9月30日(火) 晴
今日は予定を一日早めて、静岡の田舎に行く途中、掛川城に立ち寄ることにした。掛川城は今川氏の重心、朝比奈氏が築城し、今川氏が滅んだあと山之内一豊が入城し城内を整備したとされている城です。もちろん日本百名城のひとつでもあります。実は今回携帯(スマホ)を家に忘れてきてしまいフェイスブックにもアップできなかったのが残念です。しかもデジカメで撮影した写真も編集できず今日のブログは写真も載せられません。また名古屋に戻ったら追加することにします。
掛川城は今まであまり注目すべきことがないと思っていましたが、意外と良く整備されていて綺麗な城でした。広い御殿は当時の間取りが正確に再現されているようです。しかも展示物も所狭しと陳列されてなく見やすい。
(追加写真・・・掛川城御殿) ~城主が政務を司った所
僕が気に入ったのは一豊と妻千代の巧妙が辻の開設や講談でした。一豊の妻の話は誰もが知っている内助の功ですが、その壱からその四まであったとは知りませんでした。馬で信長に褒められ、妻の裁縫の腕で秀吉に褒められ、関が原では家康に味方し、戦国の世を一番うまく生き抜いた武将だったのかもしれません。
元々秀吉から徳川の押さえとして掛川五万石の大名となり、秀吉亡き後は関が原に向かう家康に城を開放し、手勢2千を引き連れて関が原で戦い、大した手柄はなかったが、その後高知20万石の大大名となったのですから時代を見抜く目を持っていた人物と言えるでしょう。山之内一豊の去った掛川城はその後徳川家に古くから仕えた譜代大名が次々と入り、最後は太田道灌の子孫である太田氏が城主となり明治を迎えることになります。
あとで写真を追加しますが、天守に登る階段から見る天守閣、本丸跡から見る天守閣どちらも中々の景観です。大きな城でもないし、歴史的な事件の舞台になった城でもありませんが、こじんまりとした美しい城のひとつと言えそうです。ちなみに新幹線から見ていると、あまり感動もない城のように見えますが、やはり実際に行って見るとイメージはずいぶん違いました。静岡勤務時代にすぐ近くの会社のビルには何回も行っていたのに一度も行ったことなかったのは残念の極みです。
(追加の写真・・・天守への階段)
(追加写真・・・本丸からの掛川城天守)
(追加写真・・・掛川城全景)
話が長くなるので掛川城の話はまたいつか。
田舎には午後4時過ぎに着き、畑の水遣りだけしました。明日は人参の間引きやら農作業です。最近卒婚と言う言葉がよく言われていますが、我が家は数年以上前から卒婚。仕事をしていた頃以上に今はお互い好き勝手に動き回っています。今回の目的は以前シルバーに実施していただいたお茶の剪定などの支払い処理をするためです。母がもう少しちゃんとしえくれれば良いのですが・・・。まぁしかたないし、田舎と名古屋を行ったり来たりしているので我が家では毎日顔を合わせることがないからなんとか持っているのかもしれない。