毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
暗黒面
「スターウオーズ・エピソード3」を見に行こうとずっと思っているのだが、なかなか時間が取れない。しかも、上映時間が縮小されて、私の都合のいいときに観られないので、余計に難しくなってしまった。もう少し待てばDVDが発売されるから、それを見ればいいじゃないかとも思うが、過去5作を全て映画館で観たことがちょっとした自慢で、塾の生徒達にもそれを吹聴したりしているので、なんとかして時間を作らなければならない。
今回のエピソード3は、アナキン・スカイウオーカーが何故ダースベーダーとなったのか、さらに言えば、フォース(理力)の下にあったジェダイ(騎士)が、どうしてダークサイド(暗黒面)に落ちたのかが、主要なプロットの1つだと巷間漏れ聞いている。しかし、この理力と暗黒面という2つの対立する観念については、スターウオーズを全く離れて考えても、なかなか興味深い。暗黒面とは、人間の持つ邪悪な面の集合体であり、決して他人には見せられない、個人個人が密かに持つ、心の闇とでも呼ぶべきものであろう。そこには、怒り・悲しみ・恐れ・嫉み・狂気など人が持つ様々な煩悩が、何らの装飾も帯びずに、謂わば、むき出しのままうごめいていることだろう。
私は仏教徒ではないし、何か他の宗教に帰依しているわけでもない、全くの無宗教な男である。己の依って立つところは己のみ、と少々口幅ったいことを自らの処世訓としているが、仏典の人生観、人間観にはいたく感銘を受けてきた。また、中学・高校と浄土宗系の学校に通っていたため、宗教の時間などで、仏教用語には若い頃から接する機会が多かったので、煩悩という言葉にも大雑把な説明を施すことができる。
「煩悩とは、心身を悩ます一切の精神作用の総称であり、貪欲(むさぼって飽きないこと)・瞋恚(怒りうらむこと)・愚痴(ものの理非の分からぬこと)の三つは三毒と称し、その最も根源的なものである」
事典から、引っ張り出してまとめただけであるが、これだけではよく分からない。このよく分からない点を、噛み砕いて私達衆生にも分かるように説くのが僧の役割だと思うが、ここでは望むべくもないので、私なりの解釈をしてみよう。
「人間は生まれて死ぬものである。それは誰も逃れないようもない宿命であり、その限られた命をそれぞれが懸命に生きようとするために、心の中に様々な感情が生まれる。しかし、その感情全てが昇華されるはずもなく、不完全燃焼のまま残ったものがくすぶり続け、その過程で生み出されてくる心の葛藤が煩悩なのである」
例えば、今現在私が抱えている煩悩で説明してみよう。
岩波書店から9月27日に夏目漱石直筆の「それから」の原稿の復刻版が、限定320部出版されるが、価格が何と168,000円であるため、非常に悩んでいる。すなわち、この本が欲しいという感情が芽生えて、そのまま一気に買ってしまえば、喜び意外何にも残らないが、あまりの高額さに大いに逡巡しているのだが、買いたいという気持ちを捨てきれず、悶々として気が晴れない今の私の心持こそ、煩悩で満たされていると言ってもいいだろう。
この暗黒面にどっぷり浸かった私を、そんな無駄使いをしている場合ではないだろう、そんなお金があるなら、娘や息子の教育費・生活費に回すべきだろう、と我に返らせてくれる力が理力なのであろうか。こう考えてくると、確かにダークサイドには人を痺れさせる甘さが満ちている。それにひきかえ、フォースは光に貫かれてはいるが、私のような凡人には少々眩しい。さあ、どうする、このまま暗黒面に引きずられて大枚はたいてしまうか、それとも、現実の壁の中でわき目をふらず、真っ直ぐ歩いていくか、さあ、どうする!!
今回のエピソード3は、アナキン・スカイウオーカーが何故ダースベーダーとなったのか、さらに言えば、フォース(理力)の下にあったジェダイ(騎士)が、どうしてダークサイド(暗黒面)に落ちたのかが、主要なプロットの1つだと巷間漏れ聞いている。しかし、この理力と暗黒面という2つの対立する観念については、スターウオーズを全く離れて考えても、なかなか興味深い。暗黒面とは、人間の持つ邪悪な面の集合体であり、決して他人には見せられない、個人個人が密かに持つ、心の闇とでも呼ぶべきものであろう。そこには、怒り・悲しみ・恐れ・嫉み・狂気など人が持つ様々な煩悩が、何らの装飾も帯びずに、謂わば、むき出しのままうごめいていることだろう。
私は仏教徒ではないし、何か他の宗教に帰依しているわけでもない、全くの無宗教な男である。己の依って立つところは己のみ、と少々口幅ったいことを自らの処世訓としているが、仏典の人生観、人間観にはいたく感銘を受けてきた。また、中学・高校と浄土宗系の学校に通っていたため、宗教の時間などで、仏教用語には若い頃から接する機会が多かったので、煩悩という言葉にも大雑把な説明を施すことができる。
「煩悩とは、心身を悩ます一切の精神作用の総称であり、貪欲(むさぼって飽きないこと)・瞋恚(怒りうらむこと)・愚痴(ものの理非の分からぬこと)の三つは三毒と称し、その最も根源的なものである」
事典から、引っ張り出してまとめただけであるが、これだけではよく分からない。このよく分からない点を、噛み砕いて私達衆生にも分かるように説くのが僧の役割だと思うが、ここでは望むべくもないので、私なりの解釈をしてみよう。
「人間は生まれて死ぬものである。それは誰も逃れないようもない宿命であり、その限られた命をそれぞれが懸命に生きようとするために、心の中に様々な感情が生まれる。しかし、その感情全てが昇華されるはずもなく、不完全燃焼のまま残ったものがくすぶり続け、その過程で生み出されてくる心の葛藤が煩悩なのである」
例えば、今現在私が抱えている煩悩で説明してみよう。
岩波書店から9月27日に夏目漱石直筆の「それから」の原稿の復刻版が、限定320部出版されるが、価格が何と168,000円であるため、非常に悩んでいる。すなわち、この本が欲しいという感情が芽生えて、そのまま一気に買ってしまえば、喜び意外何にも残らないが、あまりの高額さに大いに逡巡しているのだが、買いたいという気持ちを捨てきれず、悶々として気が晴れない今の私の心持こそ、煩悩で満たされていると言ってもいいだろう。
この暗黒面にどっぷり浸かった私を、そんな無駄使いをしている場合ではないだろう、そんなお金があるなら、娘や息子の教育費・生活費に回すべきだろう、と我に返らせてくれる力が理力なのであろうか。こう考えてくると、確かにダークサイドには人を痺れさせる甘さが満ちている。それにひきかえ、フォースは光に貫かれてはいるが、私のような凡人には少々眩しい。さあ、どうする、このまま暗黒面に引きずられて大枚はたいてしまうか、それとも、現実の壁の中でわき目をふらず、真っ直ぐ歩いていくか、さあ、どうする!!
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