自分の不甲斐なさを感じる時
それはいまの自分に満足できていない時
変わる時だと深層心理で訴えてきているのかもしれません。
僕は、前から「アンテナ」が大切だと考えています。
アンテナとは、
言い換えれば「センス」「感性」です。
物事をどのように感情で捉え、
それを自分で咀嚼して
表現するか
それはまるで芸術家のような作品を思い浮かべます。でもどんな仕事でも生き方でも同じだと思っているのです。
だから僕は感情的に「センスのない人」は馬が合いません。
その「アンテナ」はトレーニングで鍛えられるとも考えていて、僕は今自分自身のアンテナを鍛えるために頑張っているとも言えます。
兵庫に帰ってきて「ゆうだちキャンプ」を始めたのも、アウトドアで仲間とワイワイすることで遊びのセンスや自然との関わりを模索できたら素敵だと考えたから。
日々の体幹トレーニングも、ブクブク太っていても感性が鈍るだろうと思い立ったからでもあります。(半分以上モテたいという不純もある)
ほぼ日手帳に書いている毎日の「うれしかったこと3つ」も(あっ、これは初披露かな)、毎日の振り返りを磨いているつもり。
ダイエットもトレーニングとほぼ同義だけど、毎日の体重測定や1年間の右肩下がりのグラフを見て、年間スパンを考えられる脳を視覚的にインプットするためでもあるのです。
結果論ですけど。
でも考えずに何となく始めたことでも、
その成果や効果を感じられるセンスが備わったような気がしています。
だからこそ
「アンテナ」が大切だとやっぱり思うのです。
皆さんはどう思うのでしょう?
僕はボヤッと今思っているのは、
このアンテナを鍛える研修やサークルって面白いなぁと思っているんです。
ビジネスの接遇やサイト構築のノウハウを学ぶ講習はあれども、ビジネスセンスや感受性を養うための講習に特化したものはないように思うのです。
すべての仕事、すべての生き方に関わってくる。
ヨガが流行ったのも何となくそれに近いものだったのだろうと思います。
でもヨガは僕はあまり好きくありません。
だから「アンテナ」を鍛えるためだけに、集まって、場所はいろんなところへ行って、深呼吸するのか、沈黙して周りを見回すのか。
そして感じたことをシェアしてセンスを磨く。
他人が感じていることを知ることでさらに自分のセンスの幅を広げていく。
時には、音楽を打ち鳴らし
時には、神社仏閣へ
時には、無人島へ行って
時には、激しくロングトレイル
時には、温泉につかり
時には、テーマに沿って激論を
時には、フェスでも行ったり
時には、ドライブで遠出を
結局僕はいつもこんな事を考えているんですね。
別に特別「アンテナ鍛えまっせ」と銘打つ必要もないのだけど、いつものイベントを考える作業に全く変わりがないのよね。
僕は死ぬまでこんな事をしていそうな気がします。
そんなにアンテナ鍛えていつ使うねん!
いや、僕はその現代人が陥りやすい「他人がこうだから」という「常識」や「空気を読む」という人間になりたくないだけ。
赤塚不二夫がタモリを見つけたとき
「こいつすごいな」と思ったはず。
僕は今からタモリにはなれないけど、
赤塚不二夫のような目を養いたい。
赤塚不二夫はとんでもない資金力でもってタモリのパトロンになるのだけどね。
僕にはその資金力もないけど
その目は、その目というか感性は素晴らしい。
そういう素晴らしい世界を見つけられる人になりたい。
そのためにはいつもバカボンのパパであり続けなければいけない。
パパになれば、楽しい人生を歩むことができる。
だって何をしでかしても「これでいいのだ」なのだから
結局、「ナンセンス」になりたいと言っているに等しい。
センスを磨けば磨くほど、ナンセンスに近づいていくのだろう。
本当に哲学だよな、ここまでくると。
それはいまの自分に満足できていない時
変わる時だと深層心理で訴えてきているのかもしれません。
僕は、前から「アンテナ」が大切だと考えています。
アンテナとは、
言い換えれば「センス」「感性」です。
物事をどのように感情で捉え、
それを自分で咀嚼して
表現するか
それはまるで芸術家のような作品を思い浮かべます。でもどんな仕事でも生き方でも同じだと思っているのです。
だから僕は感情的に「センスのない人」は馬が合いません。
その「アンテナ」はトレーニングで鍛えられるとも考えていて、僕は今自分自身のアンテナを鍛えるために頑張っているとも言えます。
兵庫に帰ってきて「ゆうだちキャンプ」を始めたのも、アウトドアで仲間とワイワイすることで遊びのセンスや自然との関わりを模索できたら素敵だと考えたから。
日々の体幹トレーニングも、ブクブク太っていても感性が鈍るだろうと思い立ったからでもあります。(半分以上モテたいという不純もある)
ほぼ日手帳に書いている毎日の「うれしかったこと3つ」も(あっ、これは初披露かな)、毎日の振り返りを磨いているつもり。
ダイエットもトレーニングとほぼ同義だけど、毎日の体重測定や1年間の右肩下がりのグラフを見て、年間スパンを考えられる脳を視覚的にインプットするためでもあるのです。
結果論ですけど。
でも考えずに何となく始めたことでも、
その成果や効果を感じられるセンスが備わったような気がしています。
だからこそ
「アンテナ」が大切だとやっぱり思うのです。
皆さんはどう思うのでしょう?
僕はボヤッと今思っているのは、
このアンテナを鍛える研修やサークルって面白いなぁと思っているんです。
ビジネスの接遇やサイト構築のノウハウを学ぶ講習はあれども、ビジネスセンスや感受性を養うための講習に特化したものはないように思うのです。
すべての仕事、すべての生き方に関わってくる。
ヨガが流行ったのも何となくそれに近いものだったのだろうと思います。
でもヨガは僕はあまり好きくありません。
だから「アンテナ」を鍛えるためだけに、集まって、場所はいろんなところへ行って、深呼吸するのか、沈黙して周りを見回すのか。
そして感じたことをシェアしてセンスを磨く。
他人が感じていることを知ることでさらに自分のセンスの幅を広げていく。
時には、音楽を打ち鳴らし
時には、神社仏閣へ
時には、無人島へ行って
時には、激しくロングトレイル
時には、温泉につかり
時には、テーマに沿って激論を
時には、フェスでも行ったり
時には、ドライブで遠出を
結局僕はいつもこんな事を考えているんですね。
別に特別「アンテナ鍛えまっせ」と銘打つ必要もないのだけど、いつものイベントを考える作業に全く変わりがないのよね。
僕は死ぬまでこんな事をしていそうな気がします。
そんなにアンテナ鍛えていつ使うねん!
いや、僕はその現代人が陥りやすい「他人がこうだから」という「常識」や「空気を読む」という人間になりたくないだけ。
赤塚不二夫がタモリを見つけたとき
「こいつすごいな」と思ったはず。
僕は今からタモリにはなれないけど、
赤塚不二夫のような目を養いたい。
赤塚不二夫はとんでもない資金力でもってタモリのパトロンになるのだけどね。
僕にはその資金力もないけど
その目は、その目というか感性は素晴らしい。
そういう素晴らしい世界を見つけられる人になりたい。
そのためにはいつもバカボンのパパであり続けなければいけない。
パパになれば、楽しい人生を歩むことができる。
だって何をしでかしても「これでいいのだ」なのだから
結局、「ナンセンス」になりたいと言っているに等しい。
センスを磨けば磨くほど、ナンセンスに近づいていくのだろう。
本当に哲学だよな、ここまでくると。