「ステージIVからといって諦めない。かすかな希望があるならそこに懸けようとする先生に巡り合えたことが幸運でした。がんは不治の病ではない。こう考えている先生を見つけ、治療を受けることが重要だと思います」
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膵臓がん」で余命宣告を受けた、72歳の男性が「奇跡の回復」をとげた治療法
11/20/2021
「膵臓がん」で余命宣告を受けた、72歳の男性が「奇跡の回復」をとげた治療法
前編の「膵臓がんで「余命11ヵ月の宣告」を受けた、72歳の男性の「苦しすぎる現実」」でもお伝えしたとおり、沈黙の臓器といわれる膵臓にがんができた場合、痛みなどの自覚症状がないため、発見されても「時すでに遅し」の状態だという。しかし現在は、治療法さえうまくハマれば、膵臓がんで命を落とす確率も減るという。
後編では実際に膵臓がんに罹り、余命は11ヵ月と宣告された男性が、ある治療法により根治を目指すまでに回復した事例を見ていこう。
「合う」医師との出会い
膵臓がんが見つかった水田賢一(72)さんは、早期発見でがんも21mmと小さかったため、手術はまったく心配していなかったという。しかしいざ開腹するとあちこちに病巣が広がる「腹膜播種」の状態で、余命11ヵ月の宣告を受けた。
その現実を受け止めきれず、混乱するばかりだったが、知人に紹介された「従来とは違う治療法を実践する」という医師が、水田さんの運命を変えることになる。西宮市明和病院・腫瘍内科部長の園田隆医師だ。
園田氏は当時、神戸の甲南病院に勤務しており、抗がん剤と、がん細胞の薬物耐性を取り除く薬(P糖タンパク阻害剤)を併用する治療法を実践していた。
「膵臓がんは、P糖タンパクという、抗がん剤への耐性を持った物質が増えやすいがんです。これが、抗がん剤が効きにくい理由になっています。
私はP糖タンパクの増殖を防ぐため、抗がん剤の投与前後にP糖タンパク阻害剤という薬剤を投与する、耐性克服化学療法を行っていたのです。
また、抗がん剤の投与方法も、局所へ直接届くように工夫しています。お腹にポートという薬剤を静脈に入れるための器具を埋め込み、腫瘍のある腹膜へ直接抗がん剤が届くようにしました」(園田氏)
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園田氏の治療の特徴はこれだけではない。園田氏は水田さんの様子を観察し、抗がん剤の量を毎回変えていたのだ。水田さんが振り返る。
「園田先生は私の白血球の数値や髪の毛の抜け具合を見て、その時に投与できる量の上限ぎりぎりまで抗がん剤を投与してくれました。髪の毛が抜けると私はショックなのですが、先生はこれは薬が効いている証拠だと喜んでいたんです。
治療開始前には270以上まで上昇した腫瘍マーカーの数値も、治療を始めて2ヵ月後には基準値内におさまり、退院する時には18・9まで下がりました」
この療法は、大病院では行うことができない。国内で行っているのも園田氏一人だ。だが、これまでに根治の見込みのないステージIV患者約700人を治療している。
園田氏による抗がん剤治療終了後には、膵臓のがん細胞は小さくなっており、腹膜からも消えていた。
この時期に水田さんは2度目の開腹手術を行い、膵臓の半分と脾臓、リンパ節を切除する。
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「先生によってはこの治療法に否定的な方もいますが、私の場合はうまくフィットしました。
がん細胞の切除後も、維持療法といい、通院しながら抗がん剤と併用薬の投与を受けました。これを継続し、再びがん細胞の残滓を取り除くことで、再発のリスクを限りなくゼロに近づけたのです」
抗がん剤治療は、吐き気や食欲不振など、重い副作用をもたらす。水田さんも、治療を受けるのはもう限界だと感じることが少なくなかった。この時に励みになったのは、園田氏の「延命ではなく根治を目指す治療をしましょう」という言葉だった。
「ステージIVからといって諦めない。かすかな希望があるならそこに懸けようとする先生に巡り合えたことが幸運でした。がんは不治の病ではない。こう考えている先生を見つけ、治療を受けることが重要だと思います」
欠かさず人間ドック
京都府在住の清田政孝さん(84歳)は、かつて電気機器メーカーで研究職を務めていた。清田さんは、膵臓がんでは極めて珍しい早期発見に成功し、がんを克服している。
「父は67歳の時に膵臓がんで亡くなりました。叔父も膵臓がんを発症したため、弟と『うちはがん家系だから気を付けよう』と話し合ったのです。それ以来、年一回の人間ドックを弟とともに課すようになりました」
以下はリンクで>
東大医学部9浪、医師国家試験6浪…38歳の“元神童”が今でも「毎日10時間勉強」する理由
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東大医学部9浪、医師国家試験6浪…38歳の“元神童”が今でも「毎日10時間勉強」する理由
10/29(日) 8:55配信
週刊SPA!
ルシファー氏
「あぁどうもルシファーです。金子裕介ですはい」
ややくぐもった声で早口でまくし立てながらも、その青年の瞳はまっすぐこちらを見ていた。主要な学歴系YouTubeチャンネルにたびたび出演し、2chや5chなどの掲示板でも話題になる彼は、スターオーシャン3のラスボス「ルシファー」を名乗る。
⇒【写真】現在のルシファー氏
筑波大学附属駒場中学校合格、東京大学理科Ⅲ類(医学部)合格――。その輝かしい経歴が、“学歴厨”たちの熱い視線を集め続けている。
一方で、ルシファー氏(38歳)がネット界隈を賑わせる理由は他にある。有名声優を相手に学歴マウントを取る、路上で“ルシファー音頭”を踊る、などの奇行の数々。そして、他の追随を許さない圧倒的学歴がまったく生かされていない、現状の生活だ。ルシファー氏は、東京大学医学部を留年せずに卒業したにもかかわらず、医師国家試験に5回落ち、現在もなお国試浪人中だ(未受験の年が一回ある)。
学歴界の珍獣・ルシファー氏とは何者なのか、その半生に迫る。
難問を解くのが「楽しくて仕方なかった」
ルシファー氏は神童エピソードに事欠かない。
「4,5歳のとき、父に数学を習い始めました。子供のころ、相対性理論をわかりやすく描いた絵本があって、それを気に入って読んでいたらしいです。小学生になると、中学受験を志しました。小学生なので科目としては算数ですが、大学生の範囲の数学までは習得していたと思います。
中学受験のために通った塾は日能研で、今でも『算数科の先生がどうしているかな』と考えることがあるくらい、楽しかったのを覚えています。日能研で毎週行われるテストでは正答率が表示されるのですが、正答率1%くらいになるような難問を解くのが楽しくて仕方ありませんでした。また、授業内で扱う問題がすべて終わった人には先生のオリジナルプリントが渡されるのですが、それも楽しみでした」
一方で人とのコミュニケーションは苦手…
前述のように、日本最高峰の中学校である筑波大付属駒場中学に進学する。他にも私立御三家の一角・麻布中学に合格するなど神童ぶりは健在だが、ルシファー氏は入試に面接を必須とする私立中学校の名前を挙げ、「あそこだけは落ちました」と明かした。
「昔から人とコミュニケーションをするのが苦手で、小学校でも不登校を経験しました。筑駒に入ってからも、人間関係には苦労しました。アスペルガー症候群と診断されたのも、このころだったと思います。
筑駒においても、“出る杭は打たれる”ようなところがあって、学校行事などで足並みを揃えさせられるのが本当に嫌でした」
10/29(日) 8:55配信
週刊SPA!
ルシファー氏
「あぁどうもルシファーです。金子裕介ですはい」
ややくぐもった声で早口でまくし立てながらも、その青年の瞳はまっすぐこちらを見ていた。主要な学歴系YouTubeチャンネルにたびたび出演し、2chや5chなどの掲示板でも話題になる彼は、スターオーシャン3のラスボス「ルシファー」を名乗る。
⇒【写真】現在のルシファー氏
筑波大学附属駒場中学校合格、東京大学理科Ⅲ類(医学部)合格――。その輝かしい経歴が、“学歴厨”たちの熱い視線を集め続けている。
一方で、ルシファー氏(38歳)がネット界隈を賑わせる理由は他にある。有名声優を相手に学歴マウントを取る、路上で“ルシファー音頭”を踊る、などの奇行の数々。そして、他の追随を許さない圧倒的学歴がまったく生かされていない、現状の生活だ。ルシファー氏は、東京大学医学部を留年せずに卒業したにもかかわらず、医師国家試験に5回落ち、現在もなお国試浪人中だ(未受験の年が一回ある)。
学歴界の珍獣・ルシファー氏とは何者なのか、その半生に迫る。
難問を解くのが「楽しくて仕方なかった」
ルシファー氏は神童エピソードに事欠かない。
「4,5歳のとき、父に数学を習い始めました。子供のころ、相対性理論をわかりやすく描いた絵本があって、それを気に入って読んでいたらしいです。小学生になると、中学受験を志しました。小学生なので科目としては算数ですが、大学生の範囲の数学までは習得していたと思います。
中学受験のために通った塾は日能研で、今でも『算数科の先生がどうしているかな』と考えることがあるくらい、楽しかったのを覚えています。日能研で毎週行われるテストでは正答率が表示されるのですが、正答率1%くらいになるような難問を解くのが楽しくて仕方ありませんでした。また、授業内で扱う問題がすべて終わった人には先生のオリジナルプリントが渡されるのですが、それも楽しみでした」
一方で人とのコミュニケーションは苦手…
前述のように、日本最高峰の中学校である筑波大付属駒場中学に進学する。他にも私立御三家の一角・麻布中学に合格するなど神童ぶりは健在だが、ルシファー氏は入試に面接を必須とする私立中学校の名前を挙げ、「あそこだけは落ちました」と明かした。
「昔から人とコミュニケーションをするのが苦手で、小学校でも不登校を経験しました。筑駒に入ってからも、人間関係には苦労しました。アスペルガー症候群と診断されたのも、このころだったと思います。
筑駒においても、“出る杭は打たれる”ようなところがあって、学校行事などで足並みを揃えさせられるのが本当に嫌でした」
「東大理Ⅱ」合格も「理Ⅲ」合格を目指し、9浪
全国から“出る杭”が密集する超名門校においても、生きづらさを感じたとルシファー氏は話す。中学校1年生にして数学オリンピックの予選を通過するなど才能を証明したものの、変わり者の扱いは変わらず、高校に進学するころには退学した。ちなみに数学オリンピック予選通過のレベルは、それだけで早慶などのAO入試出願要件になるほど高い水準である。
「筑駒を退学したあとも、医師になりたいとは思っていました。大検(当時)を2ヶ月で取得し、東大理Ⅲを目指して勉強を開始しました。途中、東大理Ⅱには合格しました。そのとき、特に家族が涙を流して喜んでくれたのが印象的でした。現在でも家族とは関係が良好で、この年齢まで実家に住み続けています。その後、理Ⅲに合格するまで勉強を続けました。結果的には9浪して、入学することができました」
医師国家試験の取得に執心する理由
そこまでの労力を投入して東大に入学し、医師を志す理由は何か。ルシファー氏には壮大な夢がある。
「全世界に病院を作って、病気で苦しんでいる人たちが、生まれた地域などによって受けられる医療に違いがなく安心して暮らせるような世の中を実現できたらいいなとは思います」
翻って、国家試験浪人中の自分自身をどのように見ているのか。
「ネットでは『国家試験も受からないで』と叩かれることも多くあります。実際、そのような声をもらうたびに、案外傷ついたりしています。
確かに、東大理Ⅲに受かることに比べたら、一般的には医師国家試験は簡単なのだというのはわかります。しかし私にとっては、とても難しいのです。所見から考えられる病名について問われるよりも、純粋に難しい数学の問題を解いている方が私には向いているのかもしれません」
1日10時間の勉強を続け、夢を追う日々
現在のルシファー氏の生活は至ってシンプルだ。
「ほぼ国家試験の勉強をしています。最低でも10時間は勉強しようと思って毎日机に向かっています。それ以外だと、X(旧Twitter)のDMで『この問題を教えてください』という人に教えてあげたりもしています。有償でやるか無償でやるかはケースバイケースですが。
また、MITドットトウキョウという会社の経営もしています。magicalOSという組み込みOSを販売しています。これはUSBのなかにPCが入ったような仕組みになっていて、PCのハードディスクが壊れている場合であっても使用できる優れものです」
数学に魅了されて学び続けたルシファー氏。東大模試の偏差値は最高で95.3にもなった偏差値長者は、アスペルガー症候群の特性に悩みながらも自らの「好き」を追い求め続け、現在も夢を追う。
同じように人間関係に悩む子どもに対して、どのような声をかけるか。筆者がルシファー氏に問うと、やや言葉に詰まってこう言った。
「『耐えて、気にしないで、勉強でも何でも好きなことをやれ』と言いたいんですが、外野の声に耐えるのがどれほど苦行であるかを理解しているので、あまり軽々しく言いたくないです」
取材開始時、窮屈にさえ感じたルシファー氏の早口が、取材を終えるころには好きなものに向かう純粋さの駆け足のように心地よいテンポに思えた。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
全国から“出る杭”が密集する超名門校においても、生きづらさを感じたとルシファー氏は話す。中学校1年生にして数学オリンピックの予選を通過するなど才能を証明したものの、変わり者の扱いは変わらず、高校に進学するころには退学した。ちなみに数学オリンピック予選通過のレベルは、それだけで早慶などのAO入試出願要件になるほど高い水準である。
「筑駒を退学したあとも、医師になりたいとは思っていました。大検(当時)を2ヶ月で取得し、東大理Ⅲを目指して勉強を開始しました。途中、東大理Ⅱには合格しました。そのとき、特に家族が涙を流して喜んでくれたのが印象的でした。現在でも家族とは関係が良好で、この年齢まで実家に住み続けています。その後、理Ⅲに合格するまで勉強を続けました。結果的には9浪して、入学することができました」
医師国家試験の取得に執心する理由
そこまでの労力を投入して東大に入学し、医師を志す理由は何か。ルシファー氏には壮大な夢がある。
「全世界に病院を作って、病気で苦しんでいる人たちが、生まれた地域などによって受けられる医療に違いがなく安心して暮らせるような世の中を実現できたらいいなとは思います」
翻って、国家試験浪人中の自分自身をどのように見ているのか。
「ネットでは『国家試験も受からないで』と叩かれることも多くあります。実際、そのような声をもらうたびに、案外傷ついたりしています。
確かに、東大理Ⅲに受かることに比べたら、一般的には医師国家試験は簡単なのだというのはわかります。しかし私にとっては、とても難しいのです。所見から考えられる病名について問われるよりも、純粋に難しい数学の問題を解いている方が私には向いているのかもしれません」
1日10時間の勉強を続け、夢を追う日々
現在のルシファー氏の生活は至ってシンプルだ。
「ほぼ国家試験の勉強をしています。最低でも10時間は勉強しようと思って毎日机に向かっています。それ以外だと、X(旧Twitter)のDMで『この問題を教えてください』という人に教えてあげたりもしています。有償でやるか無償でやるかはケースバイケースですが。
また、MITドットトウキョウという会社の経営もしています。magicalOSという組み込みOSを販売しています。これはUSBのなかにPCが入ったような仕組みになっていて、PCのハードディスクが壊れている場合であっても使用できる優れものです」
数学に魅了されて学び続けたルシファー氏。東大模試の偏差値は最高で95.3にもなった偏差値長者は、アスペルガー症候群の特性に悩みながらも自らの「好き」を追い求め続け、現在も夢を追う。
同じように人間関係に悩む子どもに対して、どのような声をかけるか。筆者がルシファー氏に問うと、やや言葉に詰まってこう言った。
「『耐えて、気にしないで、勉強でも何でも好きなことをやれ』と言いたいんですが、外野の声に耐えるのがどれほど苦行であるかを理解しているので、あまり軽々しく言いたくないです」
取材開始時、窮屈にさえ感じたルシファー氏の早口が、取材を終えるころには好きなものに向かう純粋さの駆け足のように心地よいテンポに思えた。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki