中学数学のオール単元を見直した。
数日で全てを理解する事は不可能だが、
中学数学がどんな範囲なのか?は分かった。
一次方程式、二次方程式、三角形の合同や証明、関数、図形なんかもある。
しかし恐ろしく覚える事が多かったのだ。
僕は理数コースを受験する事になるのだが、結構、数学は好きみたいだ。
理科はあんまりだけど……
しかし数学を躓く人がどんな風に、遅れていくのか?そのメカニズムを知ったような気がする。
当然「エッキス」なんかの文字が式に入ってくる。「エッキス」が入るだけで拒否反応が起こるのだろう。
円周率も3.14が"π"となり、計算は楽になれどもほぼ外国の言葉になるのだ。
読み方も思春期に突き刺さる「おパイ」である。何で「おパイ」としたのか?他の文字でも良かったのに……。円と「おパイ」は組み合わせてはいけない。
中学生は勉強が手につかなくなる。
これは文科省のトラップである。
そんなお偉いさんたちのおふざけに嫌気が刺した青少年は「授業に着いて行く」を諦めて、小さなメモを教室で順番に回していくという遊びで退屈を紛らわす。
これがのちの「回覧板」という地域の情報源につながっていく。(ンなわけねぇ)
さてひとつ気づいた。
皆さんは「因数分解する」ってどんな呪文だったか覚えていますか?
x^2-2x+1=0
(x^2はエッキス二乗とする)
の左辺を( )でくくる。という呪文である。
つまり
(x-1)^2=0
と表すことができる。
これが「因数分解(という呪文を)使って二次方程式を解く準備」である。
解はつまり……x=1
である。
「( )でくくる」事を、因数分解?
分解じゃねぇ!
くくってるのに分解とはこれいかに?
そんな小さな疑問で、中学生は魔法が使えなくなってしまうのだ。精神的な弱さはすぐにテストに影響する。
そんな僕も当時、引っかかっていたようで、今改めて見なおすと……
ちょっと理解してしまった。
全ての単元を猛スピードで流して学ぶ事で理解する事があるのだ。
そう「素因数分解」である。
覚えてますか?
72を素因数分解しなさい。
という問題を解いてみる。
72=2×2×2×3×3
=2^3×3^2("2"の三乗かける"3"の二乗)
つまり"72"の因数に分解して書き表しなさい。ってことだね。
そしてワザとこの"2"と"3"の部分に( )をつける。
72=(2)^3×(3)^2
同じ事だ。
つまり"ある数字"を( )でくくり、それぞれ「( )×( )」で表現する。
これはイメージとして「72を小さな数字で分解している」というのは理解できる。
が!
いざエッキスが入るととたんに別物になってしまっていたのだ。
しかし同じ事。
「x^2-2x+1」もいわゆるひとつの数字
それを( )で表現する事を因数分解というだけなのだ。
つまり
(x-1)^2……x-1の二乗で表されるというわけだ。
(x-1)×(x-1)ということだね。
どうだぃ?分解してる感じ、出ているかぃ?
というわけで「数字嫌い」の人達には苦痛でしかない文脈になっている。
途中で読むのをやめた人もいるかもしれない。
それほど「数学」は人を選ぶと言っていい。
大人になって使わねぇじゃん!
これがそんな人の常套句になる。
しかし「数学を学ぶ意味」とは……
いや、「勉強をする意味」とは……
自分の可能性を広げること。
と同じ意味だと思う。
ひとつのことに打ち込んでスペシャリストになるも良しだが、それは可能性を捨てることにもつながる。
だから中学生、高校生、大学生くらいまでの若者が「俺は野球選手になる」と決めてしまうことの恐ろしさを大人は知っているのだ。
可能性を広げることは、中途半端に広く浅くする事とは違う。
確かに好きな事を一生懸命する事も大切だが、それ以外の「可能性」も諦めずに広げておく必要があるのだ。
いくら漫画家を目指そうと、「数学漫画」を描くことになるかもしれない。いや、漫画家こそ全ての教科のスペシャリストさを持ち合わせ、それ以外の構成力や芸術性、カリスマ性も持ち合わせなければいけない。
学校以外の経験も必要になるのだ。
絵を描くのが好きだから絵だけ描いてりゃいい、とはならないのだ。
そんな「視野を広げる」という授業があっても良いくらいだ。「道徳」や「英語」は要らないから、「視野」という授業を導入すべし!
数日で全てを理解する事は不可能だが、
中学数学がどんな範囲なのか?は分かった。
一次方程式、二次方程式、三角形の合同や証明、関数、図形なんかもある。
しかし恐ろしく覚える事が多かったのだ。
僕は理数コースを受験する事になるのだが、結構、数学は好きみたいだ。
理科はあんまりだけど……
しかし数学を躓く人がどんな風に、遅れていくのか?そのメカニズムを知ったような気がする。
当然「エッキス」なんかの文字が式に入ってくる。「エッキス」が入るだけで拒否反応が起こるのだろう。
円周率も3.14が"π"となり、計算は楽になれどもほぼ外国の言葉になるのだ。
読み方も思春期に突き刺さる「おパイ」である。何で「おパイ」としたのか?他の文字でも良かったのに……。円と「おパイ」は組み合わせてはいけない。
中学生は勉強が手につかなくなる。
これは文科省のトラップである。
そんなお偉いさんたちのおふざけに嫌気が刺した青少年は「授業に着いて行く」を諦めて、小さなメモを教室で順番に回していくという遊びで退屈を紛らわす。
これがのちの「回覧板」という地域の情報源につながっていく。(ンなわけねぇ)
さてひとつ気づいた。
皆さんは「因数分解する」ってどんな呪文だったか覚えていますか?
x^2-2x+1=0
(x^2はエッキス二乗とする)
の左辺を( )でくくる。という呪文である。
つまり
(x-1)^2=0
と表すことができる。
これが「因数分解(という呪文を)使って二次方程式を解く準備」である。
解はつまり……x=1
である。
「( )でくくる」事を、因数分解?
分解じゃねぇ!
くくってるのに分解とはこれいかに?
そんな小さな疑問で、中学生は魔法が使えなくなってしまうのだ。精神的な弱さはすぐにテストに影響する。
そんな僕も当時、引っかかっていたようで、今改めて見なおすと……
ちょっと理解してしまった。
全ての単元を猛スピードで流して学ぶ事で理解する事があるのだ。
そう「素因数分解」である。
覚えてますか?
72を素因数分解しなさい。
という問題を解いてみる。
72=2×2×2×3×3
=2^3×3^2("2"の三乗かける"3"の二乗)
つまり"72"の因数に分解して書き表しなさい。ってことだね。
そしてワザとこの"2"と"3"の部分に( )をつける。
72=(2)^3×(3)^2
同じ事だ。
つまり"ある数字"を( )でくくり、それぞれ「( )×( )」で表現する。
これはイメージとして「72を小さな数字で分解している」というのは理解できる。
が!
いざエッキスが入るととたんに別物になってしまっていたのだ。
しかし同じ事。
「x^2-2x+1」もいわゆるひとつの数字
それを( )で表現する事を因数分解というだけなのだ。
つまり
(x-1)^2……x-1の二乗で表されるというわけだ。
(x-1)×(x-1)ということだね。
どうだぃ?分解してる感じ、出ているかぃ?
というわけで「数字嫌い」の人達には苦痛でしかない文脈になっている。
途中で読むのをやめた人もいるかもしれない。
それほど「数学」は人を選ぶと言っていい。
大人になって使わねぇじゃん!
これがそんな人の常套句になる。
しかし「数学を学ぶ意味」とは……
いや、「勉強をする意味」とは……
自分の可能性を広げること。
と同じ意味だと思う。
ひとつのことに打ち込んでスペシャリストになるも良しだが、それは可能性を捨てることにもつながる。
だから中学生、高校生、大学生くらいまでの若者が「俺は野球選手になる」と決めてしまうことの恐ろしさを大人は知っているのだ。
可能性を広げることは、中途半端に広く浅くする事とは違う。
確かに好きな事を一生懸命する事も大切だが、それ以外の「可能性」も諦めずに広げておく必要があるのだ。
いくら漫画家を目指そうと、「数学漫画」を描くことになるかもしれない。いや、漫画家こそ全ての教科のスペシャリストさを持ち合わせ、それ以外の構成力や芸術性、カリスマ性も持ち合わせなければいけない。
学校以外の経験も必要になるのだ。
絵を描くのが好きだから絵だけ描いてりゃいい、とはならないのだ。
そんな「視野を広げる」という授業があっても良いくらいだ。「道徳」や「英語」は要らないから、「視野」という授業を導入すべし!