ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

哲学から一番遠い哲学者。

2015-06-19 | 雑念
押し迫ってきてます。

冒険教育のファシリテーションをする日。
アイスブレイクって「やほー」で調べます。

すると星の数ほどゲーム集が出てきて。
似たり寄ったりな遊びが出てくるんです。

大人が研修の緊張を和らげるために行う身体を動かすゲームですね。

この効果は絶大だと思います。
自分も研修に行くとアイスブレイクしても緊張は解けないほどの人見知りなので辛いんです。

そして苦手なゲームが数多くあるのも僕の特徴です。

特に2人組で恥ずかしい事を無理やりさせられるやーつ、嫌いです。

恥ずかしいですし、本来の研修への参加意欲を半減させる魔力が僕にとってはあるからです。

特に「ミラーストレッチ」というまねをするやーつは死ぬほど嫌いです。

もう付き合っている彼女とみんなの前でキスさせられるより恥ずかしいです。しかも大抵そういうやつは拒否権ないんですよ。

ある意味罰ゲームです。

ここで一気に心が閉ざされます。
この研修が僕の中で「2度と参加したくない集まり」にカテゴライズされます。

そんなアクティビティを入れないように工夫はするのですが、人それぞれ「嫌なゲーム」に違いがあるのが曲者です。

ある程度の運とメンバーによるところも大きいです。

不思議です。

研修は生き物です。

その場でどれだけ場の空気を大切にしながら、参加者を学ぶチャンスと出会えるのか?を演出しなければいけません。

ある意味、教科書がないからピンキリです。

体験学習を用いた研修が、体験から学ぶために時間がかかるし、体系的に伝えていく事が難しいのです。

どれだけ学んだか?どれだけ成長しているか?も講師や自分自身でさえ評価できない事もあるくらい。そして日常生活に戻ってから効果を認識する事もあったり、なかったり。

どんだけ、難しい領域なんだよ。

考えすぎたら、ほぼ哲学である。

ファシリテーションとは、哲学である。

学ぶとは何か?

人が成長するって何か?

哲学者である。

哲学を語ると、まじめで退屈になる。

特に難しい昔の哲学者や、歴史なんかに触れ出すと途端に欠伸が出るのだ。

笑顔が少し出て、
知り合いが増えて、
考え方を共有して、
感動も少しは出来たら、

そこに学びがついてくるのでは?

そんなサンダルでTシャツな哲学の授業だったら受けてみたいなぁ。