雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

2014年の8月に思うこと

2014年08月12日 | ポエム

 2014年8月に思うこと


 彼は熊本の天草五橋の見える展望台に立ち、「今まで生きて来た中で最もきれいな風景。こんな場所で家族や友人とのんびり暮らしてみたい」と言った。
 今から12年前の夏に、中東パレスチナのカザ地区にある小児病院から熊本県に研修に来ていた小児科医。私は上天草市にある私の仕事先で行われた研修カリキュラムの一環の合間のわずかな時間に、天草五橋の見える景色の良い場所に連れて行った。松を中心とした緑と青い海と空の広がる、地元の私には見慣れた何でもない当たり前のような風景。確かに美しいが、「今まで生きて来た中で最もきれいな風景」と言う彼の大げさとも思える表現に正直戸惑った。
 話しを聞くと、パレスチナの国土には草木が少なく赤茶けた土がむき出しになっているそうだ。自分の故郷をきれいだと褒められ、住んでみたいと思われて悪い気はしない。「1週間でもいいから家族や友達と過ごしてみたい」そう口にする彼の言葉は、お世辞ではなく真摯な感想だった。
 その時は直接紛争のことを話題にすることは無かったが、彼の故国がどのような状況にあるのかは知っていた。彼の目を通して見た天草の風景は、確かに見た目にも美しいがその背景には間違いなく「平和」の存在があると思う。むしろそのことが彼に「今まで生きて来た中で最もきれいな風景」と評価され、「こんな場所で家族や友人とのんびり暮らしてみたい」と言わせたのだと思う。
 彼と出会って以来、私はパレスチナとイスラエルの紛争のニュースを見聞きする度に、彼の言葉と一緒に見た天草の風景が頭に浮かぶ。彼の家族や友人や小さな患者さんは傷ついていないだろうか?そもそも彼自身が元気で診療を続けているのだろうか?また、このところパレスチナの紛争が激化している。それぞれの側のそれぞれに理由づけされた応酬が続き、国際的な停戦の呼び掛けも今のところ項を奏していない。彼と出会ってからの12年間だけでも、パレスチナに平和な日々がひと月と続いた時があったのだろうか?何の罪も無く自らを守る術も無い弱い立場の子どもやお年寄りがまた犠牲になっている。
 そして日本も、平和憲法と言われる憲法9条を変更する方向で進んでいるようだし、その前に「よくわからない」集団的自衛権を認めることに首相や政府はやっきになっている。多くの国民は、憲法は改正すべきか、集団的自衛権は必要なのか、判断がつかない。私もそうだ。だが何となく「キナ臭い」ことに進みそうな不安を感じているのではないだろうか?それがこのところの内閣支持率の低下に現れている。
 確かに、日本の隣国の国々は一筋縄ではいかない国ばかりだ。今や煙が燻り続けている世界の火薬庫と言われる危険ゾーンの一つだ。経済大国になった中国は、軍事大国と化し領海の拡大を図っている。一方でかつては良くも悪くも世界の警察と言われた米国の力は衰え、世界への影響力は大きく後退している。
 平和憲法の改正や集団的自衛権の解釈拡大の方向に進んで行かないと、尖閣諸島はもちろん沖縄まで取り上げられかねないというのは本当なのだろうか?そう言われると、今の政府が何だか強そうで頼りがいがありそうだ。
 逆に戦争を放棄する平和憲法の改正と集団的自衛権にも反対する意見は絵に描いた餅で非現実的な理想に過ぎないと思えてくるし、何だか弱そうだ。
 私は憲法改正や集団的自衛権の解釈拡大に反対だが、国を取り巻く様々な現実は知らないし、逆の立場の人を論破することは到底できない。もっといろんな意見を聞きたいと思う。その中には我が国の不利になる様な意見や情報があってもいいと思う。私が今とても気になっているのは、ネットや何かで叫んでいる人がいるのか、○○新聞は売国奴みたいな論調があって、私のまわりでも「未だに○○新聞をとっている人がいるのは信じられない」とか言っている人がいることだ。私はそのことを聞いて寒気がした。いろんな意見が真に自由に発言されてこその民主主義だ。いろんな原因はあるだろうが、言いたいことが言えない世の中になって、軍の暴走を見過ごしたのが第二次世界大戦の日本ではないだろうか。そう考えて、今の私の思いをブログに書いてみた。
(2014.8.12)

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