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2022年05月11日 17時07分43秒 | いろいろな出来事
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5・3・2022
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ネオナチが信奉する>黒い太陽と、ヒムラーの古城

2022年05月11日 15時01分41秒 | 歴史的なできごと


ハインリヒ・ヒムラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



「黒い太陽」とネオナチ
>ヴェヴェルスブルグ城の床にある黒い太陽も、1990年代にネオナチが名付けたものだったのだ。この装飾は戦時中には名前が付いていなかったと判明したのである。



ネオナチのメンバーは黒い太陽を装飾品にして、大切に扱っているという。ネオナチはヒムラーと黒い太陽の関係を分かっていなかったと思われるが、現実的な理由で使い始めた。


4/7/2022


現在、ドイツでは、公共の場で鉤十字の印を使用することは許されない。そこで、ヴェヴェルスブルグ城にあったこのマークが使われたのだ。


正体がわからないからこそ、人々はこのマークに魅かれたということだ。しかし、ヴェヴェルスブルグ城が親衛隊にとって特別な施設であったことは間違いない。ゲルマン民族は世界のどの民族より優れ、いずれ世界を支配し、この城を中心地とする考えが親衛隊のなかにはあった。そうした説を信じるグループのリーダーだったヒムラーは、アーサー王の物語や聖杯の話にも心酔した。そこで城に親衛隊の精鋭を集め、理想的な共同体の建設を進めたのである。




ドイツ国の政治家
ハインリヒ・ヒムラーHeinrich Himmler
生年月日出生地没年月日死没地出身校前職所属政党称号配偶者サイン 国内予備軍司令官在任期間 ドイツ国
第19代 内務大臣内閣在任期間 全ドイツ警察長官在任期間 ドイツ国国会議員選挙区当選回数在任期間親衛隊
親衛隊全国指導者在任期間その他の職歴
  
1942年のヒムラー
1900年10月7日
ドイツ国
 バイエルン王国、ミュンヘン
(1945-05-23) 1945年5月23日(44歳没)
ドイツ国
プロイセン自由州
 ハノーファー県、リューネブルク
ミュンヘン工科大学
軍人
バイエルン人民党→
国民社会主義ドイツ労働者党
 【党員番号】
  14,303番
黄金党員名誉章
血盟勲章[1]
 【登録番号】
   3番
ダイヤモンド付パイロット兼観測員章金章[注 1]
ドイツ鷲勲章
勲一等旭日大綬章
マルガレーテ・ヒムラー(ドイツ語版)(旧姓ボーデン)

1944年7月20日 - 1945年4月28日
ヒトラー内閣
1943年8月24日 - 1945年4月28日
1936年6月17日 - 1945年4月28日
オーバーバイエルン
テューリンゲン
4回
1930年9月14日 - 1945年4月28日
1929年1月6日 - 1945年4月28日
ドイツ民族性強化国家委員
(1939年10月7日 - 1945年4月28日)
国家保安本部長官
(1942年6月4日 - 1943年1月31日)
ヴァイクセル軍集団司令官
(1945年1月24日 - 1945年3月21日)
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ハインリヒ・ヒムラー
Heinrich Himmler所属国所属組織軍歴最終階級
ドイツ帝国
 ドイツ国
ドイツ帝国陸軍
親衛隊
 ドイツ陸軍
1917年 - 1918年
1925年 - 1945年
1944年 - 1945年
親衛隊全国指導者
国内予備軍司令官
ヴァイクセル軍集団司令官
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ハインリヒ・ルイトポルト・ヒムラー(ドイツ語: Heinrich Luitpold Himmler,  発音[ヘルプ/ファイル]、1900年10月7日 - 1945年5月23日)は、ドイツの政治家[3]。ナチス・ドイツにおいて治安・諜報などで強大な権力を握った親衛隊のトップであり、国内統制と反ナチ勢力・ユダヤ人などに対する迫害を実行した。 


ヒムラーとオカルト


  1938年2月1日。クヴェードリンブルク大聖堂にあるハインリヒ1世の霊廟で

ヒムラーは理想主義者であると同時に空想家としての一面もあり、若い頃から超自然的なことやスピリチュアリズムに関心を寄せていた。ナチス幹部の中で最もオカルティズムに魅了された人物であり、狂信的な神秘家であったという証言もある[198]。

「宇宙氷説(ドイツ語版)」などの怪しげな理論やゲルマン民族に関する空想的歴史を信じ、親衛隊のイデオロギーに取り入れた[199]。宗教学的に定義された神秘主義とは異なるが、ヒムラーの思想について血の神秘主義や歴史神秘主義と形容する向きもある。 


ヒムラーは1933年にオーストリアから来た民族主義的オカルティスト、カール・マリア・ヴィリグートと知り合った。自らを「ウリゴート族の末裔でゲルマン賢者」であるとし、「遠い過去の記憶にアクセスできる」と称するこの男は、「ゲルマン民族の歴史は22万8000年前にまでさかのぼり、その時代太陽は3つあり、地上に小人と巨人がいた」「イルミネンシャフト(英語版)がゲルマン民族の本来の民族宗教であり、キリスト教がそれを盗用した」「聖書はドイツ人が書いた」などと主張していた[200]。

ヒムラーは彼の思想に大変のめりこみ、ヴィリグートを親衛隊に招き入れ、親衛隊人種及び移住本部に配属させた。ヴィリグートはいつでもヒムラーのオフィスに入ることを許され、ヒムラーに「過去の記憶」を披露して彼を満足させた[201]。ヒムラーが功績を認めた親衛隊員に授与する親衛隊名誉リングのデザインもヴィリグートに任せている[201]。 


ヒムラーは、ドイツの古代史研究機関として「アーネンエルベ」を創設した。アーネンエルベの探検隊は各地を探検し、チベットやシュヴァルツヴァルトなど神秘的な場所で先史時代のアーリア人古代文明の存在を探そうとした。古城の廃墟にスパイを送り、キリストの聖杯を探させたこともあった[174]。ヒムラーは、聖杯はキリスト教がキリスト教より古い歴史を持つ「古代アーリア宗教」から強奪した物であり、必ずドイツ人が見つけ出して取り戻さねばならないと思っていた[202]。 

東方から攻め寄せてきたフン族の突撃を防いだ砦と言われるヴェストファーレンの古城ヴェーヴェルスブルク城(英語版)にヒムラーは興味を引かれ、1934年7月にこの城を手に入れた。1500年の時を超えて東方から攻め寄せようとするソ連からヨーロッパを守る城であると、現在と過去を生きる男ヒムラーは期待していた。

早速ヴィリグートらに改築工事を開始させた。第二次世界大戦のドイツの敗戦までにこの城に彼がつぎ込んだ資金は1300万ライヒスマルクにも及ぶ[注 9]。大食堂にはオーク製の巨大テーブルが置かれ、この城の「騎士」と認められた親衛隊幹部のネーム入りの椅子が並んでいた。

ここでヒムラーや親衛隊幹部達は数時間も瞑想にふけっていた。地下室には石造りの台が12台置かれていて、親衛隊大将が死亡した際には遺骨がここに安置された。親衛隊名誉リングは、持主が親衛隊を離れるか死亡した場合にはヒムラーの手元に返され、ヴェーヴェルスブルク城に永久に保存されることとなっていた。

また、城の各地に「黒い太陽」といった意匠を埋め込んだ。他にも1万2000冊に及ぶ図書室、応接間、ヒムラーの客室、SS最高法廷もこの城に設置された[204][205][要文献特定詳細情報]。 


また、ヒムラーは、スラヴ民族の征服者であるザクセン王ハインリヒ1世を深く尊敬していた。スラヴ民族(=現在のソ連)との戦いの事業を継承したい思いが背景にあった。ハインリヒ1世の命日の7月2日には必ずクヴェードリンブルク大聖堂の墓を詣でた。冷え切った真夜中の納骨堂でヒムラーは毎年敬虔にひざまずいていた。フェリックス・ケルステンによると、ヒムラーは7月2日の夜12時から瞑想を行い、ハインリヒ1世との霊的交信を始めたという。半睡状態のヒムラーが「ハインリヒ王の霊が重大なお告げを持って現れる」と述べ、続いて「このたびの王のおぼしめしは…」とお告げを語るのが恒例であった。ついには自身がハインリヒ1世の化身と信じるまでになったという[206]。 


ヒムラーは熱心なカトリックの家に生まれ、本人も若かりし頃は熱心なカトリックであったが、ナチ党の党活動をするうちに徐々にキリスト教とは距離を置くようになっていた。そのため、親衛隊の隊員たちもキリスト教から切り離し、彼の異教的な思想に取り込むことをはかるようになった。婚姻内部規則で親衛隊隊員の結婚式はキリスト教会で行なうことを禁止した。また、クリスマスを祝う習慣をやめさせるため、冬至祭を親衛隊の祭典とした。

キリスト教ではなくSSを通じて神を信ずる者を彼は求めていたが、結局隊員たちをキリスト教から切り離すことはできなかった。婚姻規則は隊員たちから不評を買ったため、結局、処分用件が緩和されるなどしていった。一般SSの三分の二は相変わらずキリスト教徒であった。雑多な人種がいた武装SSや髑髏部隊では比較的多く、武装SSの53.6%、髑髏部隊の69%が非キリスト教徒であったが、戦争中にはカトリックの司祭がそれぞれの武装親衛隊部隊に配属されていた。武装親衛隊の将軍の中にはヴィルヘルム・ビットリヒSS大将のように執務室にキリスト教の礼拝堂を置く者もいた[207]。 


ヒムラーの異教思想は他のナチ党幹部にも受けが悪く、ヨーゼフ・ゲッベルスは1935年8月21日の日記に「ローゼンベルクとヒムラーとダレは、ばかばかしい儀式は止めるべきだ。バカバカしいドイツ崇拝は全部やめさせなければならない。こんなサボタージュをする奴らには武器だけを持たせよう」と書いている[208]。ヒムラーはヴェーヴェルスブルク城にヒトラーの部屋を作らせ、その訪問を心待ちにしていたが、最後までヒトラーから相手にされることはなかった[204]。 







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初夏の花壇です❗

2022年05月11日 11時00分37秒 | いろいろな出来事
賑やかな色合いです⭐





5・8・2022
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玉川上水、遊歩道です 太宰治ゆかりの地

2022年05月11日 10時00分02秒 | いろいろな出来事
井の頭公園付近ですね🍀
ここは、昔と変わりません☀

太宰治が入水自殺で、ご遺体があがった場所付近です。これは、意外と知られてないですね。現在の明星学園の、すぐそばです☆

5・3・2022
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見ることが希なエノキの葉ですね🍀

2022年05月11日 06時00分01秒 | いろいろな出来事
エノキは巨木で、樹冠にしか葉がないので近くで葉を見ることは少ないですね 。


この木は、国蝶オオムラサキの食草になりますね🍀



5/7/2022
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