忘れていた。もうすでに新聞で報道されているが、衆院福島5区と9月9日投票のいわき市議選に日本共産党が公認する予定候補者を6月25日に発表していた。
福島5区には、衆院選4度めの挑戦となる吉田英策氏、市議選には現職の私(伊藤浩之)、高橋明子、溝口民子、渡辺博之の4人が公認候補として挑戦することになる。
(写真は左から渡辺博之、伊藤浩之、吉田英策、菅野委員長、高橋明子、溝口民子)
吉田氏は県内原発の廃炉を求めることを始め、被災地住民の要求実現のために全力をあげる決意を語りました。
また記者から、市議選の候補者を追加する予定はあるかということと定数3削減の中での4人擁立の意味について質問があった。
定数削減の関係には私から、「市議団としては、定数削減に反対しました。昨年の東日本大震災と原発事故で、多くの市民のみなさんが被災しているときに、市民の声を行政につなぐ役割の議員を減らすということは、それだけ市民の声が市政に届きにくくなることを意味します。こういう時だからこそ、最低限、議員定数は現状と同じくしておくことが必要です。結果的に賛成多数で削減が決まりましたが、定数が削減されたもとで、現有4を撮ることができれば、議会内での比重は今以上に大きくなるわけですから、その力を発揮して、市民のみなさんの声を市政に届けるためにがんばります」という主旨で回答をした。
さて、定数削減は昨年12月定例会で決められたわけだが、この時、反対討論に立ちました。議会終了後に、定数削減に賛成した議員からも「私も同じ思いです」と声がかけられたり、原稿をくれと言われたり、内容は良かったようなのだが…。次に載せておきますので、少し長いですが、時間があればお読みください。
議員定数削減に反対した討論(2011年12月定例会)
24番、日本共産党いわき市議団の伊藤浩之です。
提案されました議会案第1号いわき市議会議員定数条例の改正については、市議会議員の定数を現行40名から3名減らして37名にしようとするものですが、私は本案に反対の立場から討論いたします。
議員定数がいかにあるべきかは、単に数の問題としてとらえるのではなく、日常における議員活動のあり方、そして何よりも、議会に求められるチェック機能の発揮と民意の市政への反映という役割をしっかり発揮するために、どれだけの議員が議会に必要かという観点を含む議会活動の総体の中でこそ、論じられるべきものと考えます。
今回提案された定数3削減案は、その提案理由で、行財政改革と震災で経費の節減が求められること、県内外の市町村で議員の定数が減少傾向にあること、そして本年8月1日から施行された改正地方自治法で、議員定数の上限が撤廃されたことを背景としながら、「地方分権にふさわしい議事機関・監視機関としての機能を発揮しつつ、民意を的確に反映できる議会に向けて議員が自らその定数を判断」するとして提案されたものです。
そしてどのような理由から3削減とする判断をしたかについては、「慎重に議論を重ねた結果、本市の広域性などにかんがみ、現員「34名」を3人上回る「37人」が至当との結論に至った」とするだけで、なぜ3名削減なのか、なぜ37名が妥当なのか、その真意が残念ながら伝わってこないものでありました。
ここで使われている「至当」という言葉。私にとっては、なじみの薄い言葉でしたので、辞書を開いてみました。その意味するところは、質疑の答弁にありましたように「至って当然なこと。至極適当なこと」です。今回の提案の文脈から見ますと、後段の「至極適当なこと」が、もっともぴったりくる意味合いかと思います。
そして「適当」とはどういう意味なのか。辞書には「ある状態や目的などにほどよくあてはまる」とありました。この意味をひもといた時、今回提案された3名削減し、37名という定数がどういう意味合いを持つものなのか、どういう経過で定まってきた数字なのか、その苦渋の判断が、おぼろげながら見えてくるようであります。
かつて本市議会で定数削減が問題になった折、ある新聞は、「定数削減には、様々な思惑が絡む。議員自らが自分たちの定数を決めることにも問題がある。駆け引き先行で透明性に欠け、市民の声が果たして反映されたのか疑問が残る。定数削減は議員のリストラではない。いわき市の場合、議員は何人必要なのかの発想が、まず必要ではないだろうか」と書きました。
議員の定数は、本来、市民が参政権をいかに行使するかの問題であり、そうであるならば、市民的議論の中でこそ、定数がどれだけ必要かを決定していくというプロセスが必要だということでしょう。
いま、市民の声としては「議員が多すぎる」、震災後「34人でやれているのだから、6人減らしてもいい」などが聞こえてきます。その言葉に隠された真意は、議会活動、議員活動に対する批判であると同時に、いっそう議会の役割発揮をするために努力を求める叱咤激励であるという点にこそあることを、しっかり受け止めることこそが大切であると考えます。
この議会活動、議員活動の改革がなくして、どれだけ議会定数を減じても、市民の議会に対する批判はなくなることはありません。
以上のことを踏まえながら、本案の問題点を以下、述べたいと思います。
本案の問題点の第一は、定数を削減することで、地域と住民の声を市政に届け、反映するという議会と議員の役割を遂行する上で、後退をもたらすという点です。
本案どおり定数を3削減するということになると、議会定数が40名の現在、1人当たりの市民数は今年12月1日現在の人口を基礎に計算すると8,501人となると答弁がありました。類似の広域都市の平均は8,430人で、ほぼいわき市は平均値となっています。ところが3名減るといわき市は9,190人となり、幅広い市民の声を一人ひとりの議員が集約していく上では、類似都市に比べても、たいへん困難な状況を作り出すことになります。どんな状況であろうと、議員が鋭意努力することはもちろん大切なことですが、いたずらに定数を削減することで、困難な状況を拡大することには問題があるといわざるを得ません。
また、民意の反映の方法は、議会ばかりではないといわれます。確かに意識調査を行ったり、意見を聞いたりすることは、他の方法でも出来るものの、議決権を持って民意の反映を執行部にせまることができるのは議員だけであり、また、議案提案権を持って民意の反映を執行部にせまることができるのも議員だけです。単なるアンケートやパブリックコメントなどに、議員の代替ができるものではありません。
震災以前も、震災以後も、市民から、議員の姿を見ないという声を聞くことがありました。それは、議会活動のあり方、議員活動のあり方の見直しが必要なことを示しています。また、1968年、昭和43年に48名いた議員は、1991年・平成3年に44名に、1999年・平成11年に42名に、さらに2003年・平成15年に40名にと定数削減がすすみ、議員が市民から遠い存在になってきたことも一つの要因となっていることを見ることが必要だと思います。この状況を拡大することがあってはならないのはもとより、この状況を克服するために、定数削減ではなく、本市議会がいっそう真剣に議会改革全般に取り組んでいくことこそ求められていると考えます。
第二の問題点は、議会の行政に対する監視機能、いわゆるチェック機能を低下させるという問題です。
議会がチェック機能を発揮するためには、一人一人の議員に、市民の立場に立って議案をしっかりと審議し、市民の声を反映させて判断していくという努力が求められています。同時に、市民の付託を受け、市民に代わって市政をチェックする議員を、必要かつ十分な人数を確保することが必要だと思います。
その祭、参考の一つになるのが常任委員会です。いわき市の常任委員会の設置数は、かつて6つあったものが、議員定数の削減に伴って5つに減り、一つ一つの委員会では審議範囲が拡大してきました。1つの委員会の委員数も8名から9名程度になっていました。仮に37名の定数となれば、委員会に7名と8名が所属することになります。この1名の減は、チェック機能の低下につながりかねない問題があります。
市民の中には、多様な意見、考え方が存在します。議会制民主主義をとっている社会において、その多様な意見、考え方を、議会に吸い上げることが求められます。その意見、考え方には多数派、そして少数派が存在することになりますが、委員会制をとっている地方議会で、委員会での結論が本会議での結論にほぼなっていることを考えれば、本会議に多様な考え方が反映されるにとどまらず、委員会の段階で、少数意見を含む多様な意見を無理なく反映できる議員数となること、すなわち少数会派、無所属を含めた議員が入れるだけの一定の数を確保することが、民主主義を健全に発揮させるために求められています。少数精鋭によるべきという考えは、この少数意見を排除することにつながりかねず、民主主義の健全な発展に逆行しかねない。
また、地方分権の推進がいわれる昨今、分権がすすめばすすむほど、地方議会がチェックすべき分野は拡大します。また、東日本大震災と原子力発電所の事故による放射能の拡散という事態のもとで、この事態を克服していく上で、本市議会と議員が果たす役割にも大きなものがあると言わざるを得ません。こうしたことからも今回の定数削減の提案には問題があります。
第三の問題点は、かつて、定数削減は「新顔出馬を牽制するのが狙い」と報道された経過があるということです。
考えてみれば、定数削減がなされれば、当選に必要な得票数が引きあがることは必定で、いわゆる地盤・看板が大きく物をいう選挙になっていくことは明らかです。
地盤・看板は、現職でかつベテランであればある程、盤石なものとなってくることが一般的と思われますので、議員として市政に関りたいという意欲ある被選挙権を持つ市民を、立候補から遠ざけかねない問題が浮上してくることになります。定数削減は、現職議員には痛みが少なく、その現職が決めたルールの上で等しく争わされる新人には痛みが大きいということができます。民主主義ということを考えたときに、これでいいのか大いに疑問があるところであります。
質疑では、定数3名の削減で2011年度当初予算比で0.04%の予算削減になるとされましたが、そのために民主主義に重荷を背負わせることは妥当といえるはずがありません。
また、議会が地域の声を吸い上げる機能を持っていることを考えれば、当選ラインが引きあがることで、比較して有権者が少ない地域の候補者が当選しがたい状況となりかねません。議員一人ひとりが市全域の立場に立って考え、行動することは至極、当然のことであります。しかし、同時に、地域で身近な代弁者として活動することは、市全域の立場に立って活動する一部を担う大切な議員の活動であります。地域がなくて、市内全域は、当然ないのであります。定数削減には、中山間地をはじめとした人口減少地域の声が反映しがたくなる弊害をもたらしかねない点でも、大きな問題があるといわざるを得ません。
以上討論してきましたように、議会定数を3名減らし、37名としようとする本案には、問題が多々あります。議員のみな様が改めて本案について熟慮していただいて、本案に否の結論を出していただけるよう、心からお願い申し上げて、討論を終わります。
福島5区には、衆院選4度めの挑戦となる吉田英策氏、市議選には現職の私(伊藤浩之)、高橋明子、溝口民子、渡辺博之の4人が公認候補として挑戦することになる。
(写真は左から渡辺博之、伊藤浩之、吉田英策、菅野委員長、高橋明子、溝口民子)
吉田氏は県内原発の廃炉を求めることを始め、被災地住民の要求実現のために全力をあげる決意を語りました。
また記者から、市議選の候補者を追加する予定はあるかということと定数3削減の中での4人擁立の意味について質問があった。
定数削減の関係には私から、「市議団としては、定数削減に反対しました。昨年の東日本大震災と原発事故で、多くの市民のみなさんが被災しているときに、市民の声を行政につなぐ役割の議員を減らすということは、それだけ市民の声が市政に届きにくくなることを意味します。こういう時だからこそ、最低限、議員定数は現状と同じくしておくことが必要です。結果的に賛成多数で削減が決まりましたが、定数が削減されたもとで、現有4を撮ることができれば、議会内での比重は今以上に大きくなるわけですから、その力を発揮して、市民のみなさんの声を市政に届けるためにがんばります」という主旨で回答をした。
さて、定数削減は昨年12月定例会で決められたわけだが、この時、反対討論に立ちました。議会終了後に、定数削減に賛成した議員からも「私も同じ思いです」と声がかけられたり、原稿をくれと言われたり、内容は良かったようなのだが…。次に載せておきますので、少し長いですが、時間があればお読みください。
議員定数削減に反対した討論(2011年12月定例会)
24番、日本共産党いわき市議団の伊藤浩之です。
提案されました議会案第1号いわき市議会議員定数条例の改正については、市議会議員の定数を現行40名から3名減らして37名にしようとするものですが、私は本案に反対の立場から討論いたします。
議員定数がいかにあるべきかは、単に数の問題としてとらえるのではなく、日常における議員活動のあり方、そして何よりも、議会に求められるチェック機能の発揮と民意の市政への反映という役割をしっかり発揮するために、どれだけの議員が議会に必要かという観点を含む議会活動の総体の中でこそ、論じられるべきものと考えます。
今回提案された定数3削減案は、その提案理由で、行財政改革と震災で経費の節減が求められること、県内外の市町村で議員の定数が減少傾向にあること、そして本年8月1日から施行された改正地方自治法で、議員定数の上限が撤廃されたことを背景としながら、「地方分権にふさわしい議事機関・監視機関としての機能を発揮しつつ、民意を的確に反映できる議会に向けて議員が自らその定数を判断」するとして提案されたものです。
そしてどのような理由から3削減とする判断をしたかについては、「慎重に議論を重ねた結果、本市の広域性などにかんがみ、現員「34名」を3人上回る「37人」が至当との結論に至った」とするだけで、なぜ3名削減なのか、なぜ37名が妥当なのか、その真意が残念ながら伝わってこないものでありました。
ここで使われている「至当」という言葉。私にとっては、なじみの薄い言葉でしたので、辞書を開いてみました。その意味するところは、質疑の答弁にありましたように「至って当然なこと。至極適当なこと」です。今回の提案の文脈から見ますと、後段の「至極適当なこと」が、もっともぴったりくる意味合いかと思います。
そして「適当」とはどういう意味なのか。辞書には「ある状態や目的などにほどよくあてはまる」とありました。この意味をひもといた時、今回提案された3名削減し、37名という定数がどういう意味合いを持つものなのか、どういう経過で定まってきた数字なのか、その苦渋の判断が、おぼろげながら見えてくるようであります。
かつて本市議会で定数削減が問題になった折、ある新聞は、「定数削減には、様々な思惑が絡む。議員自らが自分たちの定数を決めることにも問題がある。駆け引き先行で透明性に欠け、市民の声が果たして反映されたのか疑問が残る。定数削減は議員のリストラではない。いわき市の場合、議員は何人必要なのかの発想が、まず必要ではないだろうか」と書きました。
議員の定数は、本来、市民が参政権をいかに行使するかの問題であり、そうであるならば、市民的議論の中でこそ、定数がどれだけ必要かを決定していくというプロセスが必要だということでしょう。
いま、市民の声としては「議員が多すぎる」、震災後「34人でやれているのだから、6人減らしてもいい」などが聞こえてきます。その言葉に隠された真意は、議会活動、議員活動に対する批判であると同時に、いっそう議会の役割発揮をするために努力を求める叱咤激励であるという点にこそあることを、しっかり受け止めることこそが大切であると考えます。
この議会活動、議員活動の改革がなくして、どれだけ議会定数を減じても、市民の議会に対する批判はなくなることはありません。
以上のことを踏まえながら、本案の問題点を以下、述べたいと思います。
本案の問題点の第一は、定数を削減することで、地域と住民の声を市政に届け、反映するという議会と議員の役割を遂行する上で、後退をもたらすという点です。
本案どおり定数を3削減するということになると、議会定数が40名の現在、1人当たりの市民数は今年12月1日現在の人口を基礎に計算すると8,501人となると答弁がありました。類似の広域都市の平均は8,430人で、ほぼいわき市は平均値となっています。ところが3名減るといわき市は9,190人となり、幅広い市民の声を一人ひとりの議員が集約していく上では、類似都市に比べても、たいへん困難な状況を作り出すことになります。どんな状況であろうと、議員が鋭意努力することはもちろん大切なことですが、いたずらに定数を削減することで、困難な状況を拡大することには問題があるといわざるを得ません。
また、民意の反映の方法は、議会ばかりではないといわれます。確かに意識調査を行ったり、意見を聞いたりすることは、他の方法でも出来るものの、議決権を持って民意の反映を執行部にせまることができるのは議員だけであり、また、議案提案権を持って民意の反映を執行部にせまることができるのも議員だけです。単なるアンケートやパブリックコメントなどに、議員の代替ができるものではありません。
震災以前も、震災以後も、市民から、議員の姿を見ないという声を聞くことがありました。それは、議会活動のあり方、議員活動のあり方の見直しが必要なことを示しています。また、1968年、昭和43年に48名いた議員は、1991年・平成3年に44名に、1999年・平成11年に42名に、さらに2003年・平成15年に40名にと定数削減がすすみ、議員が市民から遠い存在になってきたことも一つの要因となっていることを見ることが必要だと思います。この状況を拡大することがあってはならないのはもとより、この状況を克服するために、定数削減ではなく、本市議会がいっそう真剣に議会改革全般に取り組んでいくことこそ求められていると考えます。
第二の問題点は、議会の行政に対する監視機能、いわゆるチェック機能を低下させるという問題です。
議会がチェック機能を発揮するためには、一人一人の議員に、市民の立場に立って議案をしっかりと審議し、市民の声を反映させて判断していくという努力が求められています。同時に、市民の付託を受け、市民に代わって市政をチェックする議員を、必要かつ十分な人数を確保することが必要だと思います。
その祭、参考の一つになるのが常任委員会です。いわき市の常任委員会の設置数は、かつて6つあったものが、議員定数の削減に伴って5つに減り、一つ一つの委員会では審議範囲が拡大してきました。1つの委員会の委員数も8名から9名程度になっていました。仮に37名の定数となれば、委員会に7名と8名が所属することになります。この1名の減は、チェック機能の低下につながりかねない問題があります。
市民の中には、多様な意見、考え方が存在します。議会制民主主義をとっている社会において、その多様な意見、考え方を、議会に吸い上げることが求められます。その意見、考え方には多数派、そして少数派が存在することになりますが、委員会制をとっている地方議会で、委員会での結論が本会議での結論にほぼなっていることを考えれば、本会議に多様な考え方が反映されるにとどまらず、委員会の段階で、少数意見を含む多様な意見を無理なく反映できる議員数となること、すなわち少数会派、無所属を含めた議員が入れるだけの一定の数を確保することが、民主主義を健全に発揮させるために求められています。少数精鋭によるべきという考えは、この少数意見を排除することにつながりかねず、民主主義の健全な発展に逆行しかねない。
また、地方分権の推進がいわれる昨今、分権がすすめばすすむほど、地方議会がチェックすべき分野は拡大します。また、東日本大震災と原子力発電所の事故による放射能の拡散という事態のもとで、この事態を克服していく上で、本市議会と議員が果たす役割にも大きなものがあると言わざるを得ません。こうしたことからも今回の定数削減の提案には問題があります。
第三の問題点は、かつて、定数削減は「新顔出馬を牽制するのが狙い」と報道された経過があるということです。
考えてみれば、定数削減がなされれば、当選に必要な得票数が引きあがることは必定で、いわゆる地盤・看板が大きく物をいう選挙になっていくことは明らかです。
地盤・看板は、現職でかつベテランであればある程、盤石なものとなってくることが一般的と思われますので、議員として市政に関りたいという意欲ある被選挙権を持つ市民を、立候補から遠ざけかねない問題が浮上してくることになります。定数削減は、現職議員には痛みが少なく、その現職が決めたルールの上で等しく争わされる新人には痛みが大きいということができます。民主主義ということを考えたときに、これでいいのか大いに疑問があるところであります。
質疑では、定数3名の削減で2011年度当初予算比で0.04%の予算削減になるとされましたが、そのために民主主義に重荷を背負わせることは妥当といえるはずがありません。
また、議会が地域の声を吸い上げる機能を持っていることを考えれば、当選ラインが引きあがることで、比較して有権者が少ない地域の候補者が当選しがたい状況となりかねません。議員一人ひとりが市全域の立場に立って考え、行動することは至極、当然のことであります。しかし、同時に、地域で身近な代弁者として活動することは、市全域の立場に立って活動する一部を担う大切な議員の活動であります。地域がなくて、市内全域は、当然ないのであります。定数削減には、中山間地をはじめとした人口減少地域の声が反映しがたくなる弊害をもたらしかねない点でも、大きな問題があるといわざるを得ません。
以上討論してきましたように、議会定数を3名減らし、37名としようとする本案には、問題が多々あります。議員のみな様が改めて本案について熟慮していただいて、本案に否の結論を出していただけるよう、心からお願い申し上げて、討論を終わります。
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