薪を背負って本を読んでいる少年の像を、幼い頃の私は通っていた小学校の校庭で毎日見上げて暮らした。言わずと知れた二宮金次郎、後の二宮尊徳の像である。幼いながらハードな仕事をこなし、その上時間を惜しんで勉学にも励む、という素晴らしい少年の像であった。
最近の街中では、この像によく似た光景を毎日目にすることができる。歩きながらうつむき加減に携帯機器を見ている若者たちの姿はまさにこの像そっくりだ。二宮金次郎は寸暇を惜しんで和紙に墨で書かれた「徳」を学ぶ書物を読んだはずだが、最近は寸暇を惜しんで液晶に表示される文字や映像を見る。携帯電話が普及しきった頃は液晶に表示される文字を追い、親指を高速に動かして文字を打つ姿が目に付いたものだが、最近は携帯機器に映し出されるものも多種多様だ。中には「徳」の高い情報を学んでいる人もいるのだろうが、電車の中で見かける携帯機器の画面に映し出されているのはゲームである場合が多い。未だにモンスターと戦っている映像をよく見かける。少年から社会人まで実に多くの人たちが寸暇を惜しんで異な物との戦い方を学んでいる。
「寸暇を惜しむ」とは、ちょっとした空き時間も「もったいない」と思う、という意味だ。時間の使い方に対するエコな考え方である。寸暇を惜しんで何かに没頭する、という姿は悪くない。ただそれが、異な物を「殺す」テクニックを高度にするためであるとすると、恐ろしい。ゲームの中では、それが「正義」であるとされているのだろうから、本当に恐ろしい。
ライフワークバランスと言う言葉がある。いい言葉だし、いい考え方だと思う。ただし、ライン仕事を寝る間も無くやらなければならない労働者にとって、いい考え方だ、と思っている。ベルトコンベア式に次から次にやってくる部品を組み立てるような定型的な仕事をずっとミスなく長時間続けるのは非常に疲れることだろう。当然、生活のうるおいと仕事とをバランスよく分割できるようにしなければ仕事自体長続きできない。
ところが、最近の多くの仕事は定型的な部分はコンピュータがやり、非定型な部分を人間がやる、という分業が進んできている。そのために、非定型に見える仕事をうまく整理して生産性を上げるアイデアを「提案する」ことや、これまでに無かった新しい豊かさを「提案する」ような極めて創造的な仕事が、仕事の多くを占めるようになりつつある。
だから評価も、ただ業績を上げただけの人より「提案して」新しい業績を上げた人に高くつく傾向があるようだ。このような状況下にあって、単にお仕着せで、いわゆる「やらされている」感たっぷりに嫌々仕事をしている人は、結局ライフワークバランスをうまくとらないと継続的に仕事を続けられない。頑張って一定の評価を得ようとすると身体か心のどちらか、または両方を壊してしまう。それに対し、アイデアを「提案して」自分の提案が形になり、誰かが喜んでいる姿を見るのがうれしくて仕方がない、だから仕事が大好きで、趣味も仕事だ、などと言える人は、つまり「寸暇を惜しんで」仕事のことを考えてしまうが、一向に身体も心も壊れない。
そういう人は、仕事(ワーク)が人生(ライフ)なのでライフとワーク2つの物を天秤にかけるということができない。ライフワークバランスという言葉が広く理解されるようになって来た今、逆に「寸暇を惜しんで」エコな時間の使い方をしながらアイデアを絞りだし「提案」する仕事に没頭しているビジネスマンは多い。つまりライフワークアンバランスである。
だが彼らが事務所の机の前にじっと座りっぱなしか、というと、とんでもない。彼らは実に多くの場所に現れ、あらゆるものに真剣に取り組む。いろいろな経験を積み、いろいろな考えを持った方々の思いを聞き、話す。その中に自分が探している何かが見つかるかもしれないから。ワークに次ぐワークであっても心はバランスが取れている。「寸暇を惜しんで」没頭できる仕事を見つけた人は幸せだ、そう思わせるエネルギーを発散させて仕事を楽しんでいる。かの二宮金次郎も没頭して仕事に打ち込んだ口だったに違いない。「寸暇を惜しむ」とはすなわち、真剣に生きることを楽しむ、ということであるのかもしれない。(三)
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株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
最近の街中では、この像によく似た光景を毎日目にすることができる。歩きながらうつむき加減に携帯機器を見ている若者たちの姿はまさにこの像そっくりだ。二宮金次郎は寸暇を惜しんで和紙に墨で書かれた「徳」を学ぶ書物を読んだはずだが、最近は寸暇を惜しんで液晶に表示される文字や映像を見る。携帯電話が普及しきった頃は液晶に表示される文字を追い、親指を高速に動かして文字を打つ姿が目に付いたものだが、最近は携帯機器に映し出されるものも多種多様だ。中には「徳」の高い情報を学んでいる人もいるのだろうが、電車の中で見かける携帯機器の画面に映し出されているのはゲームである場合が多い。未だにモンスターと戦っている映像をよく見かける。少年から社会人まで実に多くの人たちが寸暇を惜しんで異な物との戦い方を学んでいる。
「寸暇を惜しむ」とは、ちょっとした空き時間も「もったいない」と思う、という意味だ。時間の使い方に対するエコな考え方である。寸暇を惜しんで何かに没頭する、という姿は悪くない。ただそれが、異な物を「殺す」テクニックを高度にするためであるとすると、恐ろしい。ゲームの中では、それが「正義」であるとされているのだろうから、本当に恐ろしい。
ライフワークバランスと言う言葉がある。いい言葉だし、いい考え方だと思う。ただし、ライン仕事を寝る間も無くやらなければならない労働者にとって、いい考え方だ、と思っている。ベルトコンベア式に次から次にやってくる部品を組み立てるような定型的な仕事をずっとミスなく長時間続けるのは非常に疲れることだろう。当然、生活のうるおいと仕事とをバランスよく分割できるようにしなければ仕事自体長続きできない。
ところが、最近の多くの仕事は定型的な部分はコンピュータがやり、非定型な部分を人間がやる、という分業が進んできている。そのために、非定型に見える仕事をうまく整理して生産性を上げるアイデアを「提案する」ことや、これまでに無かった新しい豊かさを「提案する」ような極めて創造的な仕事が、仕事の多くを占めるようになりつつある。
だから評価も、ただ業績を上げただけの人より「提案して」新しい業績を上げた人に高くつく傾向があるようだ。このような状況下にあって、単にお仕着せで、いわゆる「やらされている」感たっぷりに嫌々仕事をしている人は、結局ライフワークバランスをうまくとらないと継続的に仕事を続けられない。頑張って一定の評価を得ようとすると身体か心のどちらか、または両方を壊してしまう。それに対し、アイデアを「提案して」自分の提案が形になり、誰かが喜んでいる姿を見るのがうれしくて仕方がない、だから仕事が大好きで、趣味も仕事だ、などと言える人は、つまり「寸暇を惜しんで」仕事のことを考えてしまうが、一向に身体も心も壊れない。
そういう人は、仕事(ワーク)が人生(ライフ)なのでライフとワーク2つの物を天秤にかけるということができない。ライフワークバランスという言葉が広く理解されるようになって来た今、逆に「寸暇を惜しんで」エコな時間の使い方をしながらアイデアを絞りだし「提案」する仕事に没頭しているビジネスマンは多い。つまりライフワークアンバランスである。
だが彼らが事務所の机の前にじっと座りっぱなしか、というと、とんでもない。彼らは実に多くの場所に現れ、あらゆるものに真剣に取り組む。いろいろな経験を積み、いろいろな考えを持った方々の思いを聞き、話す。その中に自分が探している何かが見つかるかもしれないから。ワークに次ぐワークであっても心はバランスが取れている。「寸暇を惜しんで」没頭できる仕事を見つけた人は幸せだ、そう思わせるエネルギーを発散させて仕事を楽しんでいる。かの二宮金次郎も没頭して仕事に打ち込んだ口だったに違いない。「寸暇を惜しむ」とはすなわち、真剣に生きることを楽しむ、ということであるのかもしれない。(三)
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