7月に新紙幣が発行されて早4か月。約40年にわたって高額紙幣肖像の座を占めてきた福澤諭吉は、主役の座を渋沢栄一に奪われた。「できる限りいっぱいお目にかかれる方法を誰かに教えてもらおう!」という野暮な話を今日はしない。この二人、明治期に教育振興に力を注いだ点で共通している。啓蒙思想家であり、慶應義塾の創設者であり、医学教育にも力を注いだ諭吉に対して、栄一は実業学校を創設し、女子教育にも携わるなど多くの弟子を育て上げた。8年ぶりに書くブログで、明治どころか昭和の文化や風習も古臭いと感じる令和の現代に、彼らに倣って「弟子入りのすゝめ」を説いてみたい。
現代で明確な「師弟関係」があるのは、古典芸能や伝統文化の社会に制度として残るものがイメージしやすいだろう。落語の場合、噺家の師匠に弟子入りしなければ定席の高座にあがることは許されず、破門されれば廃業するのが原則である。将棋のプロ棋士にも修行段階から必ず師匠が必要とされる。茶道や華道でも家元から許状や免状を受けるには師匠の推薦が必要で、そういった際には”御礼”を包まなければならない。この”御礼”の中身は”諭吉”か”栄一”が…(お察しください)。
さて、「師弟関係」の実態はそれぞれの世界で大きく異なる。「師弟関係」と言われると、大工の棟梁が弟子に対して手取り足取り教えているようなイメージが先行するだろう。しかし、将棋界においては、戦術や戦法の研究について師匠から教わったことがないプロ棋士の方が多いという。落語家の場合、見習い期間である前座修行中は別として、初めて高座にかける噺があるときには、自分の一門以外の師匠に教えを乞うことも多い。こうした世界において、師匠は、礼儀作法や立ち居振る舞い、プロフェッショナルとしての考え方など、その社会・文化に適応するための教えを授けることが務めであり、弟子は、その世界の中で自分自身が努力と工夫の中で、テクニックやスキルを自ら磨いていくことが求められる。そう、師匠は先生ではないのである。
いろいろな「師弟関係」があるが、その分野でも共通していることが一つだけある。それは「師匠が弟子を選ぶのではなく、弟子が師匠を選んで入門を請う」という点だ。実態としてスカウトや知人の紹介などということもあるだろうが、建前上すべて「弟子にしてください!」の一言から始まることになっている。弟子側には「こんな素晴らしい人物になりたい」とか、「この人に教えを請いたい」とか、何らかの動機がなければ師匠を選べない。でも「二君に仕えず」と言い慣わすように、その分野で二人の師匠は持てない。弟子なりに考えて、感じて、信じて、そして一人の師匠を選ぶことが許されるのである。
普段の仕事や生活において、「弟子にしてください!」などということを言うことはないだろうし、言ったら相手が引いてしまうかもしれない。しかし「この人のここがスゴイな!」「こんな考え方になりたいな!」と、その人の全てではなく、限定的な一部分についてでも、心の中で勝手に「弟子になろう!」と思うことはできるだろう。そんな師匠を探して、勝手に弟子入りして、先達の技を盗み、自分を磨いてみてはいかがだろうか。
「師匠に叱ってもらうことが嬉しかったんだな」と思うくらい齢(とし)を取ったせいなのか、師匠と呼ばれることがあって「コレじゃまずい」と思ったからなのか、2枚の紙幣を見て感じた。「8年前から全く成長していないぞ!」と師匠にお小言がいただけるように、結びはあの時と同じ、「利休百首(利休道歌)」で。
ならひつゝ見てこそ習へ習はずによしあしいふは愚かなりけり
(啓)
moni-meter
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株式会社NTTデータIMジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア・システム開発、
製品開発(moniシリーズ)、それに農業も手がけるIT企業
現代で明確な「師弟関係」があるのは、古典芸能や伝統文化の社会に制度として残るものがイメージしやすいだろう。落語の場合、噺家の師匠に弟子入りしなければ定席の高座にあがることは許されず、破門されれば廃業するのが原則である。将棋のプロ棋士にも修行段階から必ず師匠が必要とされる。茶道や華道でも家元から許状や免状を受けるには師匠の推薦が必要で、そういった際には”御礼”を包まなければならない。この”御礼”の中身は”諭吉”か”栄一”が…(お察しください)。
さて、「師弟関係」の実態はそれぞれの世界で大きく異なる。「師弟関係」と言われると、大工の棟梁が弟子に対して手取り足取り教えているようなイメージが先行するだろう。しかし、将棋界においては、戦術や戦法の研究について師匠から教わったことがないプロ棋士の方が多いという。落語家の場合、見習い期間である前座修行中は別として、初めて高座にかける噺があるときには、自分の一門以外の師匠に教えを乞うことも多い。こうした世界において、師匠は、礼儀作法や立ち居振る舞い、プロフェッショナルとしての考え方など、その社会・文化に適応するための教えを授けることが務めであり、弟子は、その世界の中で自分自身が努力と工夫の中で、テクニックやスキルを自ら磨いていくことが求められる。そう、師匠は先生ではないのである。
いろいろな「師弟関係」があるが、その分野でも共通していることが一つだけある。それは「師匠が弟子を選ぶのではなく、弟子が師匠を選んで入門を請う」という点だ。実態としてスカウトや知人の紹介などということもあるだろうが、建前上すべて「弟子にしてください!」の一言から始まることになっている。弟子側には「こんな素晴らしい人物になりたい」とか、「この人に教えを請いたい」とか、何らかの動機がなければ師匠を選べない。でも「二君に仕えず」と言い慣わすように、その分野で二人の師匠は持てない。弟子なりに考えて、感じて、信じて、そして一人の師匠を選ぶことが許されるのである。
普段の仕事や生活において、「弟子にしてください!」などということを言うことはないだろうし、言ったら相手が引いてしまうかもしれない。しかし「この人のここがスゴイな!」「こんな考え方になりたいな!」と、その人の全てではなく、限定的な一部分についてでも、心の中で勝手に「弟子になろう!」と思うことはできるだろう。そんな師匠を探して、勝手に弟子入りして、先達の技を盗み、自分を磨いてみてはいかがだろうか。
「師匠に叱ってもらうことが嬉しかったんだな」と思うくらい齢(とし)を取ったせいなのか、師匠と呼ばれることがあって「コレじゃまずい」と思ったからなのか、2枚の紙幣を見て感じた。「8年前から全く成長していないぞ!」と師匠にお小言がいただけるように、結びはあの時と同じ、「利休百首(利休道歌)」で。
ならひつゝ見てこそ習へ習はずによしあしいふは愚かなりけり
(啓)
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