輸血するごとく原発稼働せり救はんとしてほふるや未来
(長野県)井上孝行 [1]
原発を再稼働することは、その場しのぎのエネルギー対策に過ぎない。しかも、再稼働しなくてもどんな電力不足も起きなかった。大飯原発の再稼働という野田佳彦の「決断」は、この秋の臨時国会の所信表明で繰り返した彼の好きな《明日》そのものを葬り去ろうとして決断したのだ。そうでないというのであれば、彼の《明日》と私たちの《明日》は、まったく異なった世界に属する。
[1] 「朝日歌壇(高野公彦選)」(2012年8月13日付け『朝日新聞』)。
それを語るであろう人は
誰も私達のあとにやって来ない。
私達がなさずに置いていたものを、
手に取りそして終らせる
人は誰もいない。
ヒルデ・ドミーン「誰も私達のあとにやってこない」部分
「後に続くものを信ずる」というのは古典的左翼運動の常套句であった。そう信じなければ前に進めない、という心情を私はけっして否定しない。しかし、振り返ったら誰もいない、ということはしばしば起こる。私のような者にすら、似たような経験はあった。だから、「後に続くものを信ずる」ことによって行為のエネルギーを獲得することは、普遍的に可能なわけではないし、誰かに推奨できるわけのものではない。
「私はこれをやりたい」、「いま、ここ、この私が私の意志を表明する」といった、さながら古典的左翼がプチブルと罵りそうな心情がその古典的左翼の情動を凌駕しうる、と私は思っている。それこそが、古典的左翼が力を失い、反原発運動は括りようのない雑多な市民、組織されていないが多数を形成しつつある市民によって担われ続けている情動としての機制である、と考える。私は誰も代表しない。私は私しか代表していない。そのような〈私〉が集まっているのだと思う。
「11・11反原発1000000人大占拠」の群集の中に入って、ある種の高揚感を感じながらも、いわばその感覚に抗うようにヒルデ・ドミーンの詩句のようなことを考えていた。抗議に集まる大群衆はスペクタクルである。視覚が感情を支配するかのように圧倒的ですらあった。
2001年9月11日のスペクタクルに圧倒された私たちはツインタワーの死者たちを悼む。しかし、それ以前の湾岸戦争、それ以後のイラク戦争あるいはアフガニスタンの死者たち、ツインタワーの死者数をはるかに凌駕する死者たちをどのように悼んだのか。情報操作の嵐の中で、私たちはいつの間にか〈命〉に差別を持ち込んでいたのではなかったか。だからこそ、「誰が人間としてみなされているのか? 誰の生が〈生〉と見なされているのか?」 [2] とジュディス・バトラーは語りはじめるのだ。
スペクタクルは私たちの認識、想像力を保証しない。時として危うくする。いつもそのように自分に言い聞かせなければならない。大群衆のデモの中で、そのように考えていた。
(中略)
政党または政治という視点で眺めれば、日本は昏迷をきわめている。政治理念のもとに政治家が結集するなどという姿はなく、政治権力把握の方便としての離合集散ばかりが目につく。そして何よりも、ポピュリズム的な手法に容易に絡め取られているマジョリティの存在が日本を暗くしている、と私には思えるのだ。
くらがりの中におちいる罪ふかき世紀にゐたる吾もひとりぞ
斎藤茂吉 [3]
現代といふ傲慢な発想法 あらあらしくも日輪まはる
永井陽子 [4]
[1] 「ヒルデ・ドミーン詩集」(高橋勝義・高山尚久訳)(土曜美術社出版販売、1998年)p.99。
[2] ジュディス・バトラー(本橋哲也訳)『生のあやうさ 哀悼と暴力の政治学』(以文社、2007年) p. 50。
[3] 「斎藤茂吉句集」山口茂吉/柴生田稔/佐藤佐太郎編(岩波文庫 2002年、ebookjapan電子書籍版)p. 260。
[4] 「永井陽子全歌集」(青幻社 2005年)p. 343。
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