【12月25日投稿分】
わが寺の檀家さんではないが、年に数回「仏壇参りに来い」と連絡してくる婆様(現在90歳)がいる。その婆様にこの度、半年振りに呼び出され、仏壇参りに伺うと、拙僧は1度も面識がなかったご主人(行年94歳)が他界されていた。家に伺うと即、婆様が「住職よ、こん奴(ご主人の事)は、成仏出来とんのじゃろうか」と。「なんよ、いきなり」「こん奴は、わしを70年も苦しめてきたんじゃ。電球1つ変えん。風呂1つ洗わん。働いたお金は家に入れん。生活費は全て、わしの内職で補ってきたんじゃ。自分だけ刺身(高級魚)を買うて来て、自分だけで食って、子供にもやらん。夜中に会社の若いのを何人も連れて来て、わしに飯を用意させ、泊まらせて、朝飯まで。そんな事が度々じゃ。『人間的に申し分ない』からと、親の持って来た縁談で、結婚式当日に初めて顔を合わせた結婚だったんじゃが、結婚した途端に、本性を剥き出しにしてきおった。こん奴が地獄に堕ちんで、誰が堕ちるんや。地獄に堕ちとるはずや。どうや、住職。成仏なんかしてなかろうが」と。
対し、拙僧「なんな、地獄に堕ちとるを望んどるんかいな、婆様は。婆様の若い時代は、家父長制度の申し子みたいな身勝手長男は、あっちこっちに存在しとったと。床の間の中に飾られて、大事に大事に育てられりゃ、そりゃ、そうなるわな。だけんどくさ、そのご主人がいたからこそ、可愛い子供や孫にも恵まれたんじゃろ。その孫夫婦がこの度、一緒に住んでくれると言ってくれてるんでしょ。ご主人さんも、それなりのものを婆様に残してくれてはるがな。文句言う割には、ほれ、仏壇横の鴨居にご主人の写真を飾っとるじゃないの」と。「これかい。そうたい、こん奴たい」と指差して「子供達が飾れ、と言うんで仕方なくそうしとるだけたい」「その子供達は、どう言ってんの」「子供らは『お母さんが散々苦労してきたは、私達(俺達)が十分に知ってるから、もうその辺で勘弁してやんないや、親父さんを』と言っとる」と。
この婆様が「ところで住職よ、今年、あん奴(ご主人)が死んだから、門松、しめ縄、鏡餅は、供えたらあかんのじゃろ」と。「誰がそんな事を言ったの」「あっちこっちと信仰をかじっちょる知り合いが、そう言いおった」「じゃ、まず、基本的な話からしようかね。正月とは、正月様(歳徳神)をお迎えするもの。この正月様とは、その家のご先祖の集合霊のこと。その集合霊の中に、ご主人は今年、新人として先祖の仲間入りをしんさった。また、正月三ヶ日は、お盆の三ヶ日と同じ意味にて。ご先祖さん達に『あなた達の里はここだよ』と知らせる『門松』も、ご先祖さん達に『子孫の心を引き締めて下さい』と頼む『しめ縄』も、ご先祖さん達に『一緒に雑煮を食べましょう』と直会(なおらえ)に使う『鏡餅』も、先祖を出迎える為のお供物。何の出迎え用意もせず先祖を迎え入れたら、古参の先祖達が新人のご主人に『お前(亡きご主人)のせいで、わしら(古参の先祖達)まで寂しい正月を迎えにゃならん。それでなくても、子孫はハワイやら、何やらに出かけ、里帰りしても誰もおらず、寂しい正月を迎える事が多くなったのに、お供えまでなくなったら、虚しくなるばかりじゃ。お前は里帰りせず、浄土におっとけ』と、のけ者にされるで。そんな事になったら、憎っくきご主人さんでも可哀想でしょ」「あん奴の居る場所は、浄土じゃなくて、地獄じゃ」「まあ、どこでもいいがな。可哀想に変わりはないがな」と。
すると婆様が「だけどよ、住職。この辺の地域では、不幸があった家が門松、しめ縄をやってたら『見てんない、あの家を。家族の者が亡くなっているのに、祝いの門松を立てとるぞ』と陰口を叩く者が多いんじゃ」と。「知識がない者の言う事なんか、ほっときない。まあ、それでも『その人達に悪口を言わせるが忍びない』と思うなら、門松、しめ縄はやめて、家の中のお供物だけにしたらよか。何もしないは、ご先祖さん達があまりにも可哀想やで。因みにな、婆様よ。友引の日の葬式は避けるという風習も同じ事。そんな事、仏教界では何も言っとらん。悪霊や先祖の祟りが大好きな国民だもんね、日本人は。友引の日に千人葬式したら、誰か千人連れて逝かれるんかい。そんな馬鹿な話があろうかいな。死んだ途端に故人を化け物扱いは、あかんで。生きていた時と、同じ様に付き合ってやらんと。『会葬者の中に友引葬儀を嫌う人達がいるので、その人達に申し訳ないから』で、その友引の日を外すというは、ありとは思うが。他にも『お墓に行くから、塩をくれ』とお寺に言って来る者も。理由を尋ねると『取り憑かれると嫌だから』と。対し、拙僧『まもなくあんたも、あの中(お墓)に入るんや、塩を撒かれて『こっちに来んな』と言われたら、悲しくないかい。自分がされて嫌な事はすんな』とその人達に」と。
更に拙僧、婆様に「だいたいくさ、人の死を『不幸』って、なんだい。人の寿命には、祝いに使う『寿(ことぶき)』という字が使われてまんがな。葬式は基本、御礼報謝の法要だよ。この世の役目を務め上げた人に「ご苦労様でした。お世話になりました。後は、私達におまかせを」と故人の旅立ちを労う『人間の卒業式』ばい。『死』というものを勝手に、忌み嫌う対象にしたらあかんで」「そやな、意見、ごもっともばい」「おっ、やっと、ご主人を許す気になった様やな」「それとこれとは、話は別や。が、供養だけはしてやろうかいの」と。
因みに、野菜を細かく切って、お供えし、年が明けたら、それを下ろして、ごった煮にして、餅をぶち込んだが、お雑煮。その時に使う箸が、両端が細くなってる柳箸(柳の木で作った雑煮箸、投稿写真がそれ)、片方は私達が使う側、もう片方は取り箸用ではなく、先祖さんが使う側。
次回の投稿法話は、12月30日になります。