船井幸雄氏が中村天風氏について書かれています。中村天風氏については、本屋で何気なく立ち読みした程度の知識しかありませんでしたが、調べてみるととても尋常な人ではなかったことが分かります。
『人生のすべてのできごとは、すべて自分のこころがつくりだしている。「目にふれる一切合財はすべて人間の心の思考から生みだされている」その人が「強く思ったことは必ず現実化する」「自分の現在の姿は自分の心がつくりだしたものである」豊かさも貧乏も、健康も不健康も、すべて自分が思ったとうりになっている。』
この思想は中村天風氏が、実体験の中から掴み取った哲理であるため、思想家が頭で考えて作り上げた哲学とはその重みが違っていると感じました。
一昨日から実践していますが、驚くほど明るく元気に一日を過ごせます(笑)。とにかくネガティブなことは言わない、考えない、やらない。常に多少無理やりでもいいので、明るく、元気に考えます。そして、心配はしないで、きっとうまく行くと思うことにしました。自己暗示みたいな感じですかね。今日もこれを実践してみたいと思います。結果はまた報告します。
<記事転載>
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2009年4月10日
「中村天風先生のびっくり」
船井幸雄
4月6日のこのページで少し書きましたが、「聖書の暗号」研究家のIさんから「船井先生、先生のこれからの生き方には中村天風さんのことが大事だ、…と、聖書の暗号に出て来ていますよ」というような意味のことを言われて、久しぶりに天風先生の本などを数冊読みました。
私は天風先生には、お目にかかったことはありません。
しかし山中さんや上原國男さんから話しを聞き、勉強するように奨められて、天風先生には親しみを持っていました。
しかし、今回あらためて天風先生の著書や述書を読み、いろいろびっくりしました。
少なくとも天風先生は、医師から絶対に治らないと言われた肺結核(30才ごろの発症)と癌(50才すぎに発症)を、彼自身の精神力(?)で完治させたように読めます。
また虎と檻の中に一緒に入っていて平気だったとか、平(たいら)炭鉱ではニワトリを意識で動けなくしたような記述があります。
ともかく常人のできないことを多くやり、それをはっきり広言されています。
一つだけ実例をここに載せます。つぎの文章は’94年に日本経営合理化協会から出た中村天風述『心に成功の炎を』の中の147~153ページの文章です。
『これは自慢してもいいことだから自慢するけど、昭和十七年、北海道から講演を頼まれて、いざ行こうとする三日前に、急に私、声がでなくなっちゃった。
言論家の声のでないのは、ちょうど武道家が試合に行くときに、腕なり腰なりをくじいたか、折ったかというのと同じことだ。これが本当の声患(こえわずら)いだといわれたけれども、確かに声患いだ。
そら、えらいもんですな。朝、いつものとおり、ベランダでコーヒーを飲んでいて、もう一杯おかわりをもらいたいと思ってね、普段なら「おい、もう一杯」とこう言えるのが、「おっ、うっ」…おかしいな。でないんですよ。
そうしたら、うちの者が「どうなすったの?」「うっ」。それからしょうがないから、手でもって「声がでない」と書いた。それでもわからないもんだから、筆をもってきて、紙にチョイと書いた。
講演がとにかく三日後にあるから、北海道へ行かなきゃならない。北海道じゃあ、「日本三大言論家の一人来る」という広告をだしている。大正の初期の日本の三大言論家とは、田中舎身(しゃしん)(仏教運動家)と鵜崎鷺城(うざきろじょう)(評論家)と中村天風だった。とにかくその広告を立て看板でもって、町の辻々に立てている。そこへ私が出掛けていこうとするのに、声がでなかったならば、これは司会者が大恥かくもんね。言論家が声がでねえじゃ、言論じゃありゃしない。
すると、まさか私のほうから出向いて医者にかかるはずはないから、会の野崎さんが医者のほうから来れば別だろうというんで、私の竹馬の友に小野という耳鼻咽喉科の大家が東京神田のニコライ堂の前にいて、そこへ野崎さんが電話をかけたらしいんだよ。
「先生、急に声がでなくなっちゃったんですけれどね。遊びに来た体(てい)にして、ちょっとお出でになって診てくださらない?」といったら、向うじゃ半分ね、「ふだん、あのやろう元気で頑張っていやがるから、ざまあみやがれ、ほんとに。ほんとにひやかしてやれ」ぐらいのつもりで来たんでしょう。
いつものとおり、「こんにちは」。まあ彼は三か月にいっぺんぐらいうちに来るんですよ。
それで、ベランダに入ってきた。いつもだと、「ようっ、入れ」と、こう言う人間が何も言わないだろう、声がでねえんだから。むこうは声のでないの知っていやがんだけど、こっちは知ってきたとは思いやしねえ。
「どうした、元気か」
「うっ」
「おっ、声がでないのか」というから、
「うん」
「人の十人前も二十人前もふだんしゃべりやがるから、天罰だ。さあ、餅は餅屋。こういうときは、友達がいがあるんだ。さあ、口を開けてみな」といわれて、それでまた私も、ヒョイッと口を開けちゃったんだ。相手が親しい友達だから。そうしたら、ガチャッと入れやがったのは、暴れる子供ののどを調べるときの開口器。
舌押さえの先に懐中電灯のついたやつで、最初笑いながら見てたよ。そうしたら、だんだん難しい顔しやがってね、
「こりゃだめだ」と言いやがる。そうしたら、女房と野崎さんがいて、
「何でございます?」
「癌。珍しい癌だ、こりゃあ。声のでるところのね、すぐ入院しましょう。うちの 病院でよろしい。だがしかし、受け合いませんよ。九十パーセントはだめだ、こりゃあ。幸いに命を取りとめられるとしても、一生、もの言うことができないだろう。けど、医者としてはこれは黙っていられないから、すぐ入院」と。
いかがです、あなた方。日本でも一、二を争う、よろしいか、耳鼻咽喉科の大家がそう言ったから、あなた方なら「ああ、大変」と、もう死んだような気持ちになってしまう。
そのとき私は、ものが言えないんだから、筆で書いた。「入院はしない。北海道へ行く」。書いたら、小野、何と思いやがったか、また筆を取りやがって、「入院しなければ死ぬ」と書きやがった。それからまたすぐ筆取って、「おれは耳は聞こえる」と書いてやった。
そうして、だれが何て言おうとね、北海道へ行ったよ。そうして、やっぱり声がでない。
初日、ちょうど幸い、札幌の大きな宿屋、山形屋にたまたま東郷大将(大正年間より天風会員)が来てたよ。そして、東郷さんは、陸軍少将の基田という伝書鳩を日本に広めた少将を一緒に札幌の連れて来ていた。
だから私は、この二人に、「ちょうどいいから、おれのかわりに講演してくれ。おれはこういうわけで声がでないから」と紙に書いて講演の代わりを頼んだんだよ。あの時分にはもう軍人が、まして大将が来るなんていうと、みんな喜ぶんだ。
ところが、札幌でしょ。東京から行った学生がうんと札幌の大学にいますわ。それが、天風先生が来るというんで、とっても憧れの的(まと)にしてたらしくて、三千人以上、今井記念館に集まっちゃった。演壇のすぐ前のところまでもね、それでも入りきれない。そこで、表に拡声器だして、表にもまだ二、三千人いるってぐらいなんだ。
それでいながら、私が出ないんだろ。そら聴衆がわきだしたよ。
「天風先生を出せえ」というと、また東郷大将が、
「いま言うたとおり、お出になってもお話がでけんのじゃ」
そうするとまた、中には、
「顔だけ見せろ」というやつが出てきちゃう。
控え室にいた私はね、そこまで言うのに出ていかなきゃかわいそうだと思って、出ていったよ。でも、声がでないんですから、しゃべれません。しかしね、この何干という聴衆から、とにかくこれだけの憧憬(どうけい)をうけてる以上は、たとえこの場でいま倒れて死んでも構わん、一言ぐらいは言わなきゃと思ってね、はじめてそのとき私は演壇の水を飲んだよ。
そして、クンバハカになって、「しょくーん」と言ったら、大きな血の塊(かたまり)がパーッと飛びだしやがった。それと同時に、スラスラものが言えだしたじゃねえか。そのかわり、コンコン、コンコン血が出る。ハンケチ二枚とてぬぐい一枚がたちまち真っ赤。
そうしたらね、足元にいる学生たちがみんなですがりついて、
「先生、もういいです。もうわかりました。やめてください」というから、
「心配するな。おまえの血が出てるんじゃない。おれの血が出てるんだ。命なくすまでここに立ってないから安心してろ。おれの体はおれが知ってる。悪いもんが出ちまえば止まるから、心配するな」
一時間、血を吐きながらの講演。そらもう自分ながらね、勇ましいと思ったよ。もの言うたびに、ドロドロ、ドロドロ出るんだもん。
それで、その晩は九度近い熱。それでも七日たったらね。けろっと治っちゃった。しかしそのときにもしも、最初に「これはいけねえ、即刻入院、即刻手術。けれどは助かるか、助からねえかはわからねえ」といわれたら、もう入院しない前にあなた方なら死んじまうよ。ちょうど幸い、そこに紙と筆があるから遺言書くだろう。ありもしねえ金のことを。
しかし、ありがたいかな、私は自分の命の正体は肉体でも心でもないと信念していますから、全然びくともしませんよ』(転載ここまで)。
このような天風先生のお話しにウソはないと思います。それにしても、常人とちがうところが多くあります。
ともかく私は「びっくり」し、より天風ファンになり、いま、「なぜだろうか」と「びっくり」の答を知ろうと勉強中です。
読者の皆さんも御研究ください。
=以上=
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『人生のすべてのできごとは、すべて自分のこころがつくりだしている。「目にふれる一切合財はすべて人間の心の思考から生みだされている」その人が「強く思ったことは必ず現実化する」「自分の現在の姿は自分の心がつくりだしたものである」豊かさも貧乏も、健康も不健康も、すべて自分が思ったとうりになっている。』
この思想は中村天風氏が、実体験の中から掴み取った哲理であるため、思想家が頭で考えて作り上げた哲学とはその重みが違っていると感じました。
一昨日から実践していますが、驚くほど明るく元気に一日を過ごせます(笑)。とにかくネガティブなことは言わない、考えない、やらない。常に多少無理やりでもいいので、明るく、元気に考えます。そして、心配はしないで、きっとうまく行くと思うことにしました。自己暗示みたいな感じですかね。今日もこれを実践してみたいと思います。結果はまた報告します。
<記事転載>
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2009年4月10日
「中村天風先生のびっくり」
船井幸雄
4月6日のこのページで少し書きましたが、「聖書の暗号」研究家のIさんから「船井先生、先生のこれからの生き方には中村天風さんのことが大事だ、…と、聖書の暗号に出て来ていますよ」というような意味のことを言われて、久しぶりに天風先生の本などを数冊読みました。
私は天風先生には、お目にかかったことはありません。
しかし山中さんや上原國男さんから話しを聞き、勉強するように奨められて、天風先生には親しみを持っていました。
しかし、今回あらためて天風先生の著書や述書を読み、いろいろびっくりしました。
少なくとも天風先生は、医師から絶対に治らないと言われた肺結核(30才ごろの発症)と癌(50才すぎに発症)を、彼自身の精神力(?)で完治させたように読めます。
また虎と檻の中に一緒に入っていて平気だったとか、平(たいら)炭鉱ではニワトリを意識で動けなくしたような記述があります。
ともかく常人のできないことを多くやり、それをはっきり広言されています。
一つだけ実例をここに載せます。つぎの文章は’94年に日本経営合理化協会から出た中村天風述『心に成功の炎を』の中の147~153ページの文章です。
『これは自慢してもいいことだから自慢するけど、昭和十七年、北海道から講演を頼まれて、いざ行こうとする三日前に、急に私、声がでなくなっちゃった。
言論家の声のでないのは、ちょうど武道家が試合に行くときに、腕なり腰なりをくじいたか、折ったかというのと同じことだ。これが本当の声患(こえわずら)いだといわれたけれども、確かに声患いだ。
そら、えらいもんですな。朝、いつものとおり、ベランダでコーヒーを飲んでいて、もう一杯おかわりをもらいたいと思ってね、普段なら「おい、もう一杯」とこう言えるのが、「おっ、うっ」…おかしいな。でないんですよ。
そうしたら、うちの者が「どうなすったの?」「うっ」。それからしょうがないから、手でもって「声がでない」と書いた。それでもわからないもんだから、筆をもってきて、紙にチョイと書いた。
講演がとにかく三日後にあるから、北海道へ行かなきゃならない。北海道じゃあ、「日本三大言論家の一人来る」という広告をだしている。大正の初期の日本の三大言論家とは、田中舎身(しゃしん)(仏教運動家)と鵜崎鷺城(うざきろじょう)(評論家)と中村天風だった。とにかくその広告を立て看板でもって、町の辻々に立てている。そこへ私が出掛けていこうとするのに、声がでなかったならば、これは司会者が大恥かくもんね。言論家が声がでねえじゃ、言論じゃありゃしない。
すると、まさか私のほうから出向いて医者にかかるはずはないから、会の野崎さんが医者のほうから来れば別だろうというんで、私の竹馬の友に小野という耳鼻咽喉科の大家が東京神田のニコライ堂の前にいて、そこへ野崎さんが電話をかけたらしいんだよ。
「先生、急に声がでなくなっちゃったんですけれどね。遊びに来た体(てい)にして、ちょっとお出でになって診てくださらない?」といったら、向うじゃ半分ね、「ふだん、あのやろう元気で頑張っていやがるから、ざまあみやがれ、ほんとに。ほんとにひやかしてやれ」ぐらいのつもりで来たんでしょう。
いつものとおり、「こんにちは」。まあ彼は三か月にいっぺんぐらいうちに来るんですよ。
それで、ベランダに入ってきた。いつもだと、「ようっ、入れ」と、こう言う人間が何も言わないだろう、声がでねえんだから。むこうは声のでないの知っていやがんだけど、こっちは知ってきたとは思いやしねえ。
「どうした、元気か」
「うっ」
「おっ、声がでないのか」というから、
「うん」
「人の十人前も二十人前もふだんしゃべりやがるから、天罰だ。さあ、餅は餅屋。こういうときは、友達がいがあるんだ。さあ、口を開けてみな」といわれて、それでまた私も、ヒョイッと口を開けちゃったんだ。相手が親しい友達だから。そうしたら、ガチャッと入れやがったのは、暴れる子供ののどを調べるときの開口器。
舌押さえの先に懐中電灯のついたやつで、最初笑いながら見てたよ。そうしたら、だんだん難しい顔しやがってね、
「こりゃだめだ」と言いやがる。そうしたら、女房と野崎さんがいて、
「何でございます?」
「癌。珍しい癌だ、こりゃあ。声のでるところのね、すぐ入院しましょう。うちの 病院でよろしい。だがしかし、受け合いませんよ。九十パーセントはだめだ、こりゃあ。幸いに命を取りとめられるとしても、一生、もの言うことができないだろう。けど、医者としてはこれは黙っていられないから、すぐ入院」と。
いかがです、あなた方。日本でも一、二を争う、よろしいか、耳鼻咽喉科の大家がそう言ったから、あなた方なら「ああ、大変」と、もう死んだような気持ちになってしまう。
そのとき私は、ものが言えないんだから、筆で書いた。「入院はしない。北海道へ行く」。書いたら、小野、何と思いやがったか、また筆を取りやがって、「入院しなければ死ぬ」と書きやがった。それからまたすぐ筆取って、「おれは耳は聞こえる」と書いてやった。
そうして、だれが何て言おうとね、北海道へ行ったよ。そうして、やっぱり声がでない。
初日、ちょうど幸い、札幌の大きな宿屋、山形屋にたまたま東郷大将(大正年間より天風会員)が来てたよ。そして、東郷さんは、陸軍少将の基田という伝書鳩を日本に広めた少将を一緒に札幌の連れて来ていた。
だから私は、この二人に、「ちょうどいいから、おれのかわりに講演してくれ。おれはこういうわけで声がでないから」と紙に書いて講演の代わりを頼んだんだよ。あの時分にはもう軍人が、まして大将が来るなんていうと、みんな喜ぶんだ。
ところが、札幌でしょ。東京から行った学生がうんと札幌の大学にいますわ。それが、天風先生が来るというんで、とっても憧れの的(まと)にしてたらしくて、三千人以上、今井記念館に集まっちゃった。演壇のすぐ前のところまでもね、それでも入りきれない。そこで、表に拡声器だして、表にもまだ二、三千人いるってぐらいなんだ。
それでいながら、私が出ないんだろ。そら聴衆がわきだしたよ。
「天風先生を出せえ」というと、また東郷大将が、
「いま言うたとおり、お出になってもお話がでけんのじゃ」
そうするとまた、中には、
「顔だけ見せろ」というやつが出てきちゃう。
控え室にいた私はね、そこまで言うのに出ていかなきゃかわいそうだと思って、出ていったよ。でも、声がでないんですから、しゃべれません。しかしね、この何干という聴衆から、とにかくこれだけの憧憬(どうけい)をうけてる以上は、たとえこの場でいま倒れて死んでも構わん、一言ぐらいは言わなきゃと思ってね、はじめてそのとき私は演壇の水を飲んだよ。
そして、クンバハカになって、「しょくーん」と言ったら、大きな血の塊(かたまり)がパーッと飛びだしやがった。それと同時に、スラスラものが言えだしたじゃねえか。そのかわり、コンコン、コンコン血が出る。ハンケチ二枚とてぬぐい一枚がたちまち真っ赤。
そうしたらね、足元にいる学生たちがみんなですがりついて、
「先生、もういいです。もうわかりました。やめてください」というから、
「心配するな。おまえの血が出てるんじゃない。おれの血が出てるんだ。命なくすまでここに立ってないから安心してろ。おれの体はおれが知ってる。悪いもんが出ちまえば止まるから、心配するな」
一時間、血を吐きながらの講演。そらもう自分ながらね、勇ましいと思ったよ。もの言うたびに、ドロドロ、ドロドロ出るんだもん。
それで、その晩は九度近い熱。それでも七日たったらね。けろっと治っちゃった。しかしそのときにもしも、最初に「これはいけねえ、即刻入院、即刻手術。けれどは助かるか、助からねえかはわからねえ」といわれたら、もう入院しない前にあなた方なら死んじまうよ。ちょうど幸い、そこに紙と筆があるから遺言書くだろう。ありもしねえ金のことを。
しかし、ありがたいかな、私は自分の命の正体は肉体でも心でもないと信念していますから、全然びくともしませんよ』(転載ここまで)。
このような天風先生のお話しにウソはないと思います。それにしても、常人とちがうところが多くあります。
ともかく私は「びっくり」し、より天風ファンになり、いま、「なぜだろうか」と「びっくり」の答を知ろうと勉強中です。
読者の皆さんも御研究ください。
=以上=
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「私は自分の命の正体は肉体でも心でもないと信念していますから」
私はこの言葉の答えが知りたい。
解りますか?
なんとなく判るような気がします。
でも、とても難しい言葉ですね・・・。
確かに強く思い念じる事で、物事がスムーズにいったり、思った通りに行く事も多々ありました。
と言う事は、苦しい時と言うのも、やはり自分自身が作り出したと言う事でしょう!!!
要は、日々努力が必要と言う事ですね・・・?
わたしもyasaiさんのように、いつもニコニコし、他人を傷つけず、騙さず、感謝の気持ちを忘れる事無く接する事により、最近なんか良い事が起り始めています。
まさに自分の姿を自分が作り出していると言う事でいいのでしょうか??
私もこの「命の正体は肉体でも心でもないと信念していますから」とはどういう意味だろうと考えていました。一般的には命とは肉体と心だと思いますが、その命の本体は神あるいはサムシンググレートの一部という意味なのではないかと、自分なりに解釈しています。
命の正体は、肉体と心ですが、その本体は霊魂であり、その霊魂は神の分霊であると考えられるのではないかと思います。
日月神示をはじめ、神道では人間の霊魂は直霊魂(なおいのみたま)であると説いています。その直霊魂とは神の分霊であると言ってます。
つまり、人間は神さまの一部であるということです。
そして、なにより神の一部である人間の心が思うことは、全て成就されるということだと思います。心で強く思ったことは、必ず実現するというのが、中村天風氏の哲学の中心ですので、たとえ喉がガンに侵されていようが、「オレは絶対治る」と心で信念すれば、必ず治るということではないでしょうか。
そういう意味で、「命の正体は肉体でも心でもないと信念していますから」とは、「命の正体は、肉体でも心でもなく、自分が強く念じる心のパワー(神の力)である」ではないかと、今の時点では解釈しました。
他にも色々な解釈があると思いますが、これは私の独自の解釈になります。
ただ、ishiusuさんも言われているように、強く念じることによって物事がスムーズに行ったりするようです。逆に上手くいかないときは、その原因は自分の心の持ち方にあるようです。どうも、この現世はそういう目に見えないルールがあるみたいです。
以下の解説で、なるほど!と気付かされました。
『 中村天風哲学の概念
人生のすべてのできごとは、すべて自分のこころがつくりだしている。「目にふれる一切合財はすべて人間の心の思考から生みだされている」その人が「強く思ったことは必ず現実化する」「自分の現在の姿は自分の心がつくりだしたものである」豊かさも貧乏も、健康も不健康も、すべて自分が思ったとうりになっている。
「人生苦もありゃ楽もある」と考える人は、その通りの人生を送るし、「人生ろくなことしかない」と考える人は、実際に悲惨な一生を送る。人生が二度ない以上、「人生は楽しく過ごすもの」と強く思考せよと言い切る。「この世は苦しいものでも悩ましいものでもない。本質的に楽しい、うれしい、そして調和した美しい世界なのである」
「宇宙の造物主は、もともと人間を強く幸福に生きるように造った」「人間の力でどうしようもない運命はそう沢山あるものではない」。そもそも「蒔いたとおりに、花が咲く」つまり「人生は心ひとつのおきどころ。思い方考え方で人生の一切をよくもし悪くもする」「こころに犬小屋みたいな設計を描いて広壮な邸宅などできるはずがない」
「ぐんと勢いよく生きていけ。毎日これでもか、これでもかという勢いで生きていくんだ」「心が積極化されていれば、そう努力しなくても苦労しなくても幸福になれるように、人間はできているんだ」』
簡単に言えば、原因があり結果がある。
言い換えれば結果が出たって事は原因がある。
でも原因と結果の関係は、時間という概念をもった今の肉体をもった生活での概念です。
思った事が即結果とう事を想像できれば、この言葉の意味がわかるかと思います。
情報有難うございました。
自分なりに答えを探してみようと思います。
それにしても、中村天風さんって、すごい人ですね。
今の時代の迷い人の指標になるかもしれませんね。
ありがとうございました。