1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 今日は、今年最後の投稿法話となります。拙い法話にお付き合い下さいまして、本当に有難うございました。

2023-12-26 20:09:37 | 法話



【12月30日投稿分】


今日(約10年間)までに、SNS に投稿の法話は、約3000話程に。以下のもの(投稿 1、2、3、・ ・)は以前、X(元Twitter)のみに投稿させてもらった法話です。


【投稿1】


ある子供(小学生)の作文。「爺ちゃん、婆ちゃんの注意を無視する父さんが『親に逆らうな』と僕に言う。母さんに酷い事をする父さんが『人には優しくしろ』と言う。時間に煩い父さんが、時間にルーズ。お金遣いが荒い父さんが『小遣いは計画的に使え』と。『尊敬される人間になれ』と言う父。あなたはいつそんな人間になるんですか」と。【ある雑誌参照】


小学生男子がダンボールで、夏休みの宿題で自由作品を作っていると、両親が「それ、何」と尋ねると「パパとママが、爺ちゃん、婆ちゃんになった時、廊下でご飯を食べる時のテーブルだよ」と。その言葉に、両親が絶句。今現在、老いた爺ちゃんに『汚いから』とその様な仕打ちを。子供は、親のする通りに動く、親を見て子供は育つもの。【ある雑誌参照】


【投稿2】


拙僧の娘が「私の息子(生後1ヶ月)も、お父さんと一緒で、両手がマス掛け線なんだ。この手相って、運勢がいいんでしょ」と。「イチローさんや木村拓哉さん、さんまさんも、この手相かな。が、手相がマス掛け線だから、成功した訳ではなく、頑張って成功した人が、偶々この手相だった、という事かな。頑張れる子に育てなさい」と。


V9時代に、巨人監督の川上哲治さんが、遊撃手の河埜選手が打撃で悩んでると「打つ方は長嶋や王に任せろ。お前は守備を極めろ。ヒット性の当たりを1本止めたら、お前がヒット1本打ったに同じだ」と。これで心が晴れた、と当時、河埜選手が。人(部下)の得意、不得意を見極めれる上司の元で働ける人達は、ほんと、幸せ者ですよね。


投稿3】

読者が「昨今、電話不要論を唱える人達がいるでしょ。住職はどう思うよ」と。「その人達には、電話での会話が、必要ないんだろうね。拙僧の電話相手は、大半が檀家のご老人達にて。このご老人達も、遠方にいる孫、曾孫との電話会話を非常に楽しみに。批判し合う問題ではないと思うよ。電話の会話が必要、不要は各々の考えにて」と。

この読者が「最近、自論を押し付けてくる人や、白黒を決めたがる人が多いと思いませんか」と。「確かに、多い。この世に『これ、正解』は、ないのにね。今の自分にとってそれが『正解か否か』だけ。今現在において正解と思っている事も、知識、知恵、経験が増せば、自ずと変わってくる。だからこそ、人を否定しちゃ、あかんよね」「御意」と。

【投稿4】


知人の社長さんから、次の様な質問を受けました。「住職。採用試験の時、この人間の力量はどうだろうか、を知る為に、何かよか方法はないかな」と。「この会社について、この会社の仕事について、予め資料を渡し『わからない事や、疑問点はないか』を聞けばいいと思うよ。『ここまでは、わかってるんだな』を知る事が出来るでしょ」と。


この社長が「わからない事はなんだ、と聞けば、その人の力量がわかるんですか」と。「その人が知っている事を聞いても、その先、どこまで知っているかは、わからないでしょ。が、その人に『わからない事は、何か』を聞くと『そこまでは、理解してるんだな』と、その人の力量が、計れるんじゃないかな」「なるほど、そういう事だ」と。


【最後に】 


昨日(12月29日)、檀家の小学生が「今年最後の納骨堂参りに来ました」とお寺に。その時、この子が「蝋燭と線香は何故、お供えするの」と。この質問は偶に、檀家の子供達から問われますね。対し、拙僧「蝋燭も、線香も、誰かに火を着けてもらわないと、自らで燃える事は出来ないだろ。また、誰かに消されるか、自然と消えるまで、自らで消す事は出来ないだろ。その間、蝋燭も線香も、自分の身を削りながら、周囲に明かりを、周囲に癒しの香りを、提供し続けているだろ。『あなたはそんな人生を歩んでいますか』と蝋燭と線香は君に、その事を問い掛けてくれているんだよ」「そうなんだ」と、この子が。


さて、明日は大晦日ですが、天気はどうでしょうかね。年が明けると多くの人が1年の安泰を願って、山へ、海へと、初日の出に願いを掛けに。が、大晦日の夕刻、1年最後の日の入りに、西の空に向かって「あなたが1年間昇ってくれたお陰で、今年も命を保つ事が出来ました」と手を合わせ、頭を下げる人がどれ程におられましょうや。『今ここに、命があるに、何不足』を思う時、全ての出発は「有難うございます」からではないかと。拙僧は毎年、晴れておろうと、雨であろうと、欠かさず、大晦日1年納めの夕暮れに。


本年も拙い法話にお付き合い頂きまして、有難うございました。来年も宜しくお願い申し上げます。それでは、良いお年をお迎えくださいませ。尚、投稿写真は、わが寺の鬼子母神像、聖徳太子稚児像です。


次回の投稿法話は、1月1日になります。