雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

サクランボの思い出

2013年02月25日 | ポエム

▲今年もサクランボの花が数日前に咲き出しました。

 サクランボの思い出

 ドシン、ドシンと音まで聞こえそうな感じで、春はそこまで来ている。
 今月8日の朝には寒さに関わらず、裏のやぶからコジュケイの初鳴きが聞こえてきた。プランターのクロッカスが、花壇のムスカリが花を咲かせ、沈丁花の良い香りが風にのって届いて来る。
 上天草市にある実家のサクランボの木は、私が小さい頃に多分実のなる木が好きだった父が植えたものだ。その後移植したし、株が弱って大きな幹が枯れてしまい、数日前に咲き出したサクランボの木は年齢の割には小さい。枯れないかと心配しているが、どうやら今年も花をつけてくれた。
 サクランボと言えば、北国の作物ですぐ山形産の高級サクランボが頭に浮かぶが、私の実家のサクランボは、色や形は山形産と同じでも、大きさは15ミリ位しかない。毎年たくさんの実をつけるが、ほとんどは「いよいよ熟れて来たかな」という時に、一瞬にしてヒヨドリに食べられてしまう。人間様の口には、かろうじて味見が出来る程度しか入らないが、これが甘くて美味しい。
 ソメイヨシノなどの花を観賞する桜とサクランボの違いは何かというと、実のなる桜を桜桃(おうとう)といい、種類が違うようだ。でも桜の仲間には違いが無く、観賞用の桜の中にも実を付けるものがあるし、桜桃の花も一つひとつの花自体はソメイヨシノと遜色の無い美しさだ。
 食いしん坊の私は、ある公園の数本の桜の木になっている小さな実を食べたことがある。実家のサクランボよりさらに小粒でせいぜい10ミリ程の実をだが、甘くて美味しかった。調子にのってすぐとなりの桜の木の実も食べたが、見かけは同じでも渋くて食べられなかった。渋い実の方も集めて焼酎に漬けるか、ジャムにしたらおいしいかもしれない。
 小さい頃は、サクランボと言ったら缶詰の赤いシロップ漬けだった。熊本駅で売られていた駅弁で好きだった音羽屋のサンドイッチの飾りに入っていて、赤い実が印象的だった。初めて店頭で見た生のサクランボは、山形産。おいしいが、輸入物の安いサクランボも含めて、まず自らお金を出してサクランボを求めることは無い。ただパリに住んでいたときは、安かったので自分で買って、旬の時期には、たらふく食べた。粒が大きく甘かった。
 その後帰国したら、その頃東京に住み音楽大学に通っていた下の妹が、帰郷の際にアンナミラーズというお店のダークチェリーパイを買ってきてくれて、それも大好物になった。そう言えば久しく食べていないなあ。
 帰国後やっていた喫茶店では、手作りケーキを提供していて、その中にも缶詰のダークチェリーを使ったキルッシュトルテという名前のケーキを作っていたのを思い出す。
 あと、サクランボと言えばハーゲンダッツ・アイスクリームが熊本市内の鶴屋デパートで販売されるようになった頃、私が一番好きだったのはバニラベースにダークチェリーが入った「チェリーバニラ」だった。今でも一番食べたいけど、売ってなくて残念。
 実家の庭に父が植えたサクランボの木に、たった1個初めて実がなった年。
 1個のサクランボに対し8人家族であることの分配問題は別にしても、父も子ども達も毎日赤く熟すのを心待ちにしていた。いよいよ食べごろかと思われていたある日、敷地内にあり貸家にしていた一軒屋に学校の先生が引っ越してきて、その手伝いに来ていた同僚の先生の一人が、通りすがりにパクッとそのサクランボを摘んで食べてしまった。もうたくさん収穫した後の残った1個と思われたのだろう。多分後で事情を知った父も抗議はしたと思うが、食べてしまったものは元には戻らない。
 大好きな先生、お世話になった恩師もたくさんいるが、未だに学校の先生という職業の方を全面的に信用できない。逆恨みに近いものだが、サクランボを見る度に思い出す。
 食べ物の恨みは恐ろしいものだ。
(2013.2.25)

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