8月19日(挑戦2日目!) ~低気圧とレース~
はい。早朝4時に起床しましたよ。
さっそく窓から空模様を確認してみますが、まだ雨は降りだしていない様子。
本日の天気、留萌管内は昼ごろから雨との予報だったので、降り出す前にさっさと行けるところまで進んでしまおう、という作戦を考えたわけです。
テレビの天気予報を見てみると、札幌の街は既に大雨のようです。もう道南・道央エリアには雨雲が到達しているわけですね。
次第に北部にもジワジワ北上してきて…夜には北海道全体がスッポリ覆われてしまいます。
僕もひたすら北を目指して進んでいるわけですので、本日の工程は雨雲から逃げるように北上するという、いわば「低気圧とレース」状態。
ははは、前代未聞のバトルですね!(笑)
ということで、早朝5時にホテルを出発。
本日の目的地は、留萌から再び100キロ近く進んだ遠別町という小さな町。
天候や体力など調子が良ければ、さらに20キロほど先の天塩町まで行きたいな~、とも考えています。
大雨が降る前になんとか到着したいですが…。おそらく途中からは過酷な雨天走行になってしまうでしょうね~。
留萌の中心部から、海岸沿いの232号線に入ります。
やっと日本海に出ました♪
ここからは、通称「オロロンライン」と呼ばれているこの一本道をひたすら北上するわけです。
たぶん、同じような海岸沿いの風景がずーーーーーっと、永遠に続いていくと思われます(^_^;)。
道中には小さな漁村や港町がポツポツと点在するのみ。
村と村との距離がとんでもなく離れているので、食糧補給など慎重に考えていかなければなりません。
「コンビニ見つけたら迷わず入れ!」というのが、ここでの自転車旅行者にとっての鉄則らしい。
…なお、ここからのエリアは数本のバスしか走っておらず、内陸側に山をひとつ越えないと鉄道は走っていません。
つまりこのエリアでリタイアしても、戻るのが非常~に大変。嫌でも走破しなくてはなりません…。
続行かリタイヤかを決めるのは、先ほどの留萌がラストチャンスだったというわけです。
午前5:32 小平町に入ります。
本日も風がほとんどないので、非常に走りやすいです(*^_^*)
前日に150キロ走行した割には、意外にもヒザ下が少し痛いくらいで体力はまだまだ余裕。
昨日から思っていたんですが、次第に車のナンバーが「札幌」から「旭川」へと増えていくのがとても気持ちいい。
これは自らの足で旅するものしか味わえない快感ですね!
ようやく看板に「稚内」の文字が現れました!!
あと177キロという距離は、はたして遠いのか近いのか。
あまり考えたくありませんし、距離感覚は昨日から狂ってしまいました(笑)。
巨大な看板に、ネッシーみたいな首長竜の立体デザインが。
「なんで首長竜なの?」と思ったら、北海道で初めて恐竜の化石が発見されたのが、ここ小平町らしいです!
知らなかった…。
小さな小平の市街地を抜ける途中に、今回のルートで唯一のトンネルである「新小平トンネル」が。
それほど長くないトンネルだし、必要以上に広くてきれいな歩道が整備されているので全く問題ありませんでした。
まず早朝という事もあるかと思いますが、交通量もほとんどありませんでした…。
トンネルを抜けると、なんにも無い平坦な道がひたすら延びます。
そして、ここでポツポツと小雨が…。
それほど強い雨ではなく、その後も降ったりやんだり。
この道はたまに車が途切れるので、気持ちよ~く、順調~に進むことができましたよ♪
晴れてたらもっと楽しかったでしょうね~。
何もない…。
とりあえず、現在の目標地点は26キロ先の羽幌だな。
あそこは結構な街だったと思う。
食事か休憩は羽幌でとろう。
そんなことを考えながらも、だんだんと単調な風景に飽きてきたところで…。
おぉっ、これは!!
廃線跡だ!!
そうです。今でこそ鉄道の通っていない留萌~天塩、幌延間ですが、かつては「羽幌線」と呼ばれる国鉄路線が走っていました。
141.1キロにも及ぶ長大な路線でしたが、自家用車の普及に伴い利用者が激減し、1987年の国鉄民営化とともに消滅してしまいました。なんだか寂しいですよね…。
この先、道路と並行して旧・羽幌線の跡地がずっと続いていくようですので、この他にも遺構との遭遇が期待されます♪
午前6:24 道の駅「おびら鰊番屋」に到着。なんか工事してるじゃん…。
左の写真です。かつてのニシン番屋の転用かと思ったら、すぐ隣にある「旧花田家番屋」(こっちは本物の番屋。右の写真)に合わせてデザインされた建物なのだそうです。
旧花田家番屋のほうは明治38年建設、「日本最北端の重要文化財」だそうです。
明治から昭和にかけて、小平町や周辺の日本海沿岸の地域では膨大な数のニシンが押し寄せ、浜の住人はあまりの大漁に歓喜。小さな港町は潤いました。
しかし昭和30年以降にニシンの群来が突然消えてしまい、栄えていた港町もあっという間に衰退してしまった、という悲しげな歴史があります。
ニシン漁がもたらした過去の繁栄に思いをはせながら……休憩。
雨が降る前に出発!
次回!
寂しい海岸沿いの風景。旅は果てしなく続きます。
続く。
はい。早朝4時に起床しましたよ。
さっそく窓から空模様を確認してみますが、まだ雨は降りだしていない様子。
本日の天気、留萌管内は昼ごろから雨との予報だったので、降り出す前にさっさと行けるところまで進んでしまおう、という作戦を考えたわけです。
テレビの天気予報を見てみると、札幌の街は既に大雨のようです。もう道南・道央エリアには雨雲が到達しているわけですね。
次第に北部にもジワジワ北上してきて…夜には北海道全体がスッポリ覆われてしまいます。
僕もひたすら北を目指して進んでいるわけですので、本日の工程は雨雲から逃げるように北上するという、いわば「低気圧とレース」状態。
ははは、前代未聞のバトルですね!(笑)
ということで、早朝5時にホテルを出発。
本日の目的地は、留萌から再び100キロ近く進んだ遠別町という小さな町。
天候や体力など調子が良ければ、さらに20キロほど先の天塩町まで行きたいな~、とも考えています。
大雨が降る前になんとか到着したいですが…。おそらく途中からは過酷な雨天走行になってしまうでしょうね~。
留萌の中心部から、海岸沿いの232号線に入ります。
やっと日本海に出ました♪
ここからは、通称「オロロンライン」と呼ばれているこの一本道をひたすら北上するわけです。
たぶん、同じような海岸沿いの風景がずーーーーーっと、永遠に続いていくと思われます(^_^;)。
道中には小さな漁村や港町がポツポツと点在するのみ。
村と村との距離がとんでもなく離れているので、食糧補給など慎重に考えていかなければなりません。
「コンビニ見つけたら迷わず入れ!」というのが、ここでの自転車旅行者にとっての鉄則らしい。
…なお、ここからのエリアは数本のバスしか走っておらず、内陸側に山をひとつ越えないと鉄道は走っていません。
つまりこのエリアでリタイアしても、戻るのが非常~に大変。嫌でも走破しなくてはなりません…。
続行かリタイヤかを決めるのは、先ほどの留萌がラストチャンスだったというわけです。
午前5:32 小平町に入ります。
本日も風がほとんどないので、非常に走りやすいです(*^_^*)
前日に150キロ走行した割には、意外にもヒザ下が少し痛いくらいで体力はまだまだ余裕。
昨日から思っていたんですが、次第に車のナンバーが「札幌」から「旭川」へと増えていくのがとても気持ちいい。
これは自らの足で旅するものしか味わえない快感ですね!
ようやく看板に「稚内」の文字が現れました!!
あと177キロという距離は、はたして遠いのか近いのか。
あまり考えたくありませんし、距離感覚は昨日から狂ってしまいました(笑)。
巨大な看板に、ネッシーみたいな首長竜の立体デザインが。
「なんで首長竜なの?」と思ったら、北海道で初めて恐竜の化石が発見されたのが、ここ小平町らしいです!
知らなかった…。
小さな小平の市街地を抜ける途中に、今回のルートで唯一のトンネルである「新小平トンネル」が。
それほど長くないトンネルだし、必要以上に広くてきれいな歩道が整備されているので全く問題ありませんでした。
まず早朝という事もあるかと思いますが、交通量もほとんどありませんでした…。
トンネルを抜けると、なんにも無い平坦な道がひたすら延びます。
そして、ここでポツポツと小雨が…。
それほど強い雨ではなく、その後も降ったりやんだり。
この道はたまに車が途切れるので、気持ちよ~く、順調~に進むことができましたよ♪
晴れてたらもっと楽しかったでしょうね~。
何もない…。
とりあえず、現在の目標地点は26キロ先の羽幌だな。
あそこは結構な街だったと思う。
食事か休憩は羽幌でとろう。
そんなことを考えながらも、だんだんと単調な風景に飽きてきたところで…。
おぉっ、これは!!
廃線跡だ!!
そうです。今でこそ鉄道の通っていない留萌~天塩、幌延間ですが、かつては「羽幌線」と呼ばれる国鉄路線が走っていました。
141.1キロにも及ぶ長大な路線でしたが、自家用車の普及に伴い利用者が激減し、1987年の国鉄民営化とともに消滅してしまいました。なんだか寂しいですよね…。
この先、道路と並行して旧・羽幌線の跡地がずっと続いていくようですので、この他にも遺構との遭遇が期待されます♪
午前6:24 道の駅「おびら鰊番屋」に到着。なんか工事してるじゃん…。
左の写真です。かつてのニシン番屋の転用かと思ったら、すぐ隣にある「旧花田家番屋」(こっちは本物の番屋。右の写真)に合わせてデザインされた建物なのだそうです。
旧花田家番屋のほうは明治38年建設、「日本最北端の重要文化財」だそうです。
明治から昭和にかけて、小平町や周辺の日本海沿岸の地域では膨大な数のニシンが押し寄せ、浜の住人はあまりの大漁に歓喜。小さな港町は潤いました。
しかし昭和30年以降にニシンの群来が突然消えてしまい、栄えていた港町もあっという間に衰退してしまった、という悲しげな歴史があります。
ニシン漁がもたらした過去の繁栄に思いをはせながら……休憩。
雨が降る前に出発!
次回!
寂しい海岸沿いの風景。旅は果てしなく続きます。
続く。