1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 人には誰しも、忘れちゃならんものがある。大事にしなきゃならんものがある。それが、間違いなく、我が人生の支えになってる。

2022-02-26 10:22:11 | 法話
2月は息子の誕生月。33年前、母子共に危険な状態で出産を。当時、日本で3本の指に入る産婦人科医が家内を。出産後、看護師さん達が分娩室から出てこられ「あなた、先生にお礼を言いなさいよ」と涙目で。先生が「久し振りにこんな出産を」と拙僧の肩をポンと。以来、毎年、この月には、本山へ御礼報謝に参拝を。

【追伸】
拙僧家族の今の幸せは全て、33年前の2月22日からが、始まり。この出産で家内と息子が亡くなっていたら今、この日は2人の命日に。当然の事、その後の娘と次男にも会う事が。拙僧も全く違った人生に。この恩を忘れない為に毎年、この日は本山へ御礼参りに。33年前、出産中の夜7時前、看護師さん達が数人、分娩室に走り込んでいった。「何か、大変な事が起こったんだな」と心配しているところに、白い僧衣を着たお坊さんがスーと分娩室の中へ。恐らくこれは幻想、いや、間違いなく幻想。が、直後に『オギャー』と産声が。その18年後、息子が大学で家を離れる事になった時、夫婦でその出産の時の思い出話を。家内が「あの時ね、パパ。入れ替わり立ち替わり、看護師さんが私の体の上に跨ってお腹を。苦しくて、視界が徐々に薄れていき『私、死ぬのかな』と意識朦朧の中、横に白い僧衣を着たお坊さんが立ってね、間を空けず赤ちゃんが」と。驚いた。家内にはその話をしてなかったので。恐らく『この子を助けてもらいたい』という同じ思いが夫婦の中に。その同じ思いが、同じ幻想を見る事になったのかな、と。偶然が重なったとはいえ、不思議なものですね。






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