横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

起雲閣

2024-02-10 15:13:04 | 日記

今回、熱海を歩くことにした時に起雲閣というのが有るのを初めて知った。

 

 

起雲閣は1919(大正8)年に実業家・内田信也が別荘として建てたそうだ。
当初は和館が2棟と土蔵であった。

 


その後、昭和に入って東武鉄道社長・根津嘉一郎に買い取られ洋館2棟が建てられたそうだ。

さらに昭和22年になって旅館「起雲閣」としてオープンされ観光客や文豪たちも利用したようだ。

 

 

この部屋は和館2階の座敷「大鳳」。太宰治も泊まったそうだ。

 

 

下を見ると根津嘉一郎が手掛けた池泉回遊式庭園が広がっている。

 

 

左手に洋館を見下ろす。

 

その洋館、「玉姫」に向かうとすぐにあるのがサンルーム。
天井にはステンドグラス。そして床は色とりどりのタイル貼りだ。

 

玉姫の間は中に立ち入ることは出来なかったがまじかに見られる。
中央に暖炉を設け洋風ではあるが、天井や欄間などの造作に和風も見られる。

 

庭の景色。中央に大きな岩が見える。

 

根津嘉一郎という人は大きな石にこだわりがあって、熱海近隣や真鶴から多数の石を運んだそうだ。
特に梅園近くにあった20トンもの大石を2か月かかって根津邸に運び込んだのが上記の岩だそうだ。

 

 

玉姫、玉渓の間に続いて展示室がいくつか続いた、その先に「金剛」の間がある。
「金剛」は根津が昭和4年に建てた最初の洋室だ。迎賓の間らしく格調が高い。

 

隣には2槽の風呂を持つローマ風の浴室がある。

 

 

終戦後、政治家・実業家の桜井兵五郎が取得し、旅館を開業し「起雲閣」と名づけたそうだ。
そして志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一など多くの文豪たちにも愛されたという。

 

熱海と言えば「金色夜叉」の作者である尾崎紅葉。
その尾崎紅葉は年代的にも起雲閣を利用したことがないわけだが、
熱海の縁で紅葉の身内の方から資料を借りて展示してある。
紅葉の通夜の席で寄せ書きをしたとされる屏風も、その一つだ。

 

 

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熱海散策

2024-02-08 19:15:31 | 日記




初雪の朝に家を出て熱海を歩いた。
海岸ではなく銀座商店街の方へ向かった。











ここは創業100年超の「熱海 本家ときわぎ」羊羹店。
宮造りの店は終戦直後に建てられた。













糸川沿いには「あたみ桜」が満開だった。
「あたみ桜」一つの枝に早咲き、遅咲きの花芽が付くので花期が長い。













起雲閣の方向に向かって歩いていると「橋田寿賀子先生 思い出のストリートギャラリー」があった。













橋田寿賀子は熱海に住んで執筆活動をしていたそうだ。













初川沿いには「芸妓見番歌舞練場」があった。
熱海芸妓茶屋で歌や踊りを鑑賞したりお座敷遊びの体験もできるそうだ。













さらに歩いていると「TOKOYA」という名前の店があった。
床屋?と思いながらも理髪店マークもないし手掛かりの表示もないので通り過ぎた。
帰ってから調べたら、やっぱり床屋さんだった。













起雲閣。大正時代に作られた別荘で戦後には旅館として多くの文豪も利用したそうだ。
別途、記事にしたい。













起雲閣の見学後、梅林に向かって歩いていると「早稲田大学双柿舎」というのがあった。
坪内逍遥が晩年を過ごした旧居だそうだ。いずれ機会があれば見学したい。













来宮駅から上り坂を歩いて熱海梅園に着くと、多くの人が鑑賞に訪れていた。
やや曇り空で今一つ花が映えなかったのは少し残念だった






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春節の中華街

2024-02-06 15:24:02 | 日記



山下公園から中華街入り口を望む。







中華街は相変わらず人がいっぱいだ。
春節ということも多少は影響しているだろうか。







上の提燈などは春節を感じさせる。







歩いている人の大部分は若い人たちだ。







中華街には二つの廟がある。横浜媽祖廟は横浜開港150周年の2006年(平成18年)に落慶開廟した。
媽祖は航海を守る海の神、災害や戦争、疫病などから守る神として信仰されている。







関帝廟は媽祖廟よりずっと古く横浜開港のころに関帝(三国志の関羽)を祀る小さな祠が建立された。
1871年に本格的な関帝廟が建立されたが、関東大震災で倒壊、太平洋戦争で焼失、
さらに1986年にも火災により焼失し、現在の廟は1990年に開廟されたものだそうだ。







関帝廟と同じ1870年代に隣接して建設され、関東大震災で倒壊した中華会館の遺構が展示されていた。







ところどころでイチゴ飴が売られていた。
雑踏で舐めながら歩くのはちょっと憚られるかな。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春節のランタンオブジェ

2024-02-04 18:01:04 | 日記



市役所で獅子舞を見た後は山下公園に行った。







海には、いつもの冬と同じくカモたちがゆったりしている。







キンクロハジロが多かった。







赤い靴はいてた女の子像。向こうの花壇は冬でも彩り豊か。







水の守護神と噴水。その向こうに華やかな飾り物が見える。







大きなランタンだ。
中華街やベイエリアのあちこちのスポット32か所にランタンオブジェが設置されているという。
この奥の方が中華街の入り口になる。







公園入口から見るのが正面で、氷川丸をバックにしている。







中華街の山下町公園には、龍と鳳凰のランタンがあった。
夜にライトアップされると見事なものだろうなと思った。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜春節祭

2024-02-02 13:49:05 | 日記



横浜市役所を初めて訪れた。







横浜市役所は関内にあったが馬車道の近くに新庁舎が建設され2020年に完成した。







先端部分に旧庁舎行政棟が移転保存されている。







市役所では「横浜春節祭オープニングセレモニー」が行われていた。







横浜中華街では1986年から春節のお祭りを開催していたが、
2年前から中華街と地域が一緒になって「横浜春節祭」として数々のイベントを行っている。
山中市長の挨拶も行われた。







セレモニーの大トリは中華街お馴染みの獅子舞。







並べられた6本の柱の上で数々の舞を行う。
























下へ降りてきて・・・






あちこち歩き回り・・・







頭を噛んで福を招いてくれる。







頭を噛んでもらったら、ご祝儀を・・・
今回のご祝儀は能登大地震の被災者に贈られるのだとか。













ありがとうございました。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする