1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 毎年、この時期を迎える度に「今ここに、命があるに、何不足」の言葉が脳裏に。

2024-12-29 19:19:56 | 法話

【臨時法話】    大晦日の法話。


今日12月31日は、大晦日。1月1日の『初日の出』には、多くの人が海や山に出かけ、1年の幸せ(安泰)を願って手を合わせるが、12月31日の『1年納めの日の入り』に「今年1年間、あなた(太陽)が昇ってくれたお陰で、今年も無事、命を繋ぐ(保つ)事が出来ました」と、西の空(沈んでいく太陽)に向かって、手を合わせ、頭を下げ、感謝する人が、どれほどにおられるだろうか。


拙僧は、今年1年の安泰を願う初詣でよりも、今年1年間の御礼報謝として毎年、年の暮れには、太宰府天満宮や、方々の神社、仏閣(特に、高野山)へ参詣に。さて、太宰府天満宮といえば、菅原道真公ですが、当時の人達が「左遷先(太宰府)で哀しく命を終わらせた恨みから、京都に数々の災い(疫病、落雷、天変地異)を齎(もたら)した」との風評を。ほんまかいな。その道真公の恨みの御霊(みたま)を鎮める為に建立されたが、北野天満宮との事。その数々の災いが、道真公が京都在住時に住んでいた桑原地区(御所南側の丸田町通り路上)だけ、難を逃れる事が出来たという事で、今でも雷が鳴れば『おお、くわばら、くわばら』と呪(まじな)いの言葉を発し、難逃れを願う人達が。思えば、人間の都合で、日本三大怨霊(菅原道真公、平将門公、崇徳上皇)にされたり、神(特に受験合格の為の学業の神)様にされたりと、ほんと、道真公も忙しいこって。


さて、神社のお参りは、通常は『2礼2拍手1礼』ですが、一般神社より位が高い、宇佐神宮、明治神宮、出雲大社などでは『2礼4拍手1礼』で、それよりも尚、位が高い伊勢神宮では『2礼8拍手1礼』でのお詣りを。拍手(かしわで)する時は『神さん、来たよ』と知らせる為に、大きな音を立てて手を打つ事が大事。お賽銭も字で表されている様に、お札ではなく小銭を。これもまた、参詣に来た事を神さんに知らせる為、大きな音を立てて小銭を賽銭箱に。ところが、現在、銀行では、枚数によって小銭は手数料が掛かるから、出来ればお札を入れてもらえれば、神社さんも助かるのでは、とお寺の坊主(拙僧)が勝手に心配して、いらん事を言っております。まあ、何せ、お札を入れる時には「ジャラ、ジャラ」と声を出し、奥で控えてござる神さんに、来ている事をアピールしましょうね。


余談ですが、正月の三ヶ日は、お盆(盂蘭盆)の三ヶ日と同義にて。正月様(歳徳神、その家の先祖の集合霊)が帰って来られますので、家族みんなで、心からのおもてなしを。野菜を細かく切って、仏壇にお供えし、年が明けたらそれを下ろして、ごった煮にし、餅をぶち込んだが、お雑煮にて。こうした神仏、ご先祖に捧げたお供物を得る(戴く)事により、心身を清めさせてもらうを、直会(なおらい)と言います。因みに、お雑煮を食べる雑煮箸(柳の木で作られるから、柳箸)の両端が細くなっているは、片方は自分が食べる為ですが、もう片方は取り箸に使うではなく、ご先祖さんが食べる為のもの。また、おせち料理は本来、正月三ヶ日の保存食として作り置かれるもので、大晦日までバタバタと忙しく働いてくれたお母さんを、正月三ヶ日くらいは、ゆっくり休ませてあげよう、から始まったもの。さあ、年が明けましたら、労る心から1年を出発(船出)し、人間が最も幸せを感じる家庭円満を、皆(家族全員)で築いていきましょうね。


さあ、令和6年も今日1日で、いよいよ終わりとなりますが、わが寺は12月(師走)になると、納骨堂で眠るご先祖さん達に、1年間の御礼報謝といって、挨拶に来られる檀家さんが数多に。昨日も、大阪から親子の3人連れが納骨堂参りに。何年振りかで会った男の子が、30センチ以上身長が伸びていて、この子(現在、中3)に拙僧「頭から何を振り掛けたら、そんなにデカくなるんだ」と問うと「親の愛情、ですかね」と、粋な返しをしてきおった。さて、今年も、拙僧の拙(つたな)い法話にお付き合い下さいまして、本当に有難うございました。来年もどうぞ、お付き合いのほど、宜しくお願い申し上げます。それでは、読者の皆様、良いお年をお迎えくださいませ。


【付録】

拙僧はこれまでに、法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。


金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808

金剛寺ツイッター  :https://twitter.com/kongouji093

金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/

                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?


次回の投稿法話は、明日の1月1日になります。添付写真はお寺から眺めた、北九州洞海湾の夕暮れと、2日前の太宰府天満宮です。今年も無事にこの日(大晦日)を迎えられて「今、ここに、命があるに、何不足」ですね。拙僧個人的には、師走27日にギャン豆(孫、男子)が誕生を。少し賑やかな新年になりそうです。







【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 街中で手を繋いで歩いている仲睦まじいご夫婦(特に老夫婦)に出会うと、心が癒されますよね。

2024-12-26 10:30:13 | 法話

【臨時法話】      天から貰った最高のプレゼントは、わが女房殿にて。


わが寺には、檀家さんに大変仲の良いご夫婦がいて、このご夫婦は、典型的な蚤(ノミ)の夫婦(旦那が小さく、奥さんが大きい)でして。ある時、旦那さんが「住職さん、家内が水虫になりまして。あの様に太っている為、お腹が出ているもんだから、自分で足の指に薬を塗る事が出来ず、私が塗ってあげる事になったんですが、ご存知の通り、私は筋金入りの潔癖症でしょ。顔には出しませんが、申し訳ないのですが、心の中では拒否反応をしながら薬を。私の手に水虫が感染しないかと心配で」と。


対し、この旦那さんに「拙僧も以前、家内が水虫らしきものになった時、素手(指)で塗ってあげてたよ。その時、家内が『パパ(拙僧)の指に感染しないかしら』と心配そうに。対し『塗ってる薬は、水虫の薬だろ。という事は、手の指に水虫の薬が付いてる訳でしょ。もしそれで感染したら、その薬、効き目がないという事でしょ』と笑いながら言うと、家内が『まあ、理屈はそうだけど』と。まあ、そんな事が。ねえ、旦那さん、あなたがどうしても気になるなら、綿棒を使えばいいじゃん。本来なら、その方が間違いなく衛生的な処置だと思うから」「そうですか、んんっ、綿棒ですか。何か、非常に複雑な気持ちなんですが」「塗ってあげるは、愛する奥さんだもんね」と拙僧、この旦那さんに。


最後に拙僧、この旦那さんに「あなたの潔癖症は、今日までに身に付いた情報による潔癖症でしょ。新たな情報が入る度に、どんどんエスカレートしていくだけだよ。もうこれ以上、潔癖が増していく様な情報(ピコピコスマホ)を、頭に入れるのは控えた方がいいかもね。人間は細菌と共存して生きてるんだから、ある程度は折り合わなきゃ。抗菌剤を使い過ぎたら、耐性菌を殺してしまい、悪い菌が増殖して、かえって身体(環境)に悪いがな。外国の事例で、天敵の狼を排除したが為に、鹿に森林を荒らされ、洪水になった事例や、鹿が増え過ぎ、食べる草がなくなって、大半が餓死した事例とか。また、自然環境を人間が、自分達の都合の良い様に変えた事で、天敵である大型の鳥がいなくなり、街中でスズメバチが繁殖し、人が襲われるという流れも。そりゃ、必要な時は、殺菌剤も抗菌剤も使わにゃならんが、いき過ぎた使い方は、自然界の歯車を狂わせ、その中で生きている人間にも、悪影響を及ぼし兼ねない。いき過ぎは、少し考えようね」と拙僧、この旦那に。


【付録】

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次回の投稿法話は、12月31日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 子(わが子、弟子、部下、生徒など)育て(しつけ)は、する物ではない。子育ては、見せるものにて。

2024-12-23 12:10:05 | 法話

【12月25日投稿分】


読者の若者が「番組『アメトーク』で、さんまさんが『現状維持が最も難しい』と言ってたんですよね。が、現状維持(現在の流行も)は、今が頂点。後は、落ちていくだけ、と思うんですが」と。対し、拙僧「例えば、だよ。後から入る人の為に、風呂のお湯をずっと40度に保たせるには、追い焚き機能を常に発動させておかにゃならんだろ」「ああ、なるほど、そういう事ですか」「そういう事かな。その番組、拙僧も見たよ。さんまさんが言ってたでしょ。『現状維持を続けていく為には、果敢に挑戦していかなきゃ、現状維持を保つ事は出来ないもんね』と。人間は徐々に歳も取っていくし、時代も変わっていくし、現状を維持するというは、そう簡単なものではないと思うよ」と。


対し、この若者が「さんまさんといえば、60歳で引退すると、明言されていたでしょ。だけど、爆笑問題の太田さんが『いやいや、続けて下さい。このままやめられたら、カッコ良過ぎて、我々は困るんです。我々にさんまさんが、朽ち落ちていく姿を見せて下さい』と。そう言われたから、さんまさんは『引退するをやめた』と。納得されたらさんまさんは、切り替えるのも早い。だから、68歳まで変わらず続けられているんでしょうね」と。対し、拙僧「ボクシングのチャンピオンと同じだよね。今日まで倒してきた人達に対し、倒されて去っていくが、チャンピオンの使命(礼儀)と。具志堅用高さんがある番組で『試合前のルーティンだったアイスクリームを食べなかったから、最後の試合は負けた』と言われていたが、本音は『最後の試合は怖くて、リングに上がりたくなかった。それでも、倒されて去っていくが、倒してきた人達への礼儀』と、決めておられたんだろうね」と。


続けて、この若者が「そういえば、元『雨上がり決死隊』の宮迫さんが、さんまさんに『引退する日の収録の最期は、粉になって消えて下さい』と言われたらしいですね。それでさんまさんは、テレビ局側に『俺の最期は、C Gで粉にして消してくれ、と頼んである』と言われたとか。漫画『明日のジョー』の最期も、白くなって終わったですもんね。燃え尽きて終わっていく人生って、そんな人生を歩みたいですよね。そういえば、さんまさんが『俺は、スピードが命。スピードがなくなったと感じたら、引退かな』と言われてたよな」と。


更に、この若者が「さんまさんの衣装がいつも地味なのは、話(トーク)が散らない様にする為と。人物描写をするが仕事だから、控えめの衣装を選択すると。それと、さんまさんのエピソードで印象的な話は、面白い事が起きたり、思いついた事は文字にせず、全て頭の中のノートに書き留めていると。若手芸人の『忘れたらどうするんですか』の問い掛けに『そんなに面白くないから忘れるんや。喋る面白さと、文章の面白さは、全く違う』と言われていました」「拙僧の知人高僧も、見たもの、聞いたものは、書き留めず、一旦全て忘れろ。思い出せたものだけが本物、と言われたよ」と。


続けて拙僧「講演会に行くと偶に『住職は、講演会では原稿を書いて臨まれるんですか』と聞かれる事があるんだが、今日までに200以上の講演に招かれたけど、1度も原稿を書いた事がない。今日の参加者は、男性が多いな、女性が多いな、老人が多いな、子供が多いな、で、話す内容は自ずと違ってくるもんね。また、60分の約束で依頼されたのに『まだ話せ、まだ聞かせて』とせっつかれて、4時間以上話した事も何度かあった。原稿なんて書いていっても、何の意味もなさない。さんまさんが言われる様に、原稿と喋りは全くの別物だよ。原稿だと炎上するだろう内容も、しゃべくりでは皆、文句言わずに興味津々で聞いてくれる。もう大概、コンプライアンス問題は、やめてしまった方がいいかな。この頃は、過剰になり過ぎだわ。ドロドロした人間臭い話の方が面白いし、教訓に出来る事も絶対に多い。人間はそれほど綺麗なものではないもんね」と。


対し、この若者が「なるほどですね。若手芸人さんがさんまさんに『話(回し)が詰まる事って、ないんですか』の問い掛けに『ない。お菓子をいっぱい持って行っているから』と。このお菓子というが、予備の知識なんでしょ」と。「そうだよ。話がどこに飛んでも、講演参加者から突然、とんでもない質問を受けても、切り返せる話(ネタ)をなんぼでも持って拙僧も、講演会に臨んでるよ。それにしても、さんまさんを含む、お笑い芸人の人達は凄いよね。勉強が出来るという事と、頭がいい(キレ)という事は、根本的に違う。彼ら(お笑い芸人さん達)は機転を含め、本当に頭がいいと思う。拙僧は録画してまでお笑い番組を見てる。彼らの話し方、間の取り方を勉強させてもらう為に。人を怒らせるは簡単だが、人を笑わせ続けるって、難しいよ。如何に素晴らしい法話をしても、聞き手を飽きさせたり、眠気を誘ったりしたら、坊主の負け、だもんね」と。


【付録】

拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。




約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を、下記で読む事が出来ます。

金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808

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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、1月1日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 信仰は特別な物じゃない。特別な物にしている者がいるだけ。

2024-12-21 21:37:53 | 法話

【臨時法話】


この仕事(住職)をしておりますと、時折「信仰とは、何ですか」と問われる事があります。一昨日も50代の知人女性から「最近、信仰について興味を持つ様になって。だけど、信仰に対する怖さも、拭(ぬぐ)えなくて」と。対し、拙僧「例えば、ですよ。鶯(うぐいす)が鳴かずとも、虫の動き、開花、陽気などで、春の訪れは容易に悟る事が出来るでしょ。が、そこに鶯が一声「ホーホケキョ」と鳴いてくれたら、その春に彩を添えてくれますよね。信仰とは、この鶯の鳴き声(彩り)の様なものかな。別に、無くてもいいが、あればそれなりに、心の癒しになったり、時には勇気を与えてくれたり、と。ただ、皆、勘違いしているのが、先祖の供養と信仰とは、根本的に違うという事。信仰とは、私達の法話などを聞いて『そんな考え方もあるんだな。そんな視点の向け方もあるんだな』と人生の参考にするもの。が、決して鵜呑みにしてはいけない。常に疑問を持って事に当たれば、洗脳される事もなくなるだろうし、道を大きく逸れる事も避けられる、と思うよ」と。


続けて拙僧、この50代女性に「常識的に考えて『これは、おかしい』と疑問に思う事は、やっぱりおかしい、と思った方がいい。一旦、その場に立ち止まって、じっくりと考えてみる必要がある。その時は、1人で悩まず、親でも、友人でも、誰でもいいから、聞く耳を持って、人に相談してみる事も大事かな。それと信仰において、最も気を付けなきゃならんは『功徳を積まにゃ、病気になるぞ、死ぬぞ、災難に遭うぞ』などの脅し信仰の類い。脅し信仰による『功徳を積め』とは、本来の『功徳』とは質が異なり、つまりは『金を出せ』という事。キリストさん、お釈尊さん、達磨さん、最澄さん、空海さん、法然さん、親鸞さんなどの祖師が『脅して人を導いた』なんて話、聞いた事がない。信仰は特別な物じゃないですばい。特別な物にしている者がいるだけで」と。


更に続けて、拙僧「それと、再度言いますが、勘違いしてはならないが、先祖の供養は信仰とは違う、という事。命を流してくれた人達に、感謝の心を向けるは、当たり前の事にて。この当たり前の事が出来てない人間、つまり、親や先祖など、当然感謝せにゃならんものを、感謝出来ない人間を、信用してくれる人など。結構にこれを、その人が信用出来る人間か、信用出来ない人間か、の基準にしてはる人は多いですよ。『いつしか私もこの人に、裏切られるのではないか』と不信感を抱かれて、最後は孤立する事に。そりゃ、中には、感謝の対象にならない親もいるでしょうが、代々命を繋いでくれた先祖までも、同じ様に毛嫌いするはやめた方がいいかな。まあ、取っ掛かりは、こんなもんかな、信仰をするに当たって、気をつける事は。信仰で人生を狂わした人は、山ほどいる。自分の身を守るは、自分だから、ね」と。「わかりました。だけど、住職、信仰のプロがそんな事を言って大丈夫なんですか」と。「信仰の世界に身を置いているからこそ、奥の奥までわかるんだだよ。『名医を教えてもらいたければ、医者仲間に聞け。名匠を教えてもらいたければ、大工仲間に聞け』という言葉があるよ」と、この50代知人女性に。


【付録】

拙僧はこれまでに、法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。

金剛寺ブログ    :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808

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                   拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」

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次回の投稿法話は、明日の12月25日になります。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 夫婦位牌(めおといはい)と夫婦骨壷(めおとこつつぼ)の話。粉砕機が出来たお陰で、遺骨が粉状に。夫婦一緒に1つの骨壷に。

2024-12-19 16:48:49 | 法話

【12月20日投稿分】  


昨日、檀家の家へ、今年納めの仏壇参りに伺うと、夫婦位牌(めおといはい)と夫婦骨壷(粉砕機で粉にして、夫婦一緒に1つの骨壷に)の話になりました。昨今は、この夫婦位牌と夫婦壺、これを望まれるご主人達が、ちらほらと出てきましたね。拙僧の法話の影響かいな。ところが、この話になると、どの家庭においても奥さんが「どうして死んでまで、こん人と一緒におらにゃならんの。真っ平ごめん被るわ」と。まあ、本心かどうかは別にして、一応、拒否反応をされます。いやはや、ご主人さん達、今日までにいったい何を、仕出かしてきたんでしょうな。まだ、取り返しの効きそうなご主人さん達は、急いで挽回をしなきゃ、残された時間は、結構に短かかですばい。


さて、そんなこんなで、この話が盛り上がっていた時、この家の40代奥さんが「住職さん、1つお願いがあるのですが」と切り出してきた。対し「何ですかいな」と拙僧。「別に、主人が嫌いだとか、主人の家の納骨場所に入りたくないとか、そういう訳じゃないのですが、もし、もしですよ、私の方が主人よりも先に旅立った時には、少しの間でいいですから、実家の父と母が眠る、実家の納骨場所に入れてもらうっていう、わがままは可能ですか」と。対し、拙僧「それは、勿論、可能だよ」と答えた後、ご主人の方に目を向けると「この人(家内)は、前からそれを望んでいて。まあ、どっちが先に逝くかはわかりませんけどね。仮に、私が先に逝ったとしても、その望みは叶えてあげたいかな、と。ただ、その時は期限を決めて、私の方(嫁ぎ先の納骨場所)に帰ってきてもらいたいですが。同じ屋根(納骨堂)の下とはいえ、住む部屋が違ったら、寂しいですもんね」と。対し拙僧「了解しました。ご主人が先に旅立たれた場合は、そうしましょうね。奥さんが先に立たれた場合は、少しの間とは言わず、ご主人が後から追ってくるまで、実家の納骨場所に父上と母上と共に、親子水入らずで居ればよか。そうしてあげましょうね」と。


続けて、拙僧「この件、了解しました、とは言いましたが、年齢的に拙僧の方があなた達夫婦より、10歳以上も年上だから『よし、心得た、任せい』と、責任を持って胸を叩く事が出来ないので、その事を後継する息子達に言っておきますよ。その息子達が万が一、その事を忘れていたらいかんので、君らの家の過去帳に、その旨の事を書き記しておくからね。人が亡くなれば、戒名を記す為に必ず、過去帳を開くから、決して忘れる事はないですから。過去帳ってね、その家の人が他界された時の重要事が、書き記してあるから、結構に面白いんだよ。所謂、過去帳は『〇〇家メモ帳』というところかな。その家の資料にもなるんだ。ところでね、奥さん、あなたのその要望ってね、あなただけが言ってきた訳じゃないんだよ。偶に頼まれる事がある。あの世に逝ったからとて、親子だもんね。そりゃ、遺骨になっても甘えたいだろうし、親元というは、落ち着けるわな」と。


最後に拙僧「生まれ里と嫁ぎ先が、同じ納骨堂でよかったね」と言うと、ご主人が思い出したかの様に拙僧に「あっ、住職、1つ大事な事を言い忘れてました。私が先でも、家内が先でも、2人共が旅立った時点で、2人の遺骨を一緒に粉砕機に掛けて粉にし、1つの骨壷に納めていただけませんか。以前、住職の法話でこの話を聞いた時『これだ。これしかない』と、その時点で決めておりましたので」と。対し拙僧「うんうん、いいよ、了解しました。過去帳にその旨の事も、一緒に書き添えておきますね。だけど、あなた達はまだ、40代なのに、この話はちいと、早うございませんかいな」「何言ってんですか。住職は法話の中で度々『明日の命を約束されている人間は、誰1人もいない。自分だけは死なんと思うとりゃせんか』と言ってるじゃないですか」「おっ、おっ、そうじゃった」と。


【余談】

先日、ある50代読者の男性から、拙僧にこの様な問い掛けが。「わが家の菩提寺(代々の先祖を供養、葬式をしてくれる寺院)の他に父(80代)は、長年お世話になった他宗のお寺がありまして。その寺院のご住職に父は『戒名を付けてもらいたい。菩提寺は〇〇宗だけど、どうしても〇〇宗の〇〇上人さんとのご縁を結んで、この世を去りたい』という思いを。これって、何か問題がありそうなんですが、どうですかね、住職(拙僧)さん」と。


対し、拙僧「他宗寺院のご住職に授けてもらった戒名でも、快く受け入れてくれるご住職(菩提寺)も中にはおられますが、大抵は難しいでしょうな。各々の寺院には、各々の規定(使用する漢字、料金)というものがございますからね。お父上が『どうしても』と言い張るのなら、菩提寺では、菩提寺のご住職に授けてもらった戒名で供養していただいて、そのお世話になった他宗寺院においては、その寺院のご住職に戒名を授けてもらい、その戒名で永代に供養して貰えば、それでよか」と。対し、その息子さんが「戒名が2つあるっていうのは、いいのですか」と。「歴史の中では、複数の戒名持ちは、結構におられるんだよ。その寺院、その寺院、とのご縁が、個人的にある人がおられるからね」と。


この拙僧の進言に対し、50代息子さんが「そうですか。じゃ、もう1つ。その場合、これからの子孫は、どの寺院を重視(授かった戒名)すればいいのですか」と。「そりゃ、当然、菩提寺です。他宗寺院はあくまでも、その他宗寺院と故人本人との関係(ご縁)だけの事ですので。その縁あった他宗寺院で未来永劫、供養をしてもらいたいという、故人本人の思いを子孫が受け入れた、というだけの話です」「なるほど、よくわかりました」と。


【付録】

拙僧はこれまでに、約10年間でSNSに3000話の長短法話、また、法話の本を3冊、世に出させて頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで。尚、檀家は千葉県にも)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳です。父親の他界年齢を基準にすれば、あと僅かに10年。これより先の残された時間は、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。


下記で拙僧の過去の法話を読む事が出来ます。興味がございましたら、是非。


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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。


次回の投稿法話は、12月25日になります。添付写真は、わが寺の納骨堂と永代堂。