雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

海に~廃船

2011年08月04日 | ポエム


 海に~廃船

浮くことのない大きな船が
浜に打ち捨てられていた
それはもう
船ではない
骨ばかりとなった屍だ

潮が満ちてくると
潮は骨を洗った
潮が引くと
陽はまぶしく照りつけた
それはもう
子どもの遊び場でしかない
海を汚す邪魔者だ

むかしは
大漁の旗をあげて
誇らしく湊に帰ってきた
人はそれを見て
何とすばらしい船だろうと
そう思っていた

浮かない船にも
魂がある
ひとりで見ていると
そう思えてくる
悲しみのうたが
聞こえて来る
(1972)


 空蝉(うつせみ)
 僕の10歳の夏休みに、その親子は突然のように現れた。
 パイロットの父。僕と同い年の姉とまだ学校に行かない幼い弟。
 初めて会った遠い親戚で、こちらにある墓から先祖の遺骨を移すことと、観光を目的に横浜からやって来たそうだ。
 おじさんの職業といい、姉弟の格好といい、都会のかおりがいっぱいだった。そして僕は、出会ってすぐに同い年の姉に心を奪われてしまった。オデコがひろく、目の大きなショートカットの似合う美しい少女だった。1週間は、僕の家に寝泊まりするということで、降って湧いたような幸せな夏休みとなった。
 放し飼いの子犬が、どこでもしっぽをふりながら訳もわからず飼い主の側を付いて回るように、僕はその親子に、または姉弟に、ほとんど話すこともなく、お墓参りやドライブや近所の散歩に、ただ側を付いて回った。
 姉弟が興味を持ったのは、やはり都会には無い自然だった。
 麦わら帽子に虫取り網、虫かごを持った3人は、僕の家の周囲の田や畑や草原や裏山を、言葉少なく走り回った。それは正に僕自身の庭の続きのような場所だったし、虫取りの技も10歳の子どもなりに極めていることだった。姉弟は時に、僕には何でもないことに興味や関心を持つことがあった。その一つがセミの抜け殻だった。あちこちの木の葉や枝に、ぶらさがるように残ったクマゼミの抜け殻。動くこともない、中身のない、そこら中にいっぱいあるつまらないもの。でも弟は、見つける度に喜び、宝物のように、虫かごに入れた。姉も大きな抜け殻に興味をもったようだった。
「学校のお友達のお土産にしたら、みんな喜ぶよね」
 こんなものが、珍しいのか。クマゼミは日本で一番大きいというし、横浜にいるセミの抜け殻とは違うのかもしれない。僕は口に出すこと無く、心の中で思っていた。でも簡単に採取できる抜け殻では、僕の虫取りの技を姉弟に見せる出番は無かった。
 ところが、幸福な2日間が過ぎ、3日目の朝、親子は急に予定を変更して横浜に帰ることになった。大きな台風が接近していたのだ。おじさんの仕事のことも考えると、台風の影響が無いうちに帰っていた方がよいという話だった。
 少し打ち解けて、心が通う気配があっただけに、台風を恨めしく思った。
 慌ただしく荷造りをする親子の側を離れ、僕は適当な空き箱を見つけると、外に飛び出した。そしてセミのいる木の周囲から、セミの抜け殻を大急ぎで集めた。箱いっぱいの抜け殻を集めると、家に戻ってそれを黙って姉に差し出した。
 姉は喜んで受け取ってくれたが、それを本当に横浜まで持ち帰り、学校のお友達に配ったかは知らない。
 僕にとっては、突然現れ突然去って行った親子のことは、それ以来、家の中で話題になることも無かったし、僕も親に尋ねたこともない。親には礼状が届いたかもしれないし、年賀状を交換していたかもしれない。
 降って湧いたような幸福な僕の10歳の夏休みのその後は、セミの抜け殻のように空っぽになってしまった。
(2011.8.4)

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