ギャラリー巡りといっても、本郷新記念札幌彫刻美術館の一か所のみである。
■本郷新記念札幌彫刻美術館「北の美大展(仮)」。
この展覧会については以下のブログを参考に開催の背景などを知っておいた方が良いかもしれない。
佐藤拓実(美術家)「こたつ島ブログ」の記事「卒業制作展の時期になると毎年思い出すこと」。(リンクフリーだと思いますが、参考にさせていただくとともに、URLを貼り付けさせていただきました。感謝致します)。
美術館の前庭には彫刻とともに、先日作られた雪の彫刻が一部残されていた。
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平井柊哉「地下の星を運ぶ」:地下鉄の終電が出てしまったことを表すサインを模したものである。昔は私もこれを結構眺めていたのだが、最近はもう寝ているからなあ。
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鈴木隆司、亦野翔太、森野唯斗「Snowscape」(のごく一部):白くないこの形を見ると、雪というよりは六芒星(ダヴィデの星)を思い浮かべるのだよなあ。
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森山美桜「兄が言っていた口の利けない人」:一人暮らしを反対されたが、何とか親を説得した作者。時が流れて、母の様子を見に来たのだが、チャイムを鳴らしても反応がない。多少の不安を感じながらもいったん帰ることにしたが、後でそれを後悔せずにいられようかという作品。
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ドアスコープの向こうには作者と思われる人がチャイムを鳴らし、心配そうにしている顔の映像が映っている(この写真には写らなかった)。
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確かに後悔することはあるのだと思うが、身内が仮に急死したとしてもそのすべての場面に立ち会うことはできないわけで、「どうしようもなかった」と呟く以外にすることはないだろうというのが私の考え方である。
さて、もう一作、美術を学ぶ学校において、何を描いたら良いのかについて自分の考えと先生の考えがすりあわず、悶々としてしまうという筋立ての文章を含んだ作品があった(撮影禁止のため写真なし)。その文章を読むと先生の側にアカデミックハラスメントのような気配も感じるし、いや、結局何を描くかについては自分で決めるしかないのだという気もする。
私自身の体験だが、数学科において専攻ゼミを決める時に「いったい、君は何をやりたいの」と聞かれたことがあるのだが、そういわれても困るよね。「いや、特にやりたいことは無くて、楽に卒業できればいいんですけど」とは、さすがに無神経な私でも言えないではないか。学問の場において何をしたいのかというのは主体的に考えなくてはならないものではあろう。
しかし、もう一つ思うことは現在の教育シーンにおけるお金のなさが問題であるかもしれないということだ。私が学生時代にももちろんバイトをしていたのだが、それは学費や生活費を稼ぐためではなく、遊興資金のためにやっていたものである。我々より上の世代では「苦学生」という言葉もあったが、いわゆるバブル期に学生だった私はあまりそのような金銭苦を見たことがない(といっても、我が家が裕福だったわけではないし、苦学をされている人はいつの世にもいるのだろう)。
そして今、この作品の文章を読むと明らかにバイトで稼がないと生活に支障をきたしそうに読める。また、学校にも潤沢な資金はなく、先生方も教材などに関しても、また校外で展覧会をやることにおいても大変な苦労があるのだろう。それを思うと「アーティストは自分の思った通りの作品を作れよ」というのも、あまりに安易な心ない発言なのかもしれない。
平井柊哉「Blue windows, on white.」:作品の下部の線は札幌駅前にあるESTAの建物の輪郭線なのだそうだ。作品名からして、パソコンの「ブルースクリーン」を思わないこともないが、最近のパソコンはほとんどブルースクリーンになることもないため、やっぱり違うか。
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世の中に対するもどかしさと、幾分かの面白さを感じる展覧会。入場有料(300円)だが、見に行って損はないと思うのだが。
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外に出ると空模様はいつしか大雪になっていた。
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いや、吹雪になっていた。
■本郷新記念札幌彫刻美術館「北の美大展(仮)」。
この展覧会については以下のブログを参考に開催の背景などを知っておいた方が良いかもしれない。
佐藤拓実(美術家)「こたつ島ブログ」の記事「卒業制作展の時期になると毎年思い出すこと」。(リンクフリーだと思いますが、参考にさせていただくとともに、URLを貼り付けさせていただきました。感謝致します)。
美術館の前庭には彫刻とともに、先日作られた雪の彫刻が一部残されていた。
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平井柊哉「地下の星を運ぶ」:地下鉄の終電が出てしまったことを表すサインを模したものである。昔は私もこれを結構眺めていたのだが、最近はもう寝ているからなあ。
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鈴木隆司、亦野翔太、森野唯斗「Snowscape」(のごく一部):白くないこの形を見ると、雪というよりは六芒星(ダヴィデの星)を思い浮かべるのだよなあ。
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森山美桜「兄が言っていた口の利けない人」:一人暮らしを反対されたが、何とか親を説得した作者。時が流れて、母の様子を見に来たのだが、チャイムを鳴らしても反応がない。多少の不安を感じながらもいったん帰ることにしたが、後でそれを後悔せずにいられようかという作品。
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ドアスコープの向こうには作者と思われる人がチャイムを鳴らし、心配そうにしている顔の映像が映っている(この写真には写らなかった)。
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確かに後悔することはあるのだと思うが、身内が仮に急死したとしてもそのすべての場面に立ち会うことはできないわけで、「どうしようもなかった」と呟く以外にすることはないだろうというのが私の考え方である。
さて、もう一作、美術を学ぶ学校において、何を描いたら良いのかについて自分の考えと先生の考えがすりあわず、悶々としてしまうという筋立ての文章を含んだ作品があった(撮影禁止のため写真なし)。その文章を読むと先生の側にアカデミックハラスメントのような気配も感じるし、いや、結局何を描くかについては自分で決めるしかないのだという気もする。
私自身の体験だが、数学科において専攻ゼミを決める時に「いったい、君は何をやりたいの」と聞かれたことがあるのだが、そういわれても困るよね。「いや、特にやりたいことは無くて、楽に卒業できればいいんですけど」とは、さすがに無神経な私でも言えないではないか。学問の場において何をしたいのかというのは主体的に考えなくてはならないものではあろう。
しかし、もう一つ思うことは現在の教育シーンにおけるお金のなさが問題であるかもしれないということだ。私が学生時代にももちろんバイトをしていたのだが、それは学費や生活費を稼ぐためではなく、遊興資金のためにやっていたものである。我々より上の世代では「苦学生」という言葉もあったが、いわゆるバブル期に学生だった私はあまりそのような金銭苦を見たことがない(といっても、我が家が裕福だったわけではないし、苦学をされている人はいつの世にもいるのだろう)。
そして今、この作品の文章を読むと明らかにバイトで稼がないと生活に支障をきたしそうに読める。また、学校にも潤沢な資金はなく、先生方も教材などに関しても、また校外で展覧会をやることにおいても大変な苦労があるのだろう。それを思うと「アーティストは自分の思った通りの作品を作れよ」というのも、あまりに安易な心ない発言なのかもしれない。
平井柊哉「Blue windows, on white.」:作品の下部の線は札幌駅前にあるESTAの建物の輪郭線なのだそうだ。作品名からして、パソコンの「ブルースクリーン」を思わないこともないが、最近のパソコンはほとんどブルースクリーンになることもないため、やっぱり違うか。
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世の中に対するもどかしさと、幾分かの面白さを感じる展覧会。入場有料(300円)だが、見に行って損はないと思うのだが。
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外に出ると空模様はいつしか大雪になっていた。
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いや、吹雪になっていた。
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