ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

他力本願型

2008-05-13 | 雑念
引き続き2日目

グループは元気な子が多い田舎の素朴で純粋な感じ

活動中話し合いは比較的出来る
しかしおとなしい数名はなかなか話に入れない

そのおとなしい子を仮にAさんと名付けます
Aさんは決してチャレンジャーではありません
自分から行動することはしません

しかし1日目のラスト。
トラストフォールという台の上から後ろ向きに倒れて全員で受けとめる活動で、迷った挙げ句、自ら手を挙げチャレンジ

頑張りました
私から見ても本人も自分自身頑張ったと感じたと思います

そして本日
小雨がふりはじめた午後
2日間のラストの活動がパンパープランクという8mの飛び込み台から目前の空中ブランコに飛び付いて全員で命綱を持って受けとめるというものにチャレンジ

当然人によってチャレンジレベルが違うため、ダイブするのが最終目標ではありますが、台の上に乗ることを目標にするなら降りてくるもよし
とにかく自分の目標に立ち向かい頑張ること
そして達成して自尊感情を高めることを目指すのだが…

Aさんはハーネスを装着
「目標は?」と尋ねると
「台まで」と答えた

しっかり目標も設定し良い感じ
チャレンジャーになりつつあるのか?
喜ばしく見守っていると、脚立(3m)くらいの最上段に足を残した状態で膠着
首を横に振っている
「どうした?」
「無理」
見た感じもう少しなら行けそうな雰囲気

「目標までもう少し頑張ってみよう」
他のメンバーも「大丈夫だって」「頑張れ」

良い雰囲気だなぁと思いながら見ていると全く動かない
ここまで動かないかなぁと思うくらい動かない

珍しい
少しは頑張ってみる動きをするものじゃが…

その時「甘えてるな」と感じました
自分からその状況を打破しようとしない他力本願型

結局「じゃあ降りようか」と声をかけると

Aさんは降りはじめる
動けるじゃん

泣きながら下まで来て
「自分で頑張ったと思う?」ときいてみた
すると「頑張ってません」と泣きながら答える
そんなことないよ!ナイスチャレンジ!と言うも「頑張ってません」が突き刺さる

気になっていた

ラスト振り返り

全員に感想をきいた
みんなが言い終わったあと、Aさんが発言
パンパープランクのことは触れない

きいてみた。気になっていたからきいてみた。

「頑張ってませんって言っていたけど今もそう思う?」
すると触れられたくなかったような感じでうなずく
「みんなはどう思う?」
「頑張ったと思う」「頑張った」
「そうやなぁ頑張ってたよなぁ」

少しでも頑張ったと感じて帰ってほしいという思い

しかし甘えからくるマイナス発言と癖になっている他力本願、救済待ちの姿勢

2年、3年となるにつれ、おそらく誰もクラスの仲間が「頑張れ」と声をかけなくなってくるような気がする
今は素直に応援できているグループもAさんの消極的な態度に呆れてくる

グループのチャレンジしやすい雰囲気作りだけではやはり前に進まない

自分自身の頑張り、少しの我慢、やる気がなければ進まない

その両車輪を授業と平行して学校のクラス運営しなければいけない先生方
「アドベンチャープログラム」という授業を年間で取り入れて下さい

そしてクラス運営について論議しましょう
青少年育成についても

力が入りすぎて…

2008-05-13 | 雑念
昨日より1泊2日でアドベンチャープログラムを体験している中学生

先日まで企業研修に於いてのアドベンチャープログラムを指導していた流れから感じたのは

生きた年数に対する充実度が高いのは中学1年生までではないか?

というもの。
ポイントは「充実感」ではなく「充実度」というところ
当の本人として充実感は言うほど感じていない

青少年育成とはその充実度を高めることではなく、充実感を感じさせてあげることじゃないかなぁと思うんです。

つまり熱意ある教育する側の人(親や先生、地域の人)は青少年に対して、あんなことやこんなことをしてあげようと試行錯誤している
しかし行事が多すぎて怒濤のように月日が感じられている(少なくとも私の記憶ではそう)
立ち止まって自分を見つめる時間が足りない

つまり「振り返り」

確かにクラスやグループなどの雰囲気は沈みます
だって沈ませないと出来ない活動

ビビってんじゃねぇ!(オレ)

いろんな事を“感じ”ることができる時間
それを端折って(はしょって)教育と呼べるか!?



…えーっ、ごほんっ…

力を入れすぎたかもしれません

ファシリテーターとしては失格ですな。