”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2013年12月17日 21時25分27秒 | Weblog

12月17日(火)晴時々曇

今日の朝日新聞の夕刊に日活100年と題したコラムに石原裕次郎の「太平洋ひとりぼっち」の記事がありました。記事を読みながら遠い昔と少しの昔を思い出して懐かしかった。

あれは東京オリンピックの前の年だから1963年でした。僕はまだ中学生、今はもうなくなった田舎の映画館に一人で「太平洋ひとりぼっち」を見に行ったのでした。石原裕次郎が独立して最初の映画でした。その頃の自分にはヨットと言うものはまったく無縁の世界だったけど、マーメイド号がサンフランシスコの港に入って来た時には涙を流していたのを今でも鮮明に記憶しています。石原裕次郎が格好よかったのか、ヨットが格好よかったのか、自分でもよくわかりませんが自分もヨットを操縦してみたいと強く思うようになりました。でも山に囲まれた田舎の中学校ではヨットを見ることもなく、高校に進学してもヨットをやっているようなところもありませんでした。ヨットを間近に見るには大学に進学するしかなかったのですが、親からは私学には経済的にやれないと言われ、ヨットのことは忘れて受験勉強をしました。そして晴れて大学のヨット部に入部できたのでした。そんな意味であの映画は僕の原点のような映画です。

それから約30年後、当の堀江謙一さんと出会う機会があるなんて不思議なものです。丁度堀江さんが還暦にモルツマーメイドⅡと言うエコヨットで再度太平洋横断をするため四日市の造船所で船を建造していた時に、僕も三重に勤務していたことから造船所の社長の紹介でお会いすることができました。開口一番「僕は堀江さんの太平洋一人ぼっちを読み、映画を見たことが自分のヨットの原点です。」と言ったら堀江さんはにこやかに「ヨットが出来上がったら見に来なさい」とおっしゃいました。そして進水式にも呼んでいただき、ヨットにも乗せていただきました。おまけに進水式の模様を報道した各TV会社の映像を一本にまとめたVTRをいただきました。残念ながら僕が写っている場面はコマ送りしないとわかりませんが、いまでは自分の宝物です。

夕刊には現在の堀江さんのお姿も写真で拝見し、お元気そうでうれしくなります。多くの日本人がヨットを楽しむようになった最大の功績があの無許可の太平洋単独横断だったような気がします。今は亡き南波誠さんも自分と同世代でした。僕の最初のメル友で香港ー沖縄間のレースの写真を送っていただいたのが最後になってしまったけど、彼もきっと影響を受けたと思っています。彼も堀江さんもなぜか同じ優しい目をしていたのが印象的です。

新聞にヨットに関連した記事などほとんど出ないので、たまたま見た今日の夕刊を見ながら昔を思い出してしまいました。失礼しました。