらく遠野和紙は、自治体を挙げた取り組みの一つとして取り組まれていただろうと思う。

 自治体としての取り組みが違えば、企業や学校等との連携も違ってくるように思う。現在、遠野和紙は、卒業証書用紙としての買い取りの支援を受けている。国の制度ではあるが、地域おこし協力隊員の配置もその一つとはなる。しかし、それでいいのだろうか。何と言われれば、私自身は関わりがまだ薄くて上げられないのだが、支所にとどまらず本市を挙げての取り組みが期待されるところだ。

 さてさて今日は暑かった。
 まずコウゾ畑で、コウゾの施肥のタイミングや枝の間引き、芽かきなどの方法について学んだ。



 その後に和紙工房「学舎」に移動し、和紙の流し漉きのアドバイスを受けた。地域おこし協力隊員2名と私も含む2名の保存会員が、和紙を漉いてみた。それぞれ、漉き方にアドバイスをいただいたが、聴いていて、漉き方に正解はないんだなあという思いも沸き起こった。

 まあ、私が漉いた紙には、紙の中間付近と手前にしわが寄ってしまったのだが、谷野氏は、簾桁の振りが強い一方、ネリの効きが弱まっていることが原因と指摘してくれた。

 備忘録的にアドバイスを書いておきたい。

 一つは、コウゾの繊維とトロロアオイを溶かす漉き船の水位のとり方。漉き船全体の高さは30数㎝あるのだが、水の量は突き立てた手のひらの半分10㎝程度にする。考えてみれば合理的だった。水位を高くすると、簾桁の下に水があたり、漉いた和紙のしわ等の原因になる。また、水の量を多くすれば、ネリを聞かせるために、より多量のトロロアオイの根が必要になる。材料の効率的な活用のためにも水位は低くすることが妥当なようだ。

 また、和紙の材料を溶かし込んだ漉き船の水(紙料)をすくいとる際、桁巣を水に沈める感覚ではなく、桁を使って紙料を手前に寄せて簀桁に乗せる感覚で実施する。十分にできるわけではないが、この感覚は練習でつかんでいる。そしてくみ上げた後1呼吸置き、桁状の水が落ち着くのを待って振り始める。

 紙の表面を作る目的でする化粧水は、漉く紙の使用目的との関係で実施する場合としない場合があるようだ。そうかやればいいという事ではなかったのか・・驚き。

 谷野氏も実際に漉いて見せてくれた。



 一つ一つの動きに無駄がなく、簾桁の上の水に立つ波も美しい。達成しないまでも、この波を目指して紙すきをしたいものだ。

 気温は30度を超えている。トロロアオイのネリは18度(たしか?)を超えると粘性を失いやすい。従ってこの気温の中での紙漉きは普通実施しない。ネリを根から取り出す際も、根を十分もみし出し、持ち上げ、ネリを空気に触れさせながら取り出すことが必要だという。こうして聞いていると、学ぶことはたくさんありそうだ。

 また、簀桁の紙を積み上げる際には、積み上げる台の手前側の簀の下に指を入れて、積み上げた和紙との間に隙間を作りながらガイドに合わせて積んだ和紙の上に簀を広げ、手前を素早く持ち上げて紙から簀をはがし取り去っていく。このような感じらしい。

 協力隊員と私など保存会会員が漉いた回数は1度だけだったが、谷野氏からのアドバイスはありがたかった。

 説明を聞いていると、自分の不出来が浮かび上がる。何とか、何とか、和紙漉きの技術を一定程度身に着けたいものだ。


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2 コメント

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地域の意見 (Unknown)
2022-06-29 12:00:35
本文中
「支所段階では1分の1だった意思が、本庁の段階では13分の1(支所と本庁所在地の合計数が13)以下になってしまう。」
とありましたが、
実際は、13+本庁事業課(例えば100)分の1くらいに考えたほうがいいのかもしれない。
いわき市では、地域の意見はそれくらい届きにくいのではないかと。
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なるほど (伊藤浩之)
2022-06-29 16:43:30
担当課に届いた段階を想定しながら13分の1としましたが、なるほどその考え方もありますね。

担当課の担当者に届いた段階で13分1、そこから係長、課長補佐、課長に届くまでの間に、その担当課が所管する諸々の事業の中に埋め込まれ、
これがさらに、次長、部長に届くまでの間に、他の課の事業の中に埋め込まれ、
そこからさらに副市長、市長と届くことを考えれば、いろんな事業の優先度というフィルターの中で陰が薄くなっていきそうですね。
顔が見えにくい自治体って困った物ですね。
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