私は大体、土曜日に札幌市内のギャラリー巡りをしており、それは雪祭りがあろうが、クソうるさい○○○○○○○○祭りがあろうが、おおむね行われる。例外は仕事があるとき(最近はめったにない)、体調が悪い時、札幌を離れる理由がある場合くらいである。
しかし、今日は札幌の街中には積極的に行かないという選択をした。特に午前中から昼頃は行くべきではなかろう。でも5日間、家から一歩も出なかったので(ゴミ捨て除く)、さすがに外には出たいんだよね。それでは逆方向へ、ということで私は暑い中バスを待った。
このバス、今日は11時頃まで札幌駅前ではなくて、円山第一鳥居発になっていたので、さすがに乗っている人は少ないだろうという予想がズバリ的中。到着したバスに乗っていたのは2名、そこに私が一人乗り込む。西20丁目で4人乗り込んできたが、ガラガラのバスで小樽へと向かうのだ。
天気もいいし、休み気分が盛り上がってきた。バスはスムーズに小樽駅前に到着。外に出ると暑い。
そして、やっとこの間バス停がどこにあるか分かり、到着から10分かからぬタイミングで高島3丁目行きのバスに乗り込む。目指すは小樽市総合博物館だ。
前回、小樽に来た時、実は始まっていたことに気がつかなかった展覧会を見に来たのである。
■小樽市総合博物館「鉄道資料展~山田建典氏コレクション~」。
まず、入口からすぐの一番目につく展示ケースはこんな感じ。
しかし、この方、かなりモノホンのコレクターであった。ほんの一部だけご紹介する。
「各地の鉄道管理局・交通局の広報誌」:札幌はもちろんだが、おかてつだより、静鉄だより、広鉄だより等、全国の広報誌が並ぶ。
「函館本線列車ダイヤ」:昭和50年度災害時における列車う回ダイヤとして、赤線の書き込みが生々しい。何の災害なのかはっきりしないのだが、水害だろうか。
「全国鉄道地図」:北海道の変形が甚だしく、上が函館、左下が根室、右下が稚内となっており、使うとなると相当違和感があったのでは。サイズの大きさからして、持ち運びするものではなかったのだろうか。
「安全週間標語集」:この人がいなかったら、こんなの残らないのでは?
「乗客への急告文」:イタヅラで座席の布を切取り、側板に落書をし、幌を切り、窓ガラスを破壊するのだ。日本人の民度バンザイ! 昭和37年のことなので、今、70代くらいの人は、偉そうな口をきかないように。
「市町村鳥瞰図・市勢要覧」:鉄道から勢い余って、地域の実態まで。まあ、鉄道の維持と切り離せないよね。
「写真集「追憶1973」より」:美唄鉄道の資料はかなり充実していた。写真右下は、私も2年ほど前に訪問した「東明駅」。
他の展示には家族連れが何組かいたが、この展示室の観覧者は私だけであった。後はいつも見ている所なので、暑い中、バス停へ。
この博物館までは歩いて行ったりしたこともあるのだが、今日は余計なことをすると生命の危機を感じる。無理せずバスに乗って、中央通で降りる。
死ぬほど暑い中、運河プラザ三番庫へ。
■運河プラザ三番庫「峯山冨美没後10周年企画展 小樽運河保存運動の母が遺したモノ、伝えたかったコト」。さらに大きな字で「私は運河を守れなかった」と書いてある。
展示は撮影ができなかったので、記憶のままに書くが、悲しい印象しかない。
運河を無くして道路を作る派も運河を残す派も、小樽の発展を考えていたのは間違いないようである。道路建設派は勢いよく6車線の道路をぶち上げたものの、議論の末、最後には「小樽が北海道の中心になることはもうない。6車線は不要」と言われたりして(梯子外し)、悲しい限りである。運河派も最後の大勝負で小樽市長リコール、を考えたがこれに賛同するものと、できないもので運動は分裂…。さらに、今となってみると、どんなことをやろうとも人口減や、経済の落ち込みは避けられなかった(日本全体がそうである)。何とも言えない気持ちで、私は会場を後にした。
しかし、暑いね、小樽。