「もの忘れを90%防ぐ法」米山公啓著 三笠書房 を読んでいる。
私はよく忘れるからだ。
とくに困っていることは、何をどこにしまったか、を 覚えていないことが多いこと。
働いていないので、仕事で迷惑をかけることは避けられていてよいのだが、
夫に頼まれた用事をメモしないでおくと、さまざま忘れていて、もう一度
言ってもらう。
ということで、まだ本は読んでいる途中だが、興味深いところをブログに
書かせていただく。
著者は神経内科医で執筆活動をされている方である。
もの忘れは脳の問題ではなく、心の問題なのだという。
三日前の朝食のメニュー、さっき見た映画のヒロインの名前など、覚えているはずのことが
思い出せないのは、「もの忘れ」、「ど忘れ」。
記憶がなくなっているわけでなく、それを思い出すための回路が一瞬働かなかっただけ
なのだそうだ。
「もの忘れ」や「ど忘れ」は、どんな天才にもあることで、「万有引力の法則」のニュートンは
研究に没頭するあまり、夕食をとるのをしばしば忘れ、「国富論」のアダム・スミスは、
着替えることを忘れて、寝間着のまま教会にあらわれたという。
それは、記憶力が悪いからでなく、優先順位が低いから、忘れる、ということだ。
上の例なら、本人にとって食事や着替えはそれほど重要なことではなかったのでしょうと。
パソコンを使う子どもは記憶力が悪い、という実験結果がある。
アメリカのデュープという研究者の興味深い実験だ。
「読み書きのできないアフリカの子ども」
「読み書きはできるがハイテク機器とは無縁のアフリカの子ども」
「読み書きができてハイテク機器に囲まれているアメリカの子ども」
の記憶力を比較したものだ。
実験では、それぞれの子どもたちに、長くて複雑な物語を読んで聞かせた。
そして、聞かせた直後、一週間後、さらに一カ月後に、記憶している物語を子供たち自身に
語ってもらった。
その結果・・・・
「読み書きはできるが、ハイテク機器とは無縁のアフリカの子ども」は、最後の
「アメリカの子ども」よりも物語をよく覚えていた。
さらに、興味深いのは、「読み書きのできないアフリカの子ども」。
彼らは、何かを記憶する際、書きとめておいたり、読んで思い出すといったことができない。
つまり、日常生活の多くを自分の脳の記憶に頼っている。
実験の結果、未発達な文化のもとで育った子どもたちが、物語を一番よく記憶していたのだという。
これは、パソコンや携帯電話、電子手帳など、記憶をコンピュータに頼ることが多くなった
現代社会に、警鐘を鳴らすような結果ともいえる。
うちでも、私たちは、最近、なにか思い出せないことが会話の中で出てくると、
いつでもパソコンはスリープ状態で、すぐ起動できるようにして生活しているので、
思い出そうという努力を延々するより、インターネットで、なにかを手掛かりに
パッと検索して、「そうそう、それそれ」と知識を手に入れ、それで納得。
そんな生活をしていたら、思い出すという脳の記憶力を鍛えることがなくなり、
もの忘れはどんどんひどくなっていくのは当たり前だったのだ。
脳は重いと記憶力がいいかというと、ヒトで比較するなら、そのようなことはなく、
アインシュタインの脳の重さは「成人男性の平均以下」だという。
夏目漱石も平均の重さだ。
脳の大きさで頭のよし悪しや記憶力の優劣を区別することはできないということが
わかっているそうだ。
よく脳ミソのシワが多ければ知能が高いのでは、と思われるが、それも、そうではないらしい。
脳のシワは、大脳皮質のシワのことなのだそうだが、それは、大脳を覆っている厚さ2~3ミリの
膜のようなもので、シワを広げると新聞紙一面もの大きさになる。そのままでは、脳の中に
おさまりきらないので、適度に折り畳まれているために、シワがよっているという。
したがって、シワが多ければ多いほど、大脳皮質の面積は大きいと言える。
大脳皮質のシワは、ネズミよりネコ、ネコよりサル、サルより人間のほうが多いことは
わかっている。
そのため、「大脳皮質のシワが多いほど知能が高いのでは?」と思われがちだが違う。
なぜなら、地球上でもっとも大脳皮質のシワが多いのは、イルカだといわれており、
実際、人間よりもシワがおおいのだ。
「シワの数=知能の高さ」だとすると、イルカは人間より知能が上だということになってしまう。
イルカは高度な知能をもつ動物として知られているが、人間に及ばないことは明らか。
したがって、脳ミソのシワは知能レベルに比例するとはいえないのだそうだ。
脳の大きさも、同様で、天才の脳が大きいとはかぎらず、天才と凡人の脳はどこが違うのか
これといった特徴は見出されていないとのことだ。
我が家では、夫の食事制限があることは、前にも書いておいたが、記録として、昼と
夜の献立を、ノートに詳しく書き留めている。
しかし、丸一日書き忘れて、翌日、翌々日になって開いて空白であることに
気づくことがまれにある。
そんなとき、自分で食べたものが思い出せないことがしばしばだ。
冷蔵庫をのぞいたり、プラスチック容器包装のゴミを見に行って、手掛かりにしたりして、
思い出すこともあるが、プラ容器包装のゴミがもう集積所に出してしまったあとのことも
あって、そういうときは、本当に、もの忘れのひどさを実感する。
まだ、食事を済ませたかを忘れてないだけ、ましかもしれない。
思い出そうとことあるたびに努力するのも、大事なのだとわかったから、ネットで
調べる前に、すこし昭和に戻って、うーんうーんと、悩んでみることにする。
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