
今回、熱海を歩くことにした時に起雲閣というのが有るのを初めて知った。
起雲閣は1919(大正8)年に実業家・内田信也が別荘として建てたそうだ。
当初は和館が2棟と土蔵であった。
その後、昭和に入って東武鉄道社長・根津嘉一郎に買い取られ洋館2棟が建てられたそうだ。
さらに昭和22年になって旅館「起雲閣」としてオープンされ観光客や文豪たちも利用したようだ。
この部屋は和館2階の座敷「大鳳」。太宰治も泊まったそうだ。
下を見ると根津嘉一郎が手掛けた池泉回遊式庭園が広がっている。
左手に洋館を見下ろす。
その洋館、「玉姫」に向かうとすぐにあるのがサンルーム。
天井にはステンドグラス。そして床は色とりどりのタイル貼りだ。
玉姫の間は中に立ち入ることは出来なかったがまじかに見られる。
中央に暖炉を設け洋風ではあるが、天井や欄間などの造作に和風も見られる。
庭の景色。中央に大きな岩が見える。
根津嘉一郎という人は大きな石にこだわりがあって、熱海近隣や真鶴から多数の石を運んだそうだ。
特に梅園近くにあった20トンもの大石を2か月かかって根津邸に運び込んだのが上記の岩だそうだ。
玉姫、玉渓の間に続いて展示室がいくつか続いた、その先に「金剛」の間がある。
「金剛」は根津が昭和4年に建てた最初の洋室だ。迎賓の間らしく格調が高い。
隣には2槽の風呂を持つローマ風の浴室がある。
終戦後、政治家・実業家の桜井兵五郎が取得し、旅館を開業し「起雲閣」と名づけたそうだ。
そして志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一など多くの文豪たちにも愛されたという。
熱海と言えば「金色夜叉」の作者である尾崎紅葉。
その尾崎紅葉は年代的にも起雲閣を利用したことがないわけだが、
熱海の縁で紅葉の身内の方から資料を借りて展示してある。
紅葉の通夜の席で寄せ書きをしたとされる屏風も、その一つだ。