10月24日(火) 雨
何事もない日のひとりごと
現代の我々はまさに多様な価値観をお互いに認め合う世の中に暮らしている。言いかえれば現代は価値ある生き方のモデルが明確に与えられることがなくなってしまった時代だとも言える。それだからそれぞれが自由に自分の価値観を創り上げることができる反面違う価値観を持った人達も認め合わなければならない時代なのである。だがこのような時代と言うのは歴史を紐解くとまだ数百年のことでしかないことに気づかされる。そしてはるか昔の価値観を共有する者たちだけの社会に固執して戦争を繰り広げている国もあれば、それに対処しようとしてナショナリズムを煽る人達が台頭してきた国もある。
でもどうして現代のように多様な価値観を民主主義と言うルールで互いに認め合うようになったのか歴史を考えてみれば容易に想像がつくことなのである。民主主義発祥のヨーロッパの歴史を見るとキリスト教と言う宗教によって価値ある生き方のモデルが明確に与えられ、違う価値観の者たちを征服しようと試みたがそれもかなうことなく、その後同じキリスト教の中でもカトリックとプロテスタントの中でさんざん血を流したあげく「生きる上での価値観は個々の人の自由にしよう」と言うことになり、異なった価値観を持った人達が共存しあって行く民主主義と言うルールができあがった。私たち日本人も戦争に負けてやっと民主主義が芽生えて70年なのである。まぁこのルールはすべての人にとって満足できることはないけど多少の我慢でみんなが生きて行ける平和的社会ルールなのかもしれない。
このことから考えるとアラブの人達も早く気付いてほしいし、欧米の先進国も過去に戻るようなことは考えないで欲しいものである。ただルールは少し修正して行くことは必要になっているのも事実である。民主主義が芽生えた頃のヨーロッパには多数の哲学者が当時の世の中をリードしたことは事実です。今こそ新しい哲学が必要なのかもしれない。そのためのヒントは人口なのかもしれない。自由な生き方と言っても先進国の人口減少と一方での人口増加のバランスが多くの問題の一因になっているような気がしてならない。地球に永く人類が存続するためにもうまい解決策はないのでしょうか?そうでないと結局は戦争による人口調整しかなくなってしまうような気がします。
つまらないひとりごとでした。まぁ平和ボケの我々にはあまり考えたくないことでした。