1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 人間関係も、就職先も、病気(コロナなど)も、事故も、災害も、縁は全て『出会うは、運命。出会ってからは、努力。最後には、感謝』かな。

2023-02-04 10:15:03 | 法話
脳梗塞を患われておられる読者男性から「私と同じ病いであっても、前向きに生きておられる人の話がありましたら、法話投稿して頂けませんか」の依頼がありましたので、身近なところで、拙僧の祖母の話をさせて頂こうと思います。

両親の不仲、離婚で、拙僧が3歳の頃から、親代わりとして育ててくれた祖母ですが、第二次世界大戦中に満州で、親方として土建業を営んでいた祖父(祖母の夫)を支えながら、5人の子供(拙僧父は大連中学在学)を育成。日本に戻ってからは、祖父が起業した会社、父が縁あって後継したお寺(現在拙僧が住職)、を陰ながら支え、その結果、体を酷使し、60歳の時、冷蔵庫の前で突然に倒れ、左半身付随に。当時、拙僧は10歳。その祖母が倒れる1週間前、何故だか急に思い立ち、拙僧「婆ちゃんがいつまでも元気でいられる様に僕、千羽鶴を折るわ」と、新聞の広告紙を切って、5日間で千羽を折り上げたが、出来上がった2日後に、祖母は脳内出血で入院を。1年1ヶ月の入院を経て、退院する時に、病院の副院長が「婆ちゃんの左半身はもう2度と動く事はないよ」と拙僧に。

ところが祖母は、退院した次の日から毎日、体の動く右半身を使い、本堂内1周1時間半、這ってお百度参りを始めた。それから1年後、祖母は足を引き摺りながらでも、立って歩ける様になり、0だった握力も、5まで回復を。その復活に対し、檀家さん達が「さすが、お寺(住職)のお母さん。仏様の功徳を戴けますよね」と。その言葉に、当時11歳だった拙僧は、ムカっときて、心の中で「仏様の功徳はない、とまでは言わんが、誰も参拝しない夜に、それも毎日、動く右半身を傷だらけにしながら、不平不満は一切口に出さず、小さな声で『有難うございます。ご勿体のうございます』と這って、お百度参りしていた婆ちゃんの姿を、あなた達は見てないだろ。『どうせ、死ぬまで動かないんだ、この体は』と不貞腐れて寝たままだったら、こんな奇跡みたいな事は起こってない。奇跡は起こるもんじゃない、奇跡は自らで起こすもんだ」と悔しい思いを抱いたを、今でも覚えておりますね。

その祖母ですが、体が不自由になってからも、約20年間、お寺の裏方(法要の時の弁当作り)や境内の掃除を、他界する82歳までずっとやり続けました。その祖母が度々拙僧に「人間、死ぬまでは、生きとかにゃならん。この世での用事がなくなったら、あの世へと旅立つ。されば、どう生きるかが、大事だよ。自分で自分の足を止めない限り、この足が止まる事はないよ」と。拙僧は、この祖母の姿を見て育ちました。まさに、躾(しつけ)はするものじゃない。躾は見せるもの、ですね。因みに、祖母の口癖が「文句言い、講釈言いは、動かんと相場が決まっとる。動く人間は、文句や講釈など、言わずにまず動く。前向きな意見を持たない、ただの文句や講釈は、雑音でしかない」でしたね。どの分野(政界、財界、教育界、宗教界など)にも、当てはまる言葉ですよね。
投稿写真は、我が寺の本堂です。

次回の投稿法話は、2月10日です。