2日目のつづき・・・・・
フォアランポーン駅で写真撮影した後はトンローへ来た。
この通りには最初に開業したテナントのビルや少しだけ住んでいたアパートがある。
ホームプレイスオフィスビル。
2000年ここの1階テナントに開業した。
俺が28歳のときだ。
この頃の俺は妙に自分に自信を持っていた・・・・・・今思えば正にこれが根拠の無い自信っていうのだろうな(笑)
10坪ほどの広さでベッド4台設置していたのだったかな。
俺がメインでやっていた。労働許可書を取得する為にタイ人スタッフを4人雇う必要があったが実際に雇ってたのは3人だったか。
足りない1人は名義だけ・・・・・・・当時は結構甘かったからな。
ちなみに開業当初からフリーペーパーで大々的に記事にして頂いたこともあり大盛況だった。
繁盛しすぎてゲッソリ痩せたよ。
タイ人スタッフの施術も需要が多かったこともあり開業3ヶ月でより広い店舗を探すことに。
そして昨日のsoi39の店舗に移転したわけだ。
現在これは何の店になっているのだろうか?アイドルショップか?
ここはホームプレイスオフィスビルで開業していた間3ヶ月だけ住んでいたアパート。
思い出の地巡りはこれで終了だ。
・・・・ということでセントラルワールドプラザへ。
大規模デモのときに焼かれたらしいがこの部分は昔と変わっていないな。
この部分だけは無事だったのかな。
夕方になり嫁と待ち合わせアソーク・ロビンソン地下のMKへ。
久々のMKのタイスキだ。
ハイネケン大瓶が180Bになっていたのには少し驚いた。7年前は120か130Bだったと思う。
180Bじゃ日本とあまり変わらないよな 。日本はデフレで物価安いし・・・・・
食事が済んだ後、再び嫁と別行動。
嫁は友人達とドゥレー(韓国料理)で食事会。
俺はフォアランポーン駅で夜の撮影。
駅で適当に撮影した後はヤワラーへ向かった。
大晦日ということもあり街中は大賑わいだ。
ヤワラーへ向かう途中にあった寺院にて・・・・・・
皆、頭に糸を巻きつけて何やっているのだろう??
新興宗教かな?
ヤワラーのレストランはどこも満員盛況。
1本路地を入ったところに客が一人しかいない食堂があったのでそこに入る。
店の前にはホイクレーン(貝)があったのでホイクレーン・ルアットを注文する。
ビアシン(大)2本とクンパオ(焼き海老)4尾、ホイクレーン・ルアット2皿で650B也・・・・・・・多分プチぼられているよ。
フォアランポーン駅前に戻り適当な店で再びビールを飲んだ。
パックブン・ファイデーンを食べる。
このころになるといい加減に少し酔っ払ってきた。
酔った勢いでソムタムガールのゴザへ・・・・・
ここは地方から出てきた労働者がソムタムガール相手に酒を飲むところだ。
ソムタムガールも田舎からの出稼ぎだ。
昔(15年前)少しボラレタことがあるので今回は一々値段を尋ねる。
ソムタムは30B。酒は80Bとのことだ。
ソムタムと酒を注文。
この酒はヤードンと呼んでいた。タイの酒に薬草を漬けてあるのだそうだ。
甘くて口当たりは良いのだが飲み過ぎると確実に二日酔いになりそうなので
俺はチビチビ飲んでいたがソムタムネーさんは結構な勢いで飲んでいる。
小瓶を1本空けるとネーさんがもう一本開けてもいいかと尋ねてくる。
なるほど、ネーさんも一緒に飲み酒を消費してその分も客が金を払うということのようだ。
ホステスが客のボトルをどんどん飲み甘い声で「新しいボトル入れていい?」っていうのと同じようなものなのだろう。
これはそれの原点というべきものだろうか・・・・・・・・
ソムタムガールと他愛も無い話しをしながらそんなことを考えていたら携帯が鳴った・・・嫁だ。
「今どこなの?今から行くから!!」
15分後、嫁が迎えに来た頃には完全に酔っ払っていた。
ここからは記憶が曖昧だ・・・・・
嫁が先程までドゥレーで食事していた友人達はシェラトンのバーで飲んでいるという。
年越しパーティをやるから俺に参加しろということだ。
シェラトンのバーに行くと友人のT夫妻とIさんが既に出来上がっていた。
特にT夫妻のテンションは異常に高くて俺が少し引いたほどだ。
しかしシャンパンをガバガバ飲んで最終的に8本空けたときには俺が一番狂っていたらしい。
バーでは歌手が歌っていた。
酔っ払ってて気にもしなかったが綺麗な女性だ。
スカートめくらなくて良かったよ。
記憶を無くすほど飲んでもギリギリのところで理性を保っているようだ。
本当は皆で割り勘にするはずだったようだが誰も気付かぬ間に俺がカードで全部払ったらしい。
酔ってケチる野郎じゃないってことが俺の誇りだよ・・・・・・・・高級ホテルでシャンパン8本(涙)
帰り道・・・・・・・・・・嫁の話では物乞いの女性に100B渡して写真を撮らしてくれと懇願していたらしい。