玉置神社の参拝後に、時間があったら天河大辨財天社にも行こうと言ってくれていたNちゃん。
赤い太鼓橋が鮮やかですね。
二の鳥居をくぐって拝殿へ。
写真は根付ですが、このように3つの鈴がひとつになっていて、これが2つ重なっていて、真ん中の穴にひもが通っています。ふつうに鳴らすようにひもを動かしても鳴らないのです。鳴らし方のコツは、書いてありました。なんともいえない音色です。
すべては繋がっていた?
調べると、玉置神社から2時間くらいかかることがわかりました。
3人の思いはもちろん、行く!(笑)。
私以外の2人は、玉置神社も天河大辨財天社も何度か参拝していて、だいたいセットで参拝しているそうです。今回はそんな2人が同行してくれていたので本当に心強かった。
山道を横切ったものとは?
玉置神社を後にしてほどなく、Nちゃんが、道路に何かおる!横切った!何?と言って車を止めたので、Mちゃんと慌てて窓の外を見ました。最初に目に飛び込んできたのは、コーギーのようなモコモコしたお尻。チワワより少し大きいくらいの生き物でした。
山の斜面を降りて行く前に、振り返った顔を見てわかりました。アナグマの子どもでした。かわいかった☺️。
※写真はイメージです。
しかし、ヘビ、シカ、ニホントカゲ、アナグマと野生の動物にたくさん遭いますね。
女神様に誘(いざなわ)れて
じつは、奈良へ向かうバスの中で私の前に、真ん中分けの長い黒髪、黄色地にオレンジ色の模様が入った着物を着た女神様が現れたのです。といっても、実際に見えているわけではなく、あくまでも頭の中に浮かんだイメージです。その女神様はやわらかな光に包まれていて、天女のように上から私の両手をとり、導いてくださるのでした。
なので、神様に呼ばれた人しかたどり着けないといわれる「天河大辨財天社」にも絶対参拝できる!とこのとき思いました(笑)。本当に不思議でお導きを感じます。感謝しかありません。
玉置神社は山深く、野生の動物などが住まう自然が豊かな場所。天河大辨財天社は民家の中にあって、やわらかく包み込まれるようなやさしい空気感を感じました。どちらも落ち着いてよい神社です。
赤い太鼓橋が鮮やかですね。
手水舎の横にある池には鯉とイモリがいました。アカハライモリなのかな?池で共生していて、水の中で泳いだ後に両手両足を真横に伸ばして脱力する姿が見ていて微笑ましくなりました。池の鯉たちはなんだか騒がしくて、急にあばれたり、跳ねたり、一列になって泳いだりしていました。
五十鈴を鳴らすのにひと苦労
二の鳥居をくぐって拝殿へ。
★天河大辨財天社
ご祭神
市杵島姫命
熊野坐大神
吉野坐大神
南朝四代天皇の御霊
神代天之御中主神より百柱の神
天河大辨財天社のある霊峰本峯山は、役行者が開山した修験の場であり、弘法大師も参籠した場所。弘法大師に縁のあるものも多く残っているといいます。
今までに見たことのない素敵な拝殿でした。
こちらの本坪鈴(ほんつぼすず)は、五十鈴という特別な鈴。
写真は根付ですが、このように3つの鈴がひとつになっていて、これが2つ重なっていて、真ん中の穴にひもが通っています。ふつうに鳴らすようにひもを動かしても鳴らないのです。鳴らし方のコツは、書いてありました。なんともいえない音色です。
五十鈴は天河大辨財天社の神宝で、
生魂(いくむすび)
足魂(たるむすび)
玉留魂(たまずめむすび)
といいます。
肉体・精神・魂、あるいは、天地人なる三位一体の調和状態をあらわします。天の岩戸で天鈿女様が踊った時に持っていた鉾にも五十鈴がついていたといわれています。
伊勢神宮のそばを流れている川の名は五十鈴川、「いすゞ」という音の響きにも惹かれてしまいます。「五十」と調べると、数の多いこととあります。ふつうの本坪鈴よりも数が多いということであれば、なんとなく納得はいきますが、五十鈴川とか佐渡島の度津神社のご祭神・五十猛神の五十は何をあらわすのでしょうか。
五十鈴のあらわす意味と同じなのかな?
すべては繋がっていた?
拝殿の反対側には目にも鮮やかな真紅のカーペットが敷かれた立派な神楽殿がありました。
私はこれを見てすぐに「能の舞台?」と思い、Nちゃんに聞いてみましたが、知らないといわれました。
後で調べると、天河大辨財天社には能楽史上とても貴重な品で文化的価値のある能面や能装束がいくつも現存しているといいます。観世三代の嫡男観世十郎元雅が能を奉納した史実もあります。江戸時代には神主さんが能を演じていたそうです。
なんだか、佐渡島から話がずっと繋がっているみたいに思わされます。
長くなったので、続きます。