▲今年の春は甲子園にも黄色い菜の花が咲いた。(JRみすみあまくさ線・網田駅の側の畑)
きなモンときな子
第85回全国高校野球選抜大会。私の母黌、熊本県立済々黌高校は、秋の九州大会準優勝の成績で選抜され、夏春連続の甲子園出場となった。初戦はこれが我が母黌かと思わせる試合で、強豪の常総学園を完封し、再び甲子園に響く黌歌を聞くことができた。
2戦目の3月30日土曜日。「もし済美に勝ったら月曜日の試合には行くけん」と家人に伝え、休暇を願い、入場券の手配をし、旅行の段取りも考えていた。
前半は押し気味の試合も8回にエースの大竹君が連打を浴びて1対4で敗れ、試合が終わった。甲子園で生応援をする、昨年対戦して負けた大阪桐蔭に再挑戦させたいという二つの願いが同時に潰えた。その大阪桐蔭も済々黌と同じ日の第3試合で、まさかの敗退。サッカーも野球もわかりませんな。
入学して以来の夢の一つである甲子園生応援。仕事を休めずに甲子園に行きを断念した昨年夏の大会に続いて、今回も実現しなかった。初戦は、7分の4の確率(1週間のうち3日行けない日があった)、2戦目に至っては、試合の日以外の日なら仕事を休むことが出来たので、私の運の無さ、甲子園との縁の無さにため息が出るばかりである。家人も快く応援してくれていたので、限りなく40年来の夢の実現に近づいた春だったが、夢は夏に持ち越しとなった。フランス人なら肩をすくめて「セ・ラ・ヴィ(それが人生さ)」と言いそうである。
私に代わって、ということではないが、昭和49年の春に済々黌をいっしょに卒業した同級生達も、昨年の夏に続いてかなりの人数が甲子園に駆けつけている。試合当日は、甲子園から写真付きのメールや電話をいただいた。
特に東京在住のM君は、帽子から靴まで全身スクールカラーである黄色のグッズに身をかため、自ら東京方面から甲子園に駆けつける同窓生のとりまとめを買って出た。球場にいち早く駆けつけ、外野スタンドのポール際で、後から駆けつける同窓生のために預かったアルプススタンドのチケット100枚を配布したそうである。自らのことを黌熱病にかかった「チケット密売人」、あるいは「きなモン49号」と称していた。テレビの取材を受けたというからさぞや目立っていたのではないかと思う。
全国的に有名となった熊本県庁のキャラクター「くまモン」の意味は、熊本の者という意味の熊本弁「熊本んモン」を短くしたと言う。では「きなモン」はと言うと、黄色には「きな」という言い方がある。制帽に入っていた黄色のライン、制帽廃止後は男子生徒の学生服の胸ポケットの部分に黄色のラインが一本入っているが、それを母黌の関係者の間では「きなひも」あるいは「きなせん」と呼んでいる。済々黌にとって「きなひも」「きなせん」の黄色は単なるスクールカラーを越えた象徴のような存在と言える。だから「きなモン」は、済々黌を愛する者という意味になろうが、愛黌心の強い学校なので、それでは私をはじめ、ほとんどの卒業生が「きなモン」になってしまう。そこで、済々黌や済々黌の同窓会のために活動し、熱愛とも言える愛黌心を自他共に認められる人を「きなモン」と定義したい。
M君は、自称の通り、間違いなく「きなモン」だ。
そして、我々の在黌中は「女子もいるのよ」と言った程度の共学だった済々黌は、今や年度によっては男子生徒より女子生徒の数が多いという信じられない状況である。そこで女子の「きなモン」を勝手ながら私の独断で「きな子」と命名した。思い当たる女子が数名いる。
私自身はどうだろう。済々黌の野球の試合がある日には、あきらかに興奮状態で仕事にならない。ラジオで試合の実況を聞きながら車を運転していて事故を起こしそうになったことがある。少なくとも10日に一度は一人で黌歌を4番まで歌っている。新聞の紙面に済々黌の文字があると、自然に目が行く。「済」の字に反応しているらしい。黄色にも反応してしまう。M君ほどではないが軽い黌熱病の症状がある。長年、地区同窓会の事務局を担当している。認知されたからと威張れることではないが、やっぱり「きなモン」なのですか?
(2013.4.11)
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