5年前、裏磐梯のれんげ沼で、岸辺が紅葉している光景に出会った。その紅葉が水面に紅い色を落としていたので、気に入って撮った1枚である。
70余年も生きてくると、さまざまな事柄にぶち当たるものだ。
そのたび毎に、なけなしの知恵や勇気で乗り切ったり、周りの人たちに助けられたりして、なんとかここまで生きてきた。威張れるような事跡を残してはいないが、生きてきたことだけは確かだ。
30年ほども前であろうか、「あーあ、もうダメかなあ」、と思ったことがあった。
妻と幼い子供2人、路頭に迷わせることも覚悟せざるをえない事態だった。結果として、そうではなかったのだが、私は悪いほうに思い込んでいたのだ。
その時、偶然にもこの言葉に出会った。他人から見れば、他愛ない言葉かもしれないが、私にとっては、腰からしたあたりにヅシンと衝撃があった。
それは、「得意澹然、失意泰然」、という言葉であった。
この言葉は、中国・明の時代、崔後渠がつくった格言「六然」の中にある。
ちなみに「六然」は、「処自超然、処人藹然、有事斬然、無事澄然、得意澹然、失意泰然」と続いている。
「得意の時、喜び過ぎずに淡々と受け止め、失意の時は、泰然自若としていよう」、という意味のようだ。
しかし私は、「失意の時に泰然自若として過ごすためには、得意の時、有頂天になって喜んではいけないのだ。得意の時こそ、失意の人がいることに思いをいたし、自重すべきではないか」と、勝手に読んでいる。
いずれにしても、私はこの言葉によって救われた。今でも大切にしている。