雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

森の神様に遭遇した

2011年10月13日 | ポエム


 森の神様に遭遇した

 10月の体育の日の連休の朝、私はまた南阿蘇村の山小屋で目覚めた。
 1年で一番空気が澄むことが多いと言われる10月。美しい風景に出会い、いい写真が撮れたらと思って、前夜一人で車を走らせてやって来た。携帯電話のアラームが鳴る前に目が覚め、跳ね起きて外を見ると、家の周囲は白い霧の中。でも外に出て、上空を見上げると明るい。
 経験からいくと、こんな状態のときは、雲海になっていることが多い。
 顔も洗わずに、カメラを手に南郷谷が見渡せる高台まで車で行くことにした。
 世が明けたばかりの外は、薄暗く、白い霧が隙間無く漂っている。それでも100メートル程は見通しが利くので、濃い霧ではない。念のためにフォグランプを点灯した。家の前から稲刈り直前の田と竹林を抜け、背の高い檜の森に挟まれた村道に右折した途端、白い霧を背景に立つ、立派な角を持った牡鹿が20メートルほど先の道の真ん中に立っていた。右の森から左の森へと村道を渡る途中だったのか、顔だけを私の車に向け、じっと立って、車か私を見ている。
 「ああ。鹿だ』
 私は息をのんだ。堂々として大きい。神々しく美しい。しばらくじっと対峙した。
 「そうだ。写真をとりたい」
 私が助手席に置いたカメラを手探りで取り、そっとキャップを外した途端、牡鹿は正面を向き、ゆっくりと森の中に消えた。
 南阿蘇村で夜中に車を走らせると、冬はウサギをよく見かける。キツネは深夜に走る車の前を飛ぶ様に一瞬で横切った姿を2、3度見ている。タヌキには、以前畑を作ってトウモロコシを植えたとき、来週は収穫だと思っていたら、翌週ほとんど食べられてしまったことがある。地元の人が、とうきび植えてもタヌキの餌になるだけだよって言ってた通りになった。山小屋のある敷地にも、薮の中に彼らの獣道がある。そしてかわいい親子連れのタヌキが庭を横切って行くのを小屋の中から見たことがある。猪には、家人が車を運転中に出会った。怖い位大きかったそうだ。今年も田んぼには猪除けの電流が流れる柵があるくらいだ。また南阿蘇村でも野生の猿が農家に被害を与えている。私も何度か猿の姿を見たことがある。そんな野生動物が身近な南阿蘇村でも鹿のことは、今まで見たことも聞いたこともなかった。
 好きな表現ではないが、近年、パワースポットと呼ばれる場所が脚光を浴び、人が押し寄せているそうだ。私の大好きな阿蘇も知る人ぞ知る、パワースポットの集中している地域らしい。そう言われる以前から、私は阿蘇を訪れて幾度となく、人の言う「パワー」の一つの種類となるのか、何か目に見えない、大きな畏れる存在から啓示のようなものを感じた経験がある。
 例えて書くと、「そんなこと偶然の出来事に都合の良い解釈をしただけよ」と言われそうだが、具体的にはいつか書こうと思う。
 この日の朝の牡鹿との出会いも、勝手ながら都合良く解釈すれば、私に対する「叱咤激励」と読んだ。
 4日たった金曜日の午後も、私の心は何だか喜びに満ちているのである。
(2011.10.14)
 

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