伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

国保税値上げ決まる・大飯原発再稼働反対決議は否決に

2012年06月28日 | 市議会
 いわき市議会6月定例会が終わりました。
 この議会で最大の問題であった1世帯当たり約4800円、1人当たり約2800円の国保税の値上げに、日本共産党は反対したものの、反対者は日本共産党と創世会の5議員にとどまり、自民党系会派、連合労組の支援を受けている議員で作る会派、公明党、無所属議員の賛成で可決、成立してしまいました。

 また、きょうの本会議には決議案第1号として「関西電力大飯原発3号機と4号機の再稼働に反対する決議」が、創世会が提出者、公明党が賛成者となり提出され、私が日本共産党市議団を代表して賛成討論を行いましたが、賛成者は14名にとどまり不採択となりました。

 賛成した議員は、日本共産党(伊藤浩之、溝口民子、高橋明子、渡辺博之)、創世会(福島あずさ、樫村弘、佐藤和良、鈴木利之、坂本稔、上壁充、山本健一)、公明党(塩田美枝子、小野茂)、改革の会(石井敏郎)の各議員でした。

 私の賛成討論は次の通り。

「関西電力大飯原発3号機と4号機の再稼働に反対する決議」

 24番、日本共産党いわき市議団の伊藤浩之です。
 私は提案されました決議案第1号、「関西電力大飯原発3号機と4号機の再稼働に反対する決議」に賛成し、採択すべきという立場から討論をいたします。

 昨年の東日本大震災は、東京電力福島第一原子力発電所に甚大な被害を与えました。
 地震動は外部電源となる送電線を倒壊させたとされ、また断線やショートしたことにより外部電源が喪失、その際に頼みの綱となる非常用のディーゼル発電機は、押し寄せた津波に水没して使用不能となり、第一原発は電源を失いました。こうして冷却機能を失った第一原子力発電所の1号機から4号機は水素爆発をおこし、核燃料のメルトダウンと放射性物質の大量放出という深刻な事故を引き起こしました。

 相次ぐ爆発事故と、放射性物質の拡散の報道はあるものの、放射線値などの情報は少なく、一方では震災による深刻な被害の対応に追われながら、これからどうなるのかという思いを募らせ、不安を覚えながら過ごしたあの日々から1年3ヶ月が過ぎました。

 野田首相は昨年12月16日、事故を起こした原発の「冷温停止状態」を確認したといって、「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」と公表しましたが、これが放射性物質に汚染された近接するいわき市に住む、私たちにとって、また県内外の多くの原発被害者にとって最悪の違和感を伴う判断であったことを、まざまざと思い出します。

 事故当時、首相であった菅直人首相は「脱原発」を政府の目標として掲げ、このこと自身は多くの国民に歓迎されました。県内の原子炉を全て廃炉にすることを望む本市市民にとっても、「原子力発電に依存しない社会の形成を目指す」本市にとっても、またそのことを希望する本市議会においても歓迎されるものであったと思います。

 ところが菅内閣が退陣し、新たに内閣を担うことになった野田首相はある月刊誌の昨年9月号で「再稼働に向けて努力することが最善」(文芸春秋 2011年9月号)と首相就任直後から再稼働の意思を表明し、また原発の輸出にも肯定的な立場とされています。実際、野田首相は同じ民主党の政権が宣言した「脱原発」を投げ捨て、「脱原発依存」と言い出しました。「原発依存」から脱するだけですので、極論をすれば今より少しでも原発を減らせれば良い。老朽化した原子炉を一つだけ廃炉にしても達成できる目標に切り替えてしまったわけです。

 この野田首相が舵を取りながら大飯原発3号機、4号機の再稼働を決めました。
作家の高村薫さんは、「日本人は福島から何を学んだのか」と題して週刊誌に寄稿し、「もとより脱原発の意思に乏しく、国民より経済界と官僚の意向をくむことを責任ある政治と心得ている人物のこと、初めから再稼動は規定路線だったに違いない。世論が分かれる中、首相は自身の責務として、粛々と『政治判断』を下したまで、という認識だろう。」と論評していましたが、この指摘のように再稼働ありきで周辺の条件整備が着々とすすめられてきたと見ることができるように思います。

 そう考える第1の理由は、東電福島第一原発の事故の教訓が、再稼働の決定に生かされていないという問題です。

 福島第一原発の事故後、原発の安全性を高める上で、過去において、本来とるべき必要があった安全対策が、資金の問題や科学的根拠が薄いなどと放置されてきたことが、次々と報道されてきました。そこに見ることができるのは、やはり過酷な事故は起こさないと考える安全神話に毒された中で、事故につながりうる事態の想定が、経済的に対策を取りうる範囲でしかなされなかったという問題があるように思います。

 1970年代には原子炉建屋外にある自家発電設備の改修の必要性が検討されながら、コストの関係で見送られ、2006年には福島第一原発の1号機から6号機をケーブルでつなぎ電源を融通する工事を検討しながら、経費が一つの障害となり見送られたと報じられました。

 同じく2006年に「14mの津波が襲った場合、タービン建屋に海水が入り、電源設備が喪失する可能性がある」と認識しながら、原子力・安全保安院は対策を求めなかったばかりか、自主的に対策をとるといった東電は、メーカーとの協議の結果技術的に難しいと結局放置した例が報道されました。

 また、東電は2008年には明治三陸地震規模の地震で、最大16mの津波の襲来を予測しながらも、原子力安全・保安院に報告していなかった、ということも報道されてきました。

 昨年の原発事故は、これまでに放置されてきた想定が現実に起こりうるものであることを明確に示しました。報道にあるような対策をとらなかったことが、今回のような重大な事故につながったことを見ることができます。ところが大飯原発の再稼働にあたって野田内閣がしてきたことからは、過去と同じ轍を踏もうとしているように思えてなりません。

 大飯原発の再稼働にあたって、ストレス検査による安全性の確認とともに、再稼働の暫定基準を打ち出しました。しかしその基準に盛り込まれた内容が先送りにされても、再稼動を認めることにしました。例えば事故の際の対応拠点となる免震事務棟やフィルター付きベントの設置が3年先です。また、防波堤のかさ上げが来年度まで完成しなくても再稼動を認めることにしています。現在の安全は棚上げにして、将来整うであろう対策で良しとしているわけです。そしてこのことは、国際原子力機関・IAEAの原発の安全性を保つための「五層の防護」という考え方から見れば、三層目までしか満たさない不十分な対応で再稼動をしようとしているといいます。国際的にみれば異常な行動と映っているかもしれません。

 先に紹介した高村薫さんは、原発の再稼動をめぐって、国民の声が実際には政治を動かすほどのまとまった声になっていないとしながら、そこには「慢心」があると、次のように喝破します。

 「『たぶん事故は起こらないだろう』『たぶん地震は起こらないだろう』『自分の在任中は、何とかやり過ごせるだろう』『自分の住んでいる地域は大丈夫だろう』などなど。何の根拠もない慢心にすがって、私達はやっと原発と共存しているのである。これを言い換えれば、この地震国で原発を動かすということは、慢心なくしては到底受け入れられる物ではないということでもある。」

 先に挙げた安全対策の実施が将来の予定でも再稼動を認めるという野田内閣の判断は、まさに「慢心」以外の何物でもありません。「原発は3年間は事故を起こさないだろう。だから免震事務棟は3年後でも良い」「放射性物質を放出する事故は起こらないだろう。だからフィルター付きベントの設置は3年先で良い」「防波堤を超えるような津波は来ないだろう。だから嵩上げの完成は来年でも良い」。福島原発の事故を受けて、いまだにこのような希望的観測が、再稼動判定に幅を利かせているとしたら重大な問題です。先ほど、14時52分に福島県沖で発生し、本会議場も襲いました震度4の地震のように、災害はいつやってくるか分からないのです。

 野田首相は「国民生活を守る」ことが再稼動の是非を判断する「唯一絶対の判断の基軸」としました。しかし、東電福島第一原発事故の原因は究明されておらず、この事故の教訓を活かすことができる状況はありません。また政府がとりあえず決めた安全対策さえ実施されないまま、再稼動が判断をされています。「事故は起こらない」「災害は起こらない」という「慢心」や「原発の安全神話」という思想が根深く生き続けていることを考えれば、少なくとも今回の大飯原発の再稼動の判断は「国民生活を守る」どころか、国民の命と安全を危機にさらす最悪の判断であり、再稼動の決定は時期尚早といわざるをえません。

 二つ目に、大飯原発の再稼動に当たっては、関西の首長が異議を唱える状況がありましたが、結局、野田内閣は「再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならない」と、この異議を押し切りました。

 野田内閣と電力会社は一体となって、この夏、原発を再稼動させなければ、電力不足や料金値上げをせざるを得なくなるとキャンペーンを張りました。しかし、夏場の電力需給について、ピーク時はどれくらいの時間帯をしめ、どれくらいの日数になるのか。原発が再稼動しなかった場合、天然ガスなどの火力の活用、電力融通、節電努力などで、どれだけ需要を減らし、供給を増やせるのか。これらについて具体的に明らかにはされることはなく、「全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません」と、ただただ脅かしとも取れる言葉を繰り返すだけでした。

 当初、再稼動に異を唱えた首長たちも、最終的にはこのキャンペーンに押し切られる格好になりましたが、日本のエネルギーの現状とそれにもとづく原発の再稼動の必要性を冷静に議論し、その方向性を打ち出すことができなかったという点も、今回の再稼動にあたって積み残された課題になっています。

 今回、大飯原発3号機、4号機の再稼動の判断しようとしていることについて、国会事故調査委員会の黒川清委員長も、「国家の信頼のメルトダウンがおきているのではないか。理解できない」とし、「世界の先進国のあり方と全然違うところに行っているのではないか」と苦言を呈したといいます。

 私は、原発被災地に住む住民として、また原発の近接地に住む住民として、このような原発の事故による放射能拡散事故を再び繰り返させてはならない、広島、長崎、そして第五福竜丸、核兵器という熱戦と爆風により人を殺害し、町を破壊するこれらの事態とは質を異にするものの、放射性物質の脅威にさられているという点では同質である東電福島第一原発事故、これに続く5度目の放射性物質による汚染の脅威に人々を巻き込んではならないし、そのために出口の見えない使用済燃料の最終処分の問題を始め安全性などに様々な課題を抱える原子力エネルギーはすべてやめて、これまで原子力につぎ込んできた資金とエネルギーを再生可能エネルギーをはじめとした新エネルギーの開発と運用にこそ回していくべきとおもいます。

 同時に、今しゃにむに野田内閣が再稼働に向かおうとしている現実を踏まえれば、その判断をする前の最低限の課題として、福島第一原発の事故の原因をしっかり究明し、それにもとづく安全基準作りやその基準にもとづく対策をとることが必要だと考えます。

 そうしたこともないままに、今回、政府が判断した大飯原発の再稼動は、決議の案文にもありますように時期尚早で、再稼働の決定は撤回すべきと考えます。満場のみなさまが決議の採択に賛成を下さり、いわき市議会としての意思を高らかに宣していただけますよう、心からお願いをしまして討論を終わります。


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