今は亡き人を忘れないようにと言う意味でメモリアルパークと名の付いた霊園・墓地は多い。横浜みなとみらいには故人ではなく懐かしい時代を偲ぶメモリアルパークがある。日本丸メモリアルパークという。公園のドックに繋留されている日本丸は年をとって退役してはいるがまだ生きている船だ。
黒船に驚いて逃げ腰になったのではなく、それを凌駕しようと立ち上がった日本人の不屈の闘志と技術力を思い起こさせる。洋式帆船自体は明治維新の時代ですでに時代遅れになりつつあったため、実用的に使うというよりも海洋航海の基本を若者に習得させる練習船として使われることが多かったが、横浜のドックで休んでいる日本丸も練習船として昭和の初めに造られたものだ。第2次大戦中は帆船としての装甲を取り払われ石炭運搬船として使われていたらしい。そして戦後は、港横浜に係留されているもう1隻の有名な客船氷川丸と同じように引揚げ船として使われ、直後に勃発した朝鮮戦争ではそのまま継続して輸送船として戦役についている。戦前から使われている日本の船としては最も長く落ち着いた戦後を迎えることが出来なかった船といっていい。戦後7年経ってようやく帆船として元の姿、今ある姿に復活し、今から27年前(1984年)に現役を引退するまで若い船乗りを鍛え続けた。現在も同じ日本丸と名前のついた帆船が若者の航海実習に利用されているがそちらは正式には日本丸二世と呼ぶそうだ。
この日本丸メモリアルパークでは市民団体の方が主催して定期的にフリーマケットを実施している。先週末の土曜にも行われ、わが社の女性陣が中心になって出店した。秋晴れの良い天気も手伝ってかなり多くの人出だったと思う。出店している人達はやはり若い人達が多い。そもそも生活の中で使わなくなってしまった物品を必要としている人に格安で提供する場であったはずのフリーマッケットもプロのバイヤーのような人がたくさん出店している。出店したいという一般市民が減少し、プロに出店してもらわないと会場全体を埋められなくなって来ているのかもしれない。
売り方は千差万別。ただそこに店を出しているだけでいいという趣で自分からは決して客に声をかけないような人から、積極的に声をかけて自分の店に誘導しようと頑張る人まで様々。みんな楽しそうだ。しかし、よく見ていると自分の店に立ち寄ってくれた人にあいさつをする人としない人がいることに気づく。まったく積極的で無さそうに見えていた人の中にも実は「いらっしゃいませ」と言っている人とそうでない人がいるようだ。「いらっしゃいませ」と言っている人は店に寄ってくれたことに感謝して何も買わないお客様にも「ありがとうございました」と見送っている。
あいさつをする店主のお店は会話が始まり易いのか客引きをしなくても客が寄り、笑い声が起きる。客が興味を示している商品の由来などを説明しはじめる店主が多い。会話が弾んで、お客様も商品にと言うより「楽しい会話」に代金を払うように50円や100円を置いていく。店主もおまけの商品をつけたりして、楽しい会話がやり取りされているお店の商品は無くなるのが早い。
きっかけはどんなことであっても、今まで言葉を交わしたこともなかった人同士がほんの少し優しい言葉を交わして過去の小さなエピソードを共有することができるというのは本当に素晴らしいことだ。交わされた言葉は思い出の商品と共にやがてまた別の人に繋がっていくだろう。日本丸の美しい船影が、心に残るエピソードをより一層引き立ててくれる。メモリアルパークは新しい思い出を生み出す公園でもあった。(三)
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横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
黒船に驚いて逃げ腰になったのではなく、それを凌駕しようと立ち上がった日本人の不屈の闘志と技術力を思い起こさせる。洋式帆船自体は明治維新の時代ですでに時代遅れになりつつあったため、実用的に使うというよりも海洋航海の基本を若者に習得させる練習船として使われることが多かったが、横浜のドックで休んでいる日本丸も練習船として昭和の初めに造られたものだ。第2次大戦中は帆船としての装甲を取り払われ石炭運搬船として使われていたらしい。そして戦後は、港横浜に係留されているもう1隻の有名な客船氷川丸と同じように引揚げ船として使われ、直後に勃発した朝鮮戦争ではそのまま継続して輸送船として戦役についている。戦前から使われている日本の船としては最も長く落ち着いた戦後を迎えることが出来なかった船といっていい。戦後7年経ってようやく帆船として元の姿、今ある姿に復活し、今から27年前(1984年)に現役を引退するまで若い船乗りを鍛え続けた。現在も同じ日本丸と名前のついた帆船が若者の航海実習に利用されているがそちらは正式には日本丸二世と呼ぶそうだ。
この日本丸メモリアルパークでは市民団体の方が主催して定期的にフリーマケットを実施している。先週末の土曜にも行われ、わが社の女性陣が中心になって出店した。秋晴れの良い天気も手伝ってかなり多くの人出だったと思う。出店している人達はやはり若い人達が多い。そもそも生活の中で使わなくなってしまった物品を必要としている人に格安で提供する場であったはずのフリーマッケットもプロのバイヤーのような人がたくさん出店している。出店したいという一般市民が減少し、プロに出店してもらわないと会場全体を埋められなくなって来ているのかもしれない。
売り方は千差万別。ただそこに店を出しているだけでいいという趣で自分からは決して客に声をかけないような人から、積極的に声をかけて自分の店に誘導しようと頑張る人まで様々。みんな楽しそうだ。しかし、よく見ていると自分の店に立ち寄ってくれた人にあいさつをする人としない人がいることに気づく。まったく積極的で無さそうに見えていた人の中にも実は「いらっしゃいませ」と言っている人とそうでない人がいるようだ。「いらっしゃいませ」と言っている人は店に寄ってくれたことに感謝して何も買わないお客様にも「ありがとうございました」と見送っている。
あいさつをする店主のお店は会話が始まり易いのか客引きをしなくても客が寄り、笑い声が起きる。客が興味を示している商品の由来などを説明しはじめる店主が多い。会話が弾んで、お客様も商品にと言うより「楽しい会話」に代金を払うように50円や100円を置いていく。店主もおまけの商品をつけたりして、楽しい会話がやり取りされているお店の商品は無くなるのが早い。
きっかけはどんなことであっても、今まで言葉を交わしたこともなかった人同士がほんの少し優しい言葉を交わして過去の小さなエピソードを共有することができるというのは本当に素晴らしいことだ。交わされた言葉は思い出の商品と共にやがてまた別の人に繋がっていくだろう。日本丸の美しい船影が、心に残るエピソードをより一層引き立ててくれる。メモリアルパークは新しい思い出を生み出す公園でもあった。(三)
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