ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

リア友とFB友の愉快な螺旋構造

2015-07-10 | 雑念
ほらぁ~
結局ブログアクセスは幻と消えた。
いつもの数に落ち着き、いつもの感情に収まった。

で、「何だったんだろ?」というモヤモヤした気持ちが残った。それから「やっぱり計算ミスだろ?」と考えることが1番合点がいく。

雨。

梅雨空に相応しいシトシト、ジトジト
湿度が跳ね上がり、寝苦しい。

機械がバカな動きをするのも頷く。
もうマトモな状況ではおられん。
ブログアクセス解析回路が湿度でショートして「水増し機能」と相まって弾き出した間抜けな数字だったのだろう。

Facebookを再稼動している。
辞めた理由を「CMが鼻に付く」と言っていたが、もう一つの理由を思い出した。

Facebookの時間が勿体無い

である。
SNSは暇さえあればチェックしてしまうのだ。
これは宿命である。如何にリアルタイムで友人の投稿をチェックし、リスポンスできるか?という意味のない強迫観念に取り憑かれてしまうのだ。

そうだそうだ、思い出した。

ならば見るのを辞めたらイイじゃん!と思う人も居るでしょう。でも不思議なものでスマホの形と機能は、手軽にゲームができるのと同じようにSNSを意味なく開いてしまうのだ。

その頻度たるや「空き時間=スマホいじり」なのである。

その大半を占めていたFacebookチェックを辞めたのが数年前のアカウント閉鎖につながっていた。

しかしある一部の友人の間ではイベントのやりとりや、閉鎖的な仮想空間をうまく活用して情報交換を行ったりしていたのだ。

ある意味、LINEよりも手軽にメッセージ交換していたのだ。

かといってかつての友達承認のリストも保留のままになっているこの僕が友達が増えるはずもなく、手軽な友達承認もはばかられる。

かつての「挨拶抜きの友達申請」への無礼も実は設定で受け取れない場合も存在することに気づいたり(本当に挨拶抜きの申請もある)

もうFacebookへの思い入れも無くなってしまった今は「自分CMツール」としては優秀なのではないか?とある意味、「絶望の向こう側」の境地に達した。

もうFacebook界での「友達」は友達ではなく、「名刺交換」である。次回からの「いいね」ゆ「メッセージ」を送りあう社交辞令そのものなのだ。

僕は「友達」という言葉を、本来の意味でしか捉えられず「挨拶抜き」とか「CMばっかり」とか、友達らしからぬ更新に嫌気がさしていたのだが、そう「“友達申請”を“名刺交換”と置き換える」と俄然、納得もできる。

こんな昭和初期な感情を未だにブログでちまちま書きためて何になるのだろう。

だからあまりにみんなに迷惑がかかると思って、一旦ブログ更新とFacebook投稿をリンクして再開したのだか、辞めちまった。

毎日、こんな愚痴を名刺交換した人に垂れ流すのは無礼だろう。「読みたい人がワザワザ訪れて読む」それがこのブログであろう。

こんなこと書いていると、
リアル友達も増えないだろうな~