好きな歌謡曲の一つに、「船頭小唄」がある。「おれは河原の枯れすすき……」、と唄い始めるあの歌だ。
大正12年に、野口雨情作詞、中山晋平作曲で発表され、大いに流行ったそうだ。
いかに老年の私でも、まだその頃は生まれていない。
私が小学生のころ、父は時折、この歌を口ずさんでいた。それが「船頭小唄」との初めての出会いだ。
父は音痴気味で、滅多に唄わないのだが、「船頭小唄」と「……?(題名は分からないのですが、朝晩すり餌頂いて、水頂いて暮らすのも……という詩。どなたか題名をご存じありませんか?)」の二つだけは時折唄っていた。
野口雨情の生家が、私が生まれ育った茨城県北部だったので、歌が不得手だった父も、興味を持って唄っていたのかもしれない。
野口雨情のエピソードをまじえながら、唄って聞かされた記憶が今も残っている。
そのようなことがあったせいか、私はこの歌が好きだ。しかし、ひどく淋しくて暗い歌なので、祝いの席や晴れがましい会などでは歓迎されない。カラオケ店でも、嫌われてもおかしくない曲の一つである。
ところが、昭和40年代の初め、この歌をさるキャバレーの「のど自慢大会」で唄い、優勝をしたことがあった。たとえ若気のいたりとは言え、乱暴なことをしたものだ。ブログででもなければ、打ち明けられない武勇伝(?)である。
ひところ、森繁久弥が例の森繁節で、切々と唄い人気を博したことがあった。我々素人は、どんなに興が乗っても、森繁節では唄わないほうがいい。なかなかあのような哀調は出ないようだ。
おれは河原の 枯れすすき
おなじお前も 枯れすすき
どうせ二人は この世では
花の咲かない 枯れすすき
この曲とは関係ないことなのだが、私は写真の被写体として、芒が好きだ。
写真として撮る場合、群生している芒が、夕日にキラキラ映えている様子は、さすがに絵になる。しかし私は、むしろ2~3本の芒が、頼りなさげに風に吹かれているさまに、ひどく心惹かれる。
「芒」には「頼りなさげ」な風情が、ぴったりするように思える。あの「船頭小唄」のうら寂しい調べに影響されているのだろうか。
今日の写真は、一昨日、さいたま市内で撮った。まだ「枯れすすき」とまでに到ってはいないが、「頼りなさげ」な風情であった。つい、パチリ。ひとりよがりの感興に浸っているわけだ。
昨日、民主党の小沢代表が、「政治を混乱させたので、ケジメを付けるために辞任したい」として辞意を表明した。鳩山幹事長が慰留につとめているようだが、どのように推移するのだろうか。
彼の政治手法が、選挙大勝後と言えども、通じなかったのだ。やはり政治屋の独断専行はいけない。
あの参院選で大勝し、天下を取った勢いだったが、まさに「諸行無常」であり、「有為転変」は世のならいである。
政情が流動化するのだろうか。頼りにならない政治の動きではある。
「船頭小唄」は5番まである。4番の詩にも、私は愛着を感じている。
なぜに冷たい 吹く風が
枯れたすすきの 二人ゆえ
熱い涙の 出たときは
汲んでおくれよ お月さん
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