5月の末に前の家の売却が決まり、
契約を済ませたことは以前書きましたが、
実はその後、問題があって引き渡しになかなかこぎつけることが出来ず、
ようやく、先週の金曜日(契約ぎりぎりの9月末でした)
旧家引渡し=残金受領が済みました~~~
前の家は、建築時に位置指定道路を設けて建てた家なのですが、
その当時は自分の家の接道が4メートル確保できれば、建築確認が取れたのです。
それが最近のお役所の変更で
通行するすべての道路が4メートルないと建築できない…という
通達があったらしく、
(不動産屋さんが言うには、役所の人事異動があると、変わったりするそうです)
道路の一番奥に位置している我が家の場合、
その入り口からすべてが4メートル無いと、
次に建築する場合、建築確認が降りない…というのです。
だから、引渡しはその確認が降りることが条件になり、
今までかかってしまったわけです。
その道路に面しているお宅は我が家を入れて5軒。
そのうちの1軒は、もう十数年も空家状態で、持ち主は東京のある市の方。
そのお宅だけずっと建て替えをされていないので
ず~~っと2メートルの道路が確保出来ていませんでした。
(4メートルの半分)
本来なら敷地を後退させて2メートル確保してもらうところなのだけど
そんなの実質無理。
建て替えのときに一緒に道路を作るのが普通だものね。
だから役所もそこは大目に見てくれて、
「将来に渡って、4メートルの道路を確保します」という
誓約書みたいなものを
道路に面する各家庭からもらってくるように…という決まりを
作ったというわけです。
一度、その道路の許可を取れば、その後その道路に面するお宅が
建築するときはもう、その誓約書は取らなくても良い…とのことなので
そこに住んでいる方全員のためでもあるわけなのですが、
なんと、役所は「印鑑証明書」まで取れという命令を出したものだから
すんなりいかなかったわけです。
真夏の暑い中、不動産屋さんとぱぱっちとみりこと一緒に
一軒一軒(空家以外)頭を下げて回りました。
お隣の家は快く(自分たちの為でもあると理解いただいて)
印鑑証明も取って下さいました。(感謝)
あとの2軒は家族のなかに反対する人がいたので
なかなか進まなかったのですが、
不動産屋さんが一生懸命何度もお願いしてくれたおかげで
どうにかもう1軒の証明を取ることが出来ました。
空家を含む他の2軒は、角地なので、
もう一方の道路の方で申請出来るわけで、当事者にはなんの
メリットもないので仕方ないのですよね。
5軒中、我が家を含めて3軒の証明が取れたということで
役所に提出。
どうにか確認が降りて、ようやく引き渡しとなったわけです。
今回、家が傾いているといった不良住宅だったので
業者に売ることに決めたのですが、
(バブルの頃に建築した津○見建設め~~訴えたい気分ですよ)
値段を下げて、中古として一般の方に売っていたら
ものすごくお待たせして、大変なことでした。
きっと契約破棄…だったでしょうね。
だから値段は大幅に下がってしまったけれど、
業者だったから、あちらも事情がわかっていて気持ち良く取引させていただけて、
これで良かった…と思えます。
先週の金曜日、1時に横浜のとある銀行で引渡しでした。
ぱぱっちがその日も仕事で、
どうにか11時ごろに新幹線に乗れるとのことで
もしものときの為に、書類は私が持って現地に向い、
もし、ぱぱっちが来られなくなったら私が手続きを…
という段取りにしていましたが、
不動産屋さんからは何度も確認の電話がありました。
「新幹線が止まらない限り大丈夫です。
もし止まったら、私が代わりに手続き出来るようにしてあります」
と告げ、ようやく安心していただけました。
当日、早めに出てハンズでハロウィーングッズなどを買って時間待ちし、
ぱぱっちと一緒に銀行へ向かいました。
不動産の売買は金額が大きいからねぇ。
ぱぱっちも心配で、私に一緒に居てくれ…というので
同席しました。
銀行の振り込み用紙に金額を書くとき、
大きな金額に慣れていない私は「一、十、百、千…」って
数えそうになりましたよ
(用紙に書いてあったからOK)
振込みの確認をして、家のカギを5個お渡しして…
(みりこ以外の家族全員分です)
引渡し完了~~
知らなかったのですが、土地と家の権利書はあとで「権利が無くなった」と付け加えられ、
返却されるのですって。
「記念に持っていたいです」と、郵送してもらうことになりました。
帰りに「なんだかお金持ちになった気分だねぇ」と
ちょっと気分良く二人で帰ってきましたよ。
実際は新しい家のローンの為に使えないので
お金は無いのですけど…。とほほ。
でも、無事に売却完了~ってことで
家でワインで乾杯~~しましたよ。
でも、あの家が壊されるのはちょっと寂しいなぁ。
札幌から帰ってきたときも、あの家があったから帰る場所があったし
位置指定道路には最後に苦労させられましたが、
3人の子供たちは車が通らないあの道路で
おもちゃの車に乗って遊べたのですよねぇ。
雪が降ったときは、雪山を作って、そり遊びも出来たし…
(道路のつきあたりだったから出来たことね)
番人が2歳、まりぶが6ヶ月の時にあの家を契約し、
(バブルの崩壊寸前でした)
あの家でけんぴが生まれ、札幌へ行って帰ってきて、
それから幼稚園~小学校と子供たちは成長し…。
番人の中学受験の年にみりこが生まれ…
あのころが家族みんなが一番幸せなときだったかもしれないなぁ。
札幌から帰ってきた直後に植えた芝桜がりっぱに育って
その芝桜の前で、毎年写真も撮ったのよね。
大きなひまわり、電線まで伝わせた朝顔…。
いつもそこに子供たちの笑顔があった。
新しい家は快適で、すっかり前の家のことは忘れていたけど、
子供たちが小さかったときに住んでいた家…というのは
快適さがなくても、暖かさがあったのだなぁと
改めてしみじみ思いました
今の家はみりこが居なかったらきっと快適な家…だけ
だったかもしれませんねぇ。
長い間、ありがとう
私達の大事な思い出がいっぱい詰まったおうち。
取り壊しのとき、きっと泣いちゃうだろうなぁ。
それまでちょくちょく、見に行っておこうと思います。
契約を済ませたことは以前書きましたが、
実はその後、問題があって引き渡しになかなかこぎつけることが出来ず、
ようやく、先週の金曜日(契約ぎりぎりの9月末でした)
旧家引渡し=残金受領が済みました~~~
前の家は、建築時に位置指定道路を設けて建てた家なのですが、
その当時は自分の家の接道が4メートル確保できれば、建築確認が取れたのです。
それが最近のお役所の変更で
通行するすべての道路が4メートルないと建築できない…という
通達があったらしく、
(不動産屋さんが言うには、役所の人事異動があると、変わったりするそうです)
道路の一番奥に位置している我が家の場合、
その入り口からすべてが4メートル無いと、
次に建築する場合、建築確認が降りない…というのです。
だから、引渡しはその確認が降りることが条件になり、
今までかかってしまったわけです。
その道路に面しているお宅は我が家を入れて5軒。
そのうちの1軒は、もう十数年も空家状態で、持ち主は東京のある市の方。
そのお宅だけずっと建て替えをされていないので
ず~~っと2メートルの道路が確保出来ていませんでした。
(4メートルの半分)
本来なら敷地を後退させて2メートル確保してもらうところなのだけど
そんなの実質無理。
建て替えのときに一緒に道路を作るのが普通だものね。
だから役所もそこは大目に見てくれて、
「将来に渡って、4メートルの道路を確保します」という
誓約書みたいなものを
道路に面する各家庭からもらってくるように…という決まりを
作ったというわけです。
一度、その道路の許可を取れば、その後その道路に面するお宅が
建築するときはもう、その誓約書は取らなくても良い…とのことなので
そこに住んでいる方全員のためでもあるわけなのですが、
なんと、役所は「印鑑証明書」まで取れという命令を出したものだから
すんなりいかなかったわけです。
真夏の暑い中、不動産屋さんとぱぱっちとみりこと一緒に
一軒一軒(空家以外)頭を下げて回りました。
お隣の家は快く(自分たちの為でもあると理解いただいて)
印鑑証明も取って下さいました。(感謝)
あとの2軒は家族のなかに反対する人がいたので
なかなか進まなかったのですが、
不動産屋さんが一生懸命何度もお願いしてくれたおかげで
どうにかもう1軒の証明を取ることが出来ました。
空家を含む他の2軒は、角地なので、
もう一方の道路の方で申請出来るわけで、当事者にはなんの
メリットもないので仕方ないのですよね。
5軒中、我が家を含めて3軒の証明が取れたということで
役所に提出。
どうにか確認が降りて、ようやく引き渡しとなったわけです。
今回、家が傾いているといった不良住宅だったので
業者に売ることに決めたのですが、
(バブルの頃に建築した津○見建設め~~訴えたい気分ですよ)
値段を下げて、中古として一般の方に売っていたら
ものすごくお待たせして、大変なことでした。
きっと契約破棄…だったでしょうね。
だから値段は大幅に下がってしまったけれど、
業者だったから、あちらも事情がわかっていて気持ち良く取引させていただけて、
これで良かった…と思えます。
先週の金曜日、1時に横浜のとある銀行で引渡しでした。
ぱぱっちがその日も仕事で、
どうにか11時ごろに新幹線に乗れるとのことで
もしものときの為に、書類は私が持って現地に向い、
もし、ぱぱっちが来られなくなったら私が手続きを…
という段取りにしていましたが、
不動産屋さんからは何度も確認の電話がありました。
「新幹線が止まらない限り大丈夫です。
もし止まったら、私が代わりに手続き出来るようにしてあります」
と告げ、ようやく安心していただけました。
当日、早めに出てハンズでハロウィーングッズなどを買って時間待ちし、
ぱぱっちと一緒に銀行へ向かいました。
不動産の売買は金額が大きいからねぇ。
ぱぱっちも心配で、私に一緒に居てくれ…というので
同席しました。
銀行の振り込み用紙に金額を書くとき、
大きな金額に慣れていない私は「一、十、百、千…」って
数えそうになりましたよ
(用紙に書いてあったからOK)
振込みの確認をして、家のカギを5個お渡しして…
(みりこ以外の家族全員分です)
引渡し完了~~
知らなかったのですが、土地と家の権利書はあとで「権利が無くなった」と付け加えられ、
返却されるのですって。
「記念に持っていたいです」と、郵送してもらうことになりました。
帰りに「なんだかお金持ちになった気分だねぇ」と
ちょっと気分良く二人で帰ってきましたよ。
実際は新しい家のローンの為に使えないので
お金は無いのですけど…。とほほ。
でも、無事に売却完了~ってことで
家でワインで乾杯~~しましたよ。
でも、あの家が壊されるのはちょっと寂しいなぁ。
札幌から帰ってきたときも、あの家があったから帰る場所があったし
位置指定道路には最後に苦労させられましたが、
3人の子供たちは車が通らないあの道路で
おもちゃの車に乗って遊べたのですよねぇ。
雪が降ったときは、雪山を作って、そり遊びも出来たし…
(道路のつきあたりだったから出来たことね)
番人が2歳、まりぶが6ヶ月の時にあの家を契約し、
(バブルの崩壊寸前でした)
あの家でけんぴが生まれ、札幌へ行って帰ってきて、
それから幼稚園~小学校と子供たちは成長し…。
番人の中学受験の年にみりこが生まれ…
あのころが家族みんなが一番幸せなときだったかもしれないなぁ。
札幌から帰ってきた直後に植えた芝桜がりっぱに育って
その芝桜の前で、毎年写真も撮ったのよね。
大きなひまわり、電線まで伝わせた朝顔…。
いつもそこに子供たちの笑顔があった。
新しい家は快適で、すっかり前の家のことは忘れていたけど、
子供たちが小さかったときに住んでいた家…というのは
快適さがなくても、暖かさがあったのだなぁと
改めてしみじみ思いました
今の家はみりこが居なかったらきっと快適な家…だけ
だったかもしれませんねぇ。
長い間、ありがとう
私達の大事な思い出がいっぱい詰まったおうち。
取り壊しのとき、きっと泣いちゃうだろうなぁ。
それまでちょくちょく、見に行っておこうと思います。