一応最初に書いておくが・・・オリンピックを夢見たというのは
実績が伴って夢見た場合と何の実績も根拠も無く単に夢見た場合があるわけだが
この話は言うまでも無く後者だ・・・
ボート部に入部
俺が入学した高校はボート部の強豪校というイメージがあった。
それは以前に書いた通り昭和30年代に国体優勝したからであって俺が入学した昭和60年代は県大会の決勝にも進めないようなレベルだった。
入部したのはいいのだが体の小さな俺はナックルフォアのコックス(舵手)にさせられるところだった。
ナックルフォアとはクルー5人で漕ぎ手4人舵手1人という日本独自の規格のボートだ。
コックスになりたくてボート部に入部したわけではない。
・・ってことで、入部早々シングルスカルを希望し練習を開始した。
シングルスカルとは一人乗のボートだ。
夏には試合に出場できるようになった。
新人戦で関東大会に出場した
競技人口少ないから最初から関東大会だったwww
秋になり腰痛を発症した。
ボート競技者にとって腰痛は致命傷だ。その頃の腰痛は結構深刻で授業中座っているだけでも辛い時があった。
コックスに転向
腰痛が治癒するまでということでコックスをやることになった。
どのような事情だったかは記憶にないが丁度コックスの席が空いていたのだろう。
通称デブクルーと呼ばれていた肥満野郎たちが集まっていたクルーのコックスをやることになった。
コックスは練習時には練習メニューを考え指示する。
試合の時は舵を取り&ペース配分を考え声を掛け指示し気合を入れるwww
腰痛を発症したときは退部しようかと考えていたがモノは考えようだ。
自分は漕がなくていい。声を出してれば良いんだ・・・こんな楽なことはないなww
デブクルーはオカダ君、トダ、トクニョウ・・・もう一人が誰だったか思い出せない。
コックスをやるからにはインターハイ、国体を目指すぞ!・・・と俺一人だけ思っていた。
つづく