”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2015年12月03日 18時55分32秒 | Weblog

2月3日(木) 雨のち晴

パソコンのメモリ不足を解消するための修復作業をしていましたが、なんと二日間もかかってしまいました。S木氏の会社に持ち込んで色々相談しながらやっと本日戻って来た訳です。その間S木氏には大変ご迷惑をおかけしました。今後更にメモリ増設も考えなければならなくなりそうです。

とパソコンの修復をお願いしながら、昨日は名古屋今池の四川料理の店で恒例の四人会でした。ものすごく辛いのですが美味しかったです。吹き出る汗を拭いながらお腹いっぱい食べて飲んで、更に馴染みのDuoにまで繰り出して更に飲んで食べて満腹な日になりました。食べるのに夢中で写真を撮るのを忘れたのでお見せできず残念です。

さて本来今日は静岡の田舎に行く予定でしたが、朝から冷たい雨が降り、パソコンの受け取りもあったので明日に延期しました。しかし土曜日にはまた名古屋に帰って来なければならないので明日は新幹線で行くことにしました。寒くなってきたので田舎の家も冬支度をいろいろしておかなければなりません。それに畑の大根やカブや人参がどうなっているかも気になるところです。たぶん大根はもう抜かなければならないけどかなりたくさん作ってしまったのでどうしたものかと思案中です。それに白菜は名古屋の家族から持って来るなと言われ、しかも種まきが遅過ぎてうまく結球していないので人にもあげられそうもないため処理に苦慮しています。結球してなくても結構美味しく食べられるので自分としてはモッタイナイ気持ちと折角作ったのに・・・と言う気持ちなのです。スーパーで購入した方がよっぽど安いとか家族は言うのですが、本来食糧と言うものは自給自足に近くすることが理想だと自分は思っているのでどうしてそんなことを言われるのか理解に苦しんでいます。確かに社会の分業化が進み過ぎて、何でもお金で事足りる社会になってしまいました。でもそれは退化の始まりだと自分は最近思っています。お金さえあれば自分が何もできなくても誰かの作ったものを買うことができますが、結局は何もできない人ばかり増えて行くことにつながります。しかも誰かが作った物もすべて分業制の中でコンピュータやロボットの力を借りてできあがる訳です。人間がやっていることはごく一部のコンピュータやロボットを設計できる人を除けばオペレーションと管理をしているだけです。コンピュータやロボットが壊れた途端何もできない人ばかりとなってしまうのが現代のような気がします。だからこれからの人間はせめて衣食住に関しては自分達で作れる技術を担保しておく必要があるような気がします。僕達の子孫が未来にわたって生き延びるためには機械に頼らず人間自らの手でできることを細々と残して行くことがそれぞれの立場で必要だと思うのですが・・・。
そうは言ってもそれができない人もたくさんいることも事実ですし、生産の効率を上げるためにも機械は必要であり、現代社会の方向を否定するつもりは更々ありません。ただそれぞれの人が自分達の手でできることの重要性を知って興味を持って欲しいと思います。
たまたま余暇ができ、田舎に畑があったから、過去にやったこともない野菜作りを自らの手でしていますが、それで興味を感じてくれる若い人ができたらうれしいのですが・・・。まぁあまりにもお金で動く社会になりすぎてしまったかもしれませんね。でもお金で動く社会になり過ぎると格差が大きくなるばかりだと自分は思うのだが?
ちょっと言い過ぎたようですので今日はこの辺にしておきます。