これまで様々な仕事をしてきた。
私は人間関係に弱く、働くことに向いていない。
でも、こどもがいなかったので、結婚しても、いくつもの職場を変わって、働いた。
今は、夫の年金と、60歳から始まった私の少しばかりの年金とで、生活しているので、私は、仕事の苦痛から解放された。
厚生年金には加入できた期間はたいして長くないが、勤め人は20年以上やっていた。
働かないで暮らせる生活は、私にとって、どんなにありがたいことかと、毎日感じている。
労働が嫌いなのではなくて、人との関わりがみっともないほど、苦手なのだ。
仕事はがんばってきたし、仕事の勉強も一生懸命した。
だいたい、退職する頃には、周りの人との人間関係はこじれている。
そうなるのは、子供時代に由来する。
小学校でも、嫌な人とは付き合わなかった。
「小学校が楽しかった」というひとがいるが、うらやましい。
どの学校を卒業するときも、うれしかったし、待ち遠しかった。
卒業すると、せいせいした。
会社を辞める時も、辞めてせいせいした。
だから、働かなくていいのが、こんなにもありがたいものなのだと感謝の日々だ。
このような生活をさせてくれている夫に感謝している。
夫はボランティア精神で、私をうちに置いてくれてるんじゃないかと思う。
それでいて、夫と口げんかしてしまうことがしょっちゅうで、私はどこにいっても、こうなんだな。
最近、ネットで古本を購入し、届くと読んでいる。
送料を無料にするために、数冊を取り集めるのだが、ここ最近は、その中に闘病記を入れることがよくある。
著者がご本人の場合も、ご家族の場合もある。
つんく♂さんの 「だから、生きる」
故 川島なお美さんとご主人の鎧塚俊彦さんの 「カーテンコール」
を読んだ。
つんく♂さんの、声を失っても生きることを選ばれた勇気をたたえたい。
お子様たちにとって、かけがえのないお父様であることを、つんく♂さんは大切にした。
音楽の世界でも、いっそうのご活躍を祈っている。
川島なお美さんの、生きている限り、舞台に立ち続けた気持ちが伝わった。
砂川啓介さんの 「娘になった妻、のぶ代へ」
今は、砂川さんの本を読んでいる。
夫が、大山のぶ代さんはホームに入ったんだよ、と教えてくれた。
脳梗塞の後、認知症になった大山さんは、最近4月に砂川さんのがん治療のため、自宅に大山さんを置いてはおけないので、施設に入ったとネットに出ていた。
砂川さんの本では、お二人にいたお子さんのことや、かわりばんこに病気になったこと、認知症になった大山さんの自宅での介護の厳しさが描かれている。
その本は去年の出版で、その後、状況が変わって、今のようになったようだ。
闘病記を読んでいると、私どももいつか行く道と、身につまされる。
また、亡くなった両親にもっと何かしてあげられなかったか、と、悔やむこともある。
最近は、以前、テレビでのご活躍を見ていた芸能人のかたが、70代、80代でお亡くなりになり、お別れ会がニュース番組で報じられているのをたびたび目にする。
ああ、あの人も、この人も亡くなった。
父よりは長生きしたのだな、とか、比べてしまうこともある。
私自身、いま、60歳だが、夫は今月67歳になる。
あとどのくらい生きられるのだろうか。
苦しい月日が、せめて短くてあってほしいと、わがままにも願ってしまう。
夫が慢性腎臓病になってから、二人で外食することはめったになくなった。
ひとりで行くこともあまりない。
姪たちがこちらにいる時には、つきあってもらって、夫抜きのメンバーで食事を外でしてくることがあるくらいだった。
高校時代や、大学時代の友人や、パート仲間と食事とか集まりに行くこともすっかり減って、面倒になってきたのも加齢のせいかもしれない。
今日は珍しく、街に出ることにして、前日から決めていた。
神奈川県藤沢市の辻堂駅に直結した「テラスモール湘南」というショッピングモールだ。
7月に姪と行った映画館が入っていて、姪が熱心に見ていた 「LOFT」と「H&M」に 今日はひとりで私も行って、店内を見て歩いた。
高校生の姪が LOFTで いくつか買った中に、オーデコロンがあった。
私の家にその包装の箱を置いていったので、それを買ってみようかと思って、その売り場に行ってみた。
その商品には、テスターがなかった。
オーデコロンの棚には いったいどれにしたらいいだろうと、選ぶのに困るくらいの多種類のコロンを置いていた。
「やっぱり石鹸のかおりがいいな」
テスターを腕に吹き付けて、いくつかの中から選んで買った。
オーデコロンと言うよりは、ヘアー&ボディミストとある。
部屋の芳香スプレーや、布用のファブリーズのような類のものは買うが、香水のようなものを自分で買うというのはあまり経験がない。
最近の若いお嬢さんは、こういうものを着けるものなのね、と、独身の若いころでも私は買わなかったなぁ、と思ったが、欲しくなったのだ。
それから、H&Mでは、店内の洋服を見て手に取り、鏡に映してみた。
最近の洋服は、すべてネット通販のベルメゾンで購入していたので、こんなふうに服を選ぶことを楽しむなんてずいぶんなかったな、と思った。
長袖の薄手のジャージー素材のワンピースが手ごろな価格であったので、それにした。
聞いてはいたが、H&Mは、低価格でセンスのいいものを売っている。
服を買うには、電車に乗らないとオシャレなお店は近所にはない。
今日も、バスと私鉄とJRを乗り継いできたのだ。
服を見る、選ぶ、鏡に映す、気に入る、レジに行く、包んでもらう、受け取る、着る日を想像してみる・・・・
なんと刺激的な動詞が並ぶではないか、精神的にすごくいい気がする。
こういうことから、離れていると、どんどん老いていくように思う。
買物が済んだところで、フードコートへ行く。
平日の昼前で、席はガラガラだ。
お店を選んで、中華にした。
レディースセットを注文した。
料理の完成を知らせる無線のベルが鳴り、お料理を受け取って、座りやすそうな椅子のところへ移動して、ひとりで食べた。
ひとりで来たのだから、ひとりで食べるのはあたりまえだ。
そばには、ひとりで来た人がすわった。
美味しかった。
私の留守中に、郵便局の配達が来て、頼んであった古本がダンボール箱で届いたと、夫からメールが来ていた。
その話は後日書くことにする。
昼食が終わって、食品でも買って帰ろうかと思って、トレイを下げにいった。
美味しそうなパン屋さんや、和菓子、ケーキのショウウインドウを覗き込んだが、高いし、見ているだけで、ごちそうさまと言う気分になってきて、結局家に持ち帰る食品は買わなかった。
ドーナツショップで、きなこのドーナツとホットコーヒーでゆったりとして、もう、店を見るのはいいや、と このあとは、帰ることにした。
帰りも、乗継よく12:43の自宅近くの私鉄駅発の循環バスに乗ってはやばやと帰宅した。
自宅に着くと、夫が
「ずいぶん、早かったね」
と驚いていた。
こんなふうに過ごす日があってもいいような気がする、60歳だけど
トイレ掃除と、うちじゅうの掃き掃除をした。
あ~~、達成感
うちじゅう、と言っても、マンションの狭い3LDKで、大した広さでもないので、所要時間は、数10分といったところか。
トイレは、去年の初夏に内装とトイレの便器の装置すべてを新しくした。
人感で、ドアを開けたとき、便器の中に水のスプレイをしてくれるので、汚れにくくなっている。
そのせいで、トイレ掃除の手抜きができて助かっているが、だからといって、掃除しなくていいわけではない。
それで、またこれがたまのトイレ掃除を今回したので、きれいになった。
トイレクイックルの容器の中に残りの枚数が少なくなっていて、乾いてはいないので、使用できたが、
「おかしいな、前に不足に気づいて、トイレクイックルを買っておこうと思ったはずなのに、棚の中にないなあ。メモしておこう φ(・_・”)メモメモ 」
と、メモしたが、隅々までトイレの掃除をして、水洗「大」の流しも3回して、きれいになってから、棚の中の上のほうに、補充用のトイレクイックル2袋入りをみつけた。
「あ、やっぱり、買ってあったんだ」
バルコニーへの出口としているサッシ窓の手前に敷いてあるマットも交換した。
そのあと、部屋じゅう、ほうきで履いてはちりとりにとって、終わったら、すっきり。
汗かいて、冷たい水を飲んで、
「これ、しょっちゅう、やればいいんだよなあ」
自分の周囲は気づくと掃き掃除をするが、全体となると、どうも面倒なのだ。
トイレクイックルの補充買いのことが 記憶にないように、どの日用品も、ドラッグストアで何が不足しているんだか、すっかり忘れているのだ。
安い!と思って買って帰ると、戸棚にいくつも入っていることが多々ある。
それでいて、数日前も、キッチンにキレイキレイの泡用のハンドソープの詰め替え用がもう一袋しかなかった。
リストを作成して書き込もうと計画して、Excelで、一覧にしたものの、続けて記入しないので、補充を促すことに役立たない。
加齢は、あらゆることに不自由さを感じる。
肉体的には、入浴のあとで、毎回しゃがんでお風呂場の壁をタオルで拭いているときなどに、体のバランスを崩して、床に腰を落としてしまうことが多い。
手と腕の皮ふを見ると、ちりめん皺がひらひらとしていて、このまま老いていくんだな、と思うのだ。