毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
「そこにデレク・ジーターがいること」
先日ヤンキースタジアムで行われたジーターの引退セレモニーに出席した松井が「スポニチアネックス」のインタビューに応じた記事を見つけた。読んでいて、どうしてもこのブログに残しておきたくなったので、以下に貼っておく。
――“野球選手としてチームメートの中でも最も尊敬できる”と話していたジーターの引退。
「寂しいですよね、やっぱりね。ずっと一緒だったチームメートでは最後の一人だから」
――彼と接する中で最も驚きだったことは。
「驚きなんかないですよ、別に。いつも変わらないということが、一番彼の特徴ですよね。素晴らしい彼の特徴。試合をやっている時も、普段も変わらない」
――一緒にプレーして、一番の思い出は。
「うーん、何でしょうね。何か、いつもいて当然の存在だから、別にこれというのがないんですよね。凄いプレーをしようと、僕は全く驚かない。ジーターならやるよね、と。そんな感じで終わっちゃう」
――以前、「常に(左翼の位置から)お尻を見ていた」と。
「守っている時はいつも目の前にいたし、ベンチではいつも近くに座っていたし。いつもそこにいるのがジーターですよね。個人的にはね」
――どんな時も真摯(しんし)な姿勢でプレーするのは、自身と共通している。
「自分はそれが一番いいと思っていたし、意識していた部分で、そこが偶然合ったんだと思う」
――ヤ軍で20年間プレーを続ける難しさは。
「分からない。彼しかやったことがないんだから。でも彼は特に大変とか思っていないと思う。楽しんでいただろうし幸せだっただろうし」
――デレク・ジーターであり続けるための苦悩を間近で感じたことは。
「もちろん、デレク・ジーターでいなくちゃいけないというのは、あっただろうと思います。ただ、それを完全にやり通すのが彼なのであってね。彼の本当の本質的な部分は、誰にも分からない。そういったものを一切出さないから」
――彼が野球界で特別である理由は。
「何でしょうね。まあ、誰からも愛される人間ということでしょう」
――特別なスター性は、人間性と考えるか。
「もちろん数字は素晴らしいのだけど、そうじゃない魅力の方が傑出しているんじゃないのかなと思います。彼の存在意義というのは、それじゃないんですよね」
――その存在意義は、言葉にすると何か。
「それは、“そこにデレク・ジーターがいること”なんですよ。やっぱり。それ(いること)によって、いろんなものをプラスに変える力を持っているんですよね」
――そういう選手が引退する。大リーグにとって何を意味するのか。
「それは分からないですよね。いなくなってみて初めて、いろんなことに気付くんじゃないのかな。今の時点で、それは分からないですよね」
――打者・ジーターの特徴にポストシーズンなどでの勝負強さがある。
「単純な数字だけではない、彼の凄さの一部です。そういう試合では誰よりも頼りになる」
――一緒にプレーした中で印象に残る一打は。
「一番は03年のレッドソックスとの試合(リーグ優勝決定シリーズ第7戦)で、8回かな。同点に追い付いたとき、口火を切ったのがジーター。あのヒットでチームが息を吹き返したと思う」
――今の彼に、言葉を掛けるとしたら。
「“これで(おまえも)本当のトシヨリだな”って。その一言ぐらいかな」
――ファンは指導者としてリーダーシップを発揮してほしいのでは。
「やったら見るだろうけど、やる、やないとかは彼の好きなようにすればいいと思います。もう、これだけやったんだから。彼の好きなように、今後の人生を生きてくれればいいんじゃないかと思います」
――指導者として、一緒にユニホームを着ている姿を想像しないか。
「あるわけないでしょ、そんなもの」
(注)▽03年10月16日のア・リーグ優勝決定シリーズ第7戦 3勝3敗で迎えた一戦で、ヤ軍は8回の攻撃の時点で3点をリードされる。しかしこの回、1死からジーターが右越え二塁打で出塁。ここから1点を返し、さらに1死一塁から松井が右翼線二塁打でチャンスを広げた。続くポサダの中前打で松井は同点のホームイン。歓喜のあまり跳び上がってガッツポーズをした。試合は延長11回にブーンがサヨナラ本塁打。ヤ軍がワールドシリーズ出場を決めた。
≪「トシヨリ」仲間増えた≫ジーターは誕生日が自身よりも2週間早い松井氏を、同僚となった03年から「トシヨリ」と呼び続けている。引退を機に同じ言葉を返した松井氏だが、ジーターは8月の日本報道陣向けの会見で、引退理由を「トシヨリと感じたからではない。まだ若いと思っている」ときっぱり。「マツイが僕より年上なのは、ずっと変わらない。日数は関係ない。彼の方が年上」と譲らない構えだ。
ポストシーズンでの活躍を楽しみにしていたけど、もう無理だよな・・。
――“野球選手としてチームメートの中でも最も尊敬できる”と話していたジーターの引退。
「寂しいですよね、やっぱりね。ずっと一緒だったチームメートでは最後の一人だから」
――彼と接する中で最も驚きだったことは。
「驚きなんかないですよ、別に。いつも変わらないということが、一番彼の特徴ですよね。素晴らしい彼の特徴。試合をやっている時も、普段も変わらない」
――一緒にプレーして、一番の思い出は。
「うーん、何でしょうね。何か、いつもいて当然の存在だから、別にこれというのがないんですよね。凄いプレーをしようと、僕は全く驚かない。ジーターならやるよね、と。そんな感じで終わっちゃう」
――以前、「常に(左翼の位置から)お尻を見ていた」と。
「守っている時はいつも目の前にいたし、ベンチではいつも近くに座っていたし。いつもそこにいるのがジーターですよね。個人的にはね」
――どんな時も真摯(しんし)な姿勢でプレーするのは、自身と共通している。
「自分はそれが一番いいと思っていたし、意識していた部分で、そこが偶然合ったんだと思う」
――ヤ軍で20年間プレーを続ける難しさは。
「分からない。彼しかやったことがないんだから。でも彼は特に大変とか思っていないと思う。楽しんでいただろうし幸せだっただろうし」
――デレク・ジーターであり続けるための苦悩を間近で感じたことは。
「もちろん、デレク・ジーターでいなくちゃいけないというのは、あっただろうと思います。ただ、それを完全にやり通すのが彼なのであってね。彼の本当の本質的な部分は、誰にも分からない。そういったものを一切出さないから」
――彼が野球界で特別である理由は。
「何でしょうね。まあ、誰からも愛される人間ということでしょう」
――特別なスター性は、人間性と考えるか。
「もちろん数字は素晴らしいのだけど、そうじゃない魅力の方が傑出しているんじゃないのかなと思います。彼の存在意義というのは、それじゃないんですよね」
――その存在意義は、言葉にすると何か。
「それは、“そこにデレク・ジーターがいること”なんですよ。やっぱり。それ(いること)によって、いろんなものをプラスに変える力を持っているんですよね」
――そういう選手が引退する。大リーグにとって何を意味するのか。
「それは分からないですよね。いなくなってみて初めて、いろんなことに気付くんじゃないのかな。今の時点で、それは分からないですよね」
――打者・ジーターの特徴にポストシーズンなどでの勝負強さがある。
「単純な数字だけではない、彼の凄さの一部です。そういう試合では誰よりも頼りになる」
――一緒にプレーした中で印象に残る一打は。
「一番は03年のレッドソックスとの試合(リーグ優勝決定シリーズ第7戦)で、8回かな。同点に追い付いたとき、口火を切ったのがジーター。あのヒットでチームが息を吹き返したと思う」
――今の彼に、言葉を掛けるとしたら。
「“これで(おまえも)本当のトシヨリだな”って。その一言ぐらいかな」
――ファンは指導者としてリーダーシップを発揮してほしいのでは。
「やったら見るだろうけど、やる、やないとかは彼の好きなようにすればいいと思います。もう、これだけやったんだから。彼の好きなように、今後の人生を生きてくれればいいんじゃないかと思います」
――指導者として、一緒にユニホームを着ている姿を想像しないか。
「あるわけないでしょ、そんなもの」
(注)▽03年10月16日のア・リーグ優勝決定シリーズ第7戦 3勝3敗で迎えた一戦で、ヤ軍は8回の攻撃の時点で3点をリードされる。しかしこの回、1死からジーターが右越え二塁打で出塁。ここから1点を返し、さらに1死一塁から松井が右翼線二塁打でチャンスを広げた。続くポサダの中前打で松井は同点のホームイン。歓喜のあまり跳び上がってガッツポーズをした。試合は延長11回にブーンがサヨナラ本塁打。ヤ軍がワールドシリーズ出場を決めた。
≪「トシヨリ」仲間増えた≫ジーターは誕生日が自身よりも2週間早い松井氏を、同僚となった03年から「トシヨリ」と呼び続けている。引退を機に同じ言葉を返した松井氏だが、ジーターは8月の日本報道陣向けの会見で、引退理由を「トシヨリと感じたからではない。まだ若いと思っている」ときっぱり。「マツイが僕より年上なのは、ずっと変わらない。日数は関係ない。彼の方が年上」と譲らない構えだ。
ポストシーズンでの活躍を楽しみにしていたけど、もう無理だよな・・。
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