暮らしの差し色

慢性腎臓病の夫と二人、静かな生活です

切手収集の結末

2017-05-19 05:31:54 | 日記
私たちの年代の子どもの頃は、みんな切手を集めていた。
特に、誰かに見せびらかすわけでもなく、「わあ、きれい!」というような、見慣れない記念切手などが貼られてくると、封筒の切手の周囲を少し残して切り取り、水に漬けて切手をはがしては、乾いた後に、切手帳に入れて、楽しんでいた。

友人のところでは、切手はピンセットで触っていたりして、大事に扱っていたのを見たことがある。


さて、切手と同じように、新しい紙幣が発行されると、古い方の紙幣をとっておき、記念の硬貨が発行されると、自分の手元にその硬貨が手に入ったときは取っておいた。


そのようなことは、誰でもやっていた。

そして、とくに、コレクターというわけでもなくても、切手やコインは貯まっていった。


  


亡くなった父も、切手を集めていたようだったのと、コインをアルバムに入れていたのを見たことがある。

ところが、父が亡くなって7年後に母も亡くなり、実家の荷物を処分する必要が出てきたときに、父の書棚から、切手帳や、コインアルバムを見つけ出そうとする者はおらず、1軒の家の中のかたづけにかかる労力は並大抵ではなかったので、大事な書類を見つけ出すことなどに注力していて、父のパソコンの中を調べることさえもないほどたいへんだったのだ。

切手、コインに注目などはしなかった。
父の遺品の中から、祖母からのものであろう戦前のお札が出てきても、それを買い取りをしてもらいにいく手間さえ面倒で、ほとんど弟にあげてしまった。


そして、私自身の身の回りの片づけを徐々に始めている今、私にも切手やコインがたまっていることに眼をやると、「そうだ、これを持っていたところで、だれも引き継いだりするひとなど、いないのだ」と気が付いた。

そこで、私の収集した切手帳にあるものは、私自身が買い取り等で、かたづけてしまうのがひとつの終活かと思って、急に思い立ち、電車で数駅のところにある「おたからや」さんに、電話して、切手、コイン、紙幣を持ち込んだ。


店長さんは感じの良い方で、持参したものは、丁寧にすべて目を通してくれて、いろいろと話してくれた。


切手については、縁のある10枚以上の切手をシートとして扱い、それに値がつき、それ以外の切手はバラとなって、額面の40%ほどの買取価格になる。

また、切手は、海外のものは欲しい人がいないので、値はつかない。(私はネットの時代の前に、海外にペンフレンドが何人かいて送ってくれたので、海外の切手をたくさん持っている)

日本の切手は、昭和30年以前のものに値がつくという。

だから、それに該当しなければ、額面でさえも買い取ってはもらえないわけだ。


中国の切手が最近、注目されて高値がつくとネットでも見たが、中国切手で値がつくのは、1960年代から、1970年代、いっても、1981年までだということだった。

というのも、中国は、海外旅行ブーム、爆買いのあとは、不動産に注目され、その後の関心は価値のある切手を収集することに向いてきたらしい。

そうなると、値がつく中国切手というのは、前述の期間の古い切手であるらしい。

私は、中国の切手をたくさん持っていた。

なぜかというと、1988年ころから、中国からの留学生が大挙して日本の大学にやってきた。

大学院で授業を受けるくらいなので、じきに日本語が上手になった中国人のかたたちだったから、近所の留学生会館に中国人の友人ができた。

それで、私が切手を集めていることを知ると、たくさん中国の切手をくれた。

お土産用に持ってきていたのだろう、いっぱいくれたのだ。


そもそも、切手のことでは、切手のコレクションをするひとが、今はあまりいなくなり、昔高値がついたような切手でも今は欲しい人がいないために、値が下がってしまっているのだそうだ。

だから、高くは、買い取ってもらえないというわけだ。


コインについても、100円の東京オリンピックの硬貨が105円になる程度だった。

まして、海外旅行の不要物になってしまった硬貨には、欲しい人はいないという。

私には、当時のスチュワーデスだった友人がいて、彼女は仕事でたくさん海外に行ったが、硬貨は溜まってしまっていらないし、欲しかったらあげる、といって、各国のコインをくれた。

海外旅行にはあまり行かなかった頃の私は珍しくてもらってしまっておいた。

つまり、このような、硬貨は値がつかないのだ。


そうして、お話を伺っていて、私が持参したものは、まずもって、ほとんど買い取りの対象ではないとわかり、手提げとリュックにいれたものを、全部そっくり家に持ち帰ってきたのだ。


おたからやさんの店長さんは、感じよく、もし何かあった時は、ここに相談に来ようと思った。

何も売らないおばあさんを優しく見送ってくれた。

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「食べたい」は限界なので、「着たい」にします

2017-05-15 22:44:32 | ファッション
若いころから、痩せの大食いだったのに、60歳を過ぎてから、たくさん食べられなくなった。

夫のように、食事制限があるわけではないので、外食に行ったら、なんでも食べたいものは食べていいのだが、入らなくなってしまったのだ。

旅先でも名物をあれこれ食べたいのに、あまりお腹に入らない。

先日も、外食した後に歩き回るとみぞおちの右側がしくしく痛くなるので、胃腸科のクリニックの先生が、一度お腹の検査をひととおりしていらっしゃい、と中規模の総合病院に紹介状を書いてくださり、エコー、CT、胃カメラ、MRIと2日間に渡って、検査をしてきた。

検査と言うものは、病人にはしんどいものだ。

さらに病気を増やして帰ってきそうなくらい、からだにダメージをくらった。

注射針は苦手ではないが、造影剤が点滴で体に回って熱くなったり、胃カメラを通すくちばしを咥えさせられただけで、えづいてしまう。

というわけで、胃カメラのときは、鎮静剤が点滴で投与されたので、眠っている間に終わった。

結果が2週間後に出て、胃炎と逆流性食道炎があるだけで、たいして痛みの原因もなかったし、胆石もがん細胞もなかった。


と、検査の話をしようと思ったのではなく、「オシャレもあと何年?」で書いたように、あと10年くらいしかファッションに興味を持ったりしないのかなぁ、と思ってみたりして、でも、芳村真理さんのように、80歳を過ぎてもまだまだ気が若ければ、ファッションにワクワクしたりするのかなぁ、と思ってみたり。

500円のクーポンが届いたことでもあり、ベルメゾンでパジャマを2着発注した。




うち、1着がこれだ。

61歳でこれを着ちゃ、ダメ?


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おじいさんになった昔の恋人

2017-05-13 14:58:17 | 日記
静かなまぼろし♪昔の恋」のページで、facebookに昔の恋人をみつけたことを書いた。

ひと月ほど前に、このfacebookにプロフィール写真が出た。

35年ぶりに見るそのひとは、お孫さんと思われる幼子を抱いて、笑っていた。髪は真っ白だった。




当時はメガネは掛けていない人だったが、メガネをかけている。

若いころは、髪を長めにしていたが、今は普通の髪型のおじいさんだ。

4歳くらいのお孫さんだとすると、適齢期にご結婚されて、順調に家庭を築かれてこられたのだろうとご推察する。

若いころ、職場は京都が赴任地だったが、大きな会社なので、最後はどこに勤務されていたのか、または、京都に根をおろし、京都のかたとご結婚されて永住されたのかもしれない。

ご実家は私が20代のころに、転出されて、更地になっていることに突然気づいた。

大学を卒業するとき、「男はどこに勤務地が決まってもかまわない」と、赴任地が京都であることをなんとも思っていなかった。

都内の大学だったので、首都圏に就職すると周りの人は思っていたのだ。

なにはともあれ、お元気そうな老後を迎えられているのは、なによりである。

35年の月日が経ってしまった。

本当に人生は短いのだと、いま、はっきりとわかる。


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写真を紙に焼くか

2017-05-11 20:54:01 | 日記
結婚以来の思い出のアルバムが本棚の最上段のさらに上に並んでいる。

ケータイやデジカメで写真を撮るようになってからは、紙に焼かないようになった。

まだフィルムのカメラも使っているので、フィルムのストックが残っているあいだはまだ撮影して現像すると思う。

前にも写真のことで、ブログを通してチャットするようになった私よりは少し先輩の女性が言っていたことを書いたことがある。

「写真はパソコンで自分で見て楽しむもの。自分が死んだら、もう誰も必要ではないのだから、捨てられていい。」

「お舅さん、お姑さんが亡くなっても子供たちは誰も写真を欲しがらなかった」と言うのだ。


    


私も、両親が亡くなって、私のうちには、それほど多くのアルバムやはがした写真を持ってこなかった。

欲しいものは選んで持ち帰ったが、父の軍隊の写真は、埼玉県の平和資料館に寄贈して、手元にはほとんどない。

このパソコンの椅子から本棚を見上げると、たくさんのアルバムが目に入るが、自分がもう見られないような状態になったときは、誰にも必要にないものになるわけか・・・と思う。

写真に限らず、服でも、本でも、家具でも、自分が使わなければ、それはもうゴミなのだ。

そう思うと、処分して回りたい欲求にかられる。
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お墓参りの後に行くのは

2017-05-05 19:31:47 | グルメ

去年の秋のお彼岸も、今年の春のお彼岸も、母のお墓参りに行かなかった。

GWの中の今日、ひとりで行ってきた。

小田急線の湘南台からバスで少し乗れば行けるところにある。

本数が少ないので、時間を合わせて行っている。

お墓参りのあとは、湘南台のインプルーブというお店で、パングラタンを食べるのを楽しみにしている。

前にもブログでご紹介した

お店は、以前あった小さなお店から転居して、大勢入れるようになった。

調べてから行ったので、新しい店はすぐにわかった。

前より、お客さんが少なくなった気がする。

それに、ランチのセットに小さなデザートがついていたのが、なくなった。

デザートは別にオススメのメニューが置かれていて、手作りではあるようだけれど、しっかり1人分来てしまうから、たくさん食べられなくなった61歳の私には無理だ。

ランチのセットには、ソフトドリンクと、ミニサラダがついている。

パングラタンは、いつものようにおいしいのだが、おなかいっぱいになって、最後は苦しくなってしまった。

でも、友達を連れてきても十分オススメできるお店だ。



   
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